第5話

 そのあと、茶会は大成功のうちに終わった。

 リリーナをはじめとする生徒会の面々が新入生を歓迎するために尽力してくれた、というのもあるが……もしかしたらアインザッハ皇子が参加しなかったことも茶会を成功させた要因だったかもしれない。


 アインザッハが来ていないことを知ったリリーナはホッとしたように笑顔をこぼした。

 それからは終始にこやかに、新入生たちにも笑顔を振りまいて愛想良く接していた。

 とてもここまでの七周回を『悪役令嬢』と呼ばれて過ごした女性だとは思えないほどの、いい笑顔で。


 さて、その茶会を境に、リリーナと俺はより親密になった。

 といってもエッチな意味ではなく、親しい友人として扱われるようになったと、その程度のことだが。


 リリーナは昼になるとわざわざ学生食堂に来て、俺の隣に座るようになった。

 これは名家の子女としては異例のことだ。


 食事の時間というのは無防備になりがちである。

 特に高貴な身分であれば政治的なあれこれに巻き込まれて食事に毒を盛られることもあるのだと。

 それ故に、高貴な家柄の子女は自分のお抱えの料理人を学校の近くに住まわせて、食事を用意させているものだ。

 当然リリーナにも料理人がつけられているのだが、その料理人にわざわざ弁当を作らせてまで、わざわざ俺の隣に座りに来るのだ。


 その日も俺は、リリーナと並んで学生食堂の固くてそっけもない木の椅子に座っていた。

 俺――つまりダレスの家は貴族と名はついても裕福なわけではない。

 アイゼル学園の学費のほかに、仕送りをもらってはいるが、それだって雀の涙……俺の昼食はいつでも、一番安い『日替わりB定食』である。


 リリーナは俺の手元をひょいと覗きこんで言った。


「またそんなお肉ばっかりのお食事を……栄養が偏りますでしょう!」


『B定食』はともかくリーズナブルに若者の胃袋を満たすためにボリューム重視、メインはがっつりとした肉料理であることが多い。


「ウチのコックは野菜の料理が得意なんです。さあ、分けてあげますから、お食べなさい!」


 リリーナは抱えるほど大きな弁当箱を俺に押し付けてきた。

 俺はさすがにちょっと臆して弁当箱を押し戻す。


「いや、さすがに申し訳ないよ」


「そう……この私からの施しはいらないということですのね?」


「いや、施しとか、大げさな言い方されるとますます受け取りにくいっていうか……」


「じゃあ、贈り物とでも言えばいいんですの?」


「そういう問題じゃあ、ないんだよなあ……」


 リリーナは大きな弁当箱を抱えて、一瞬――本当に瞬きをする程度の短い一瞬だけ、困った顔をした。


「だって、こんなにたくさん、一人じゃ食べられませんわ」


 そのあとで彼女は、ツンと鼻先をあげて弁当箱を俺の腕の中へ押し込んだ。


「ともかく、召し上がってください、せっかく私がコックに頼み込んで……」


「え、まさか、僕のためにわざわざ?」


「ちっ、違いますわよ! ついでです、私の食事を作らせるついでですわっ!」


「そうなんですか?」


「そうなんですのよ!」


 俺たちが言い争っているところへ、ちょうどチヒロが通りかかった。

 彼女は俺たちを見て呆れたように鼻を鳴らす。


「何を白昼堂々いちゃついてるのよ」


 リリーナが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「いちゃついてなんかいませんわ!」


 チヒロはリリーナの隣にすとんと座った。


「あ、お弁当? 私にもちょうだいよ」


「だ、ダメですわ! これはダレスさまのために……」


「な~んだ、やっぱりダレスのためなんじゃん」


「くうっ、ズルいですわ、誘導尋問です!」


 女子二人がキャアキャアと軽口をたたきあっている光景は、実にほほえましい。

 まあ、どう見てもリリーナが一方的にからかわれている感じだが……それもまた良しってことで。


 何しろ前周回のリリーナはひどかった。

 食堂に入ってくるなり、いきなりチヒロにコップの水をぶっかけて、「この泥棒猫!」と恫喝したのだ。


 その前はチヒロと一緒にランチタイムを楽しもうとしたアインザッハ皇子を追ってきて、やはりチヒロに手元にあったスパゲッティを皿ごとぶっかけて「この泥棒猫!」とわめき散らしたし、ともかくリリーナがこの食堂を訪れる理由は、いつでもチヒロと修羅場を演じるためだったのだが。


 その二人が今、仲良くじゃれあっている。

 これ以上平和な光景がこの世にあるだろうか。


 チヒロは、古くからの友人と話すときみたいにリリーナを扱う。


「あのさア、リリーナ、あのワガママ皇子、どうにかなんない? 一応、あんたの婚約者でしょう?」


 その『ワガママ皇子』というのがアインザッハ皇子のことだとリリーナはもちろん心得ている。


「あれが私の言うことなど聞くと思いますか?」


「思わないけどさあ、もう、四六時中付きまとわれてうんざりなのよ」


「それはお気の毒に……」


「でしょう?」


 どうやらアインザッハ皇子、リリーナだけではなく、チヒロからも相当嫌われているらしい。

 これも今までの周回とはちがう点だ。


 アインザッハ皇子はカリスマの強いキャラに設定されており、大抵のわがままはリーダーシップの表れとして好意をもって周りに受け入れられる。

 例えば茶会の菓子が気に入らないとわがままをいえば、周りの者が急いで他の菓子屋へ使いに行く程度には。


 特にヒロインであるチヒロからは全幅の信頼と愛情を受けているはずであるというのに。


「ていうかさあ、『俺好みの女になれ』って、やたら派手なドレスを大量にくれるとか、マジやめてくれって話」


 語る千尋の表情は怒りに燃えている。


「胸が下品に開いたドレスとかさ、総レースで下着がスケスケとかさ、あんなの、いつ着ろっていうのよ!」


 リリーナがこれに同調する。


「わかりますわ〜」


 俺は男だから、この感覚がわからない。


「え、そうなの? 女の子なんだから、綺麗な洋服をもらえたら嬉いんじゃないの?」


 リリーナとチヒロが同時に「ぜんぜん、まったく」と低い声でうなる。


「着るものって、自分の好きなもの買いたいじゃん? 無駄な洋服を買って寄越すくらいならその分現金でくれってことよ!」


「チヒロさん、その言い方はハシタナイですわ、でも、同意です!」


「でしょ、もしくは一緒に買いに行って、選ばせてくれって話よね!」


「ああっ、まったく同意です! 殿方の買い物ってサイズとか見ないんですもの、ぶかぶかのドレスとか贈られた日には、せめて試着させてくれってなりますわ!」


「わかりみ〜、ダレス、あんたも覚えておきなさいよ、女の子に着るものを贈るときは、自分で勝手に選んじゃだめよ!」


 俺は「あっ、ハイ」と小さな声で答えた。

 昔から『女が三人寄れば姦しい』というが、二人でも十分に姦しい。

 俺はとりあえず姦しいのを一人に減らそうと、リリーナに声をかけた。


「レディ・リリーナ、一つだけお願い事をしても?」


 リリーナが頬をポッと桃色に染める。

 声色だけは少し厳しく。


「言ってごらんなさい、聞いて差し上げないこともなくはないですわ」


 俺の方はできるだけ優しく、笑顔も添えて。


「難しいなぁ、それって聞いてくれないってことですか?」


 リリーナが慌てている気持ちをごまかそうとするかのように指先で長い髪をクルクルと弄んだ。


「そ、そうじゃないですわ、基本、どんなお願いでも聞いて差し上げますけれど、どうしても聞けないお願いだってあるでしょう、だから、まずはどんなお願いなのかを聞いてからってことですわ」


「別に難しいことを頼もうっていうんじゃないんだよ。お使いを頼みたいだけだから」


「お使いですの?」


「そう、お使い。この時間、学園の前にスイーツの屋台が出ているでしょう? そこで三人分、デザートを買ってきて欲しいんです」


「デザート? 私がですか?」


「だって、デザートっていろんな種類があるから、選びたいでしょう? 洋服みたいに」


「ま、まあ、そうですわね」


「それに、レディ・リリーナはこの中で一番センスがいいから、きっと素敵なものを選んでくれると思って……ダメですか?」


 可愛らしく潤んだ上目遣いで見上げると、リリーナは少しよろめいてからピンと背筋を伸ばした。


「そう、確かに私のセンスなら、デザートを選ぶくらい造作もないことですわ! 見てらっしゃいまし!」


 そしてピューっと駆け出していく。

 さて、これでしばらくはリリーナも帰ってこないだろう。

 なにしろそのデザート屋台、学園の女子たちにえらい人気で、この時間には長蛇の列ができているはずなのだから。


 俺はさっそく、チヒロに向かって言った。


「あんたはこのゲームに詳しいんだったな、教えてくれ、これ、何ルートなんだ?」


 チヒロは少し困ったように眉根を寄せて、首を傾げている。


「それがね、これ、完全にオリジナルルートっぽいのよ」


「やっぱりそうか、いや、今までの七周回のどのパターンにも当てはまらないから、そうじゃないかと思ったんだけどな」


「さらに残念なことを言うと、これ、リリーナ救済ルートですらないかも」


「どういうことだ⁈」


「なんていうのかなー、自由度が高すぎるのよね。まるでゲームの中じゃなくて、この世界に本当にいるみたいに」


「確かに……」


 イベント前には行けないはずのグリーン・ブランチ・ガーデンに行くことができたり、今もこうしてリリーナにちょっとお使いを頼むことができたり、まったくゲームとは無関係な『生活』をしているのだという実感が俺にもある。


「だとしたら、リリーナ救済エンドにはたどり着けないんじゃ?」


 俺が問うと、チヒロが軽く微笑んだ。


「ううん、もはや目指すべきはリリーナ救済エンドじゃない、『真実の結末トゥルーエンド』だと思うの」


「トゥルーエンド!」


 俺は少し興奮して、椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。

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