ごっこ遊び   作・俗物

 オレと純子は幼馴染だ。物心がつく前から、二人一緒に育ってきた。それはきっと事実である。でも、今ではあいつとオレは離れ離れになってしまった。それもまた事実である。覆水は盆に返らない。不可逆の反応なんだ。いったい、誰がこんな風にしたんだ。そうだ、全部あいつが悪いんだ。そんなことを考えながらオレは高校を卒業する。これからずっとオレはオレを演じ続ける、それでいい。


 


 1970年代の暑い夏の話。


 俺の名前は風見猛。生まれは九州の小都市。高校まで何となく地元に居て、そのままふらっと東京の私立大学に入った。それは周りの奴もそうしていたからであって、俺が何かを決めたわけではない。俺はただ周りに合わせる演技、ごっこ遊びをし続けていただけだと言える。別に俺は何かのスポーツも勉強も極める気がなかった。ただそれなりにこなし続けていた。


「はい、じゃあ、マスクヒーローブースト役、風見さん入りまーす!」


「おはようございます。今日の撮影はどのシーンからでしたっけ」


「七話の怪人バーバリアンを倒すところからです」


「了解。今日も頑張ります」


 そういって、俺はマネージャーやADたちと手早く段取りを始める。すでにメイクはロケ者で済ませてある。俺は今を時めくヒーロー俳優だ。今日だってスケジュールの合間に撮影現場に来ている。はっきり言ってスケジュール確認が出来ないのはマネージャーの怠慢だと思う。


「今日の撮影って工場からなんだよなあ……汚れるし嫌だな」


「まあ、そんなこと言うなよ。お前だってブーストの相棒役、ブーストマークⅡじゃん」


「とはいえ、風見みたいにバラエティの番宣も何もあったもんじゃねえ」


「おいおい、バラエティだったら容赦なく池に落とされたり激辛食わされたり、やられっぱなしだぜ?」


「んー、まあ、池は気の毒だけど……辛いの好きだろ」


 そうやって、かるーい感じで本番前の雑談をする相手は同じ事務所で相方役の早田大助。こいつは俺と違って名古屋の出身らしい。俺と同じ年で、今年21になる。俺は黒髪なんだが、こいつは金髪。それで、今回の「マスクヒーローブースト」でも俺が正統派の熱血って感じのキャラだけど、早田はおちゃらけた三枚目を演じている。だが、実はこいつの方が真面目でスタジオ入りが一番早かったりする。今日もさっきまで工場のセットの確認とリハを一人でしていたらしい。


「お前たち! ぺちゃくちゃ喋っていないでさっさと支度しろ」


 監督が呼んでいるので、俺と早田は変身用の道具を持ってスタンバイした。すでにやられ役のバーバリアン達がスタンバっている。今回は一人のボスというより、多くのバーバリアン達を薙ぎ払いやっつける。そういう話だ。


「はっ、やあー!! 吹っ飛べ」


「ブーストキック!」 


 ヒーロー二人の攻撃を受けてはいくら多勢のバーバリアンどもも敵うことはない。というか、そういう脚本だ。


「こうなってしまっては仕方ない。野郎共、全員でかかれ!」


「おい、ブースト! 変身だぜ」


「任せろ! マークⅡ!! ここからは飛ばしてくぜ、ブーストオン!」


 俺がそうやってベルトに手を掛けると、マスクヒーローは変身した(ことになった)。変身したヒーローの攻撃を受けたバーバリアンどもは蜂の子を散らすように逃げる。ブーストとマークⅡはそれを追って廃工場に入っていく。


「おい、どこへ逃げようってんだ、追うぞぉ! ブースト!」


「わかってる! 逃がさないぞ!」


 工場の中央で対峙する十人程度のバーバリアン達とヒーロー。俺が前衛、早田が後衛のフォーメーションで乱闘が始まるも、リーダー格のバーバリアンがすぐに膝をつく。


 次は背後の工場のセットが爆破して、あれ、どうなるんだっけ。


 ドン!! と強い音とともに俺は熱風を感じるとともに、痛みを覚えた。そして背後に吹き飛んだ。辺りには爆ぜた火薬の匂いがした。


 




 瞼が開く。見えるのは真っ白、そう、綺麗な天井。ぼんやりとした頭のまま起き上がろうとする。起き上がることは叶わない。気づけばここは病室らしい。どうして、こうなったんだ? その疑問を抱いた瞬間、走馬燈のように一気に記憶が蘇る。だが、それは脳内を洪水のように流れ、憶えているはずの記憶さえ流した。頭痛がする。ぼんやりともやがかかっているようだ。


「風見さん、起きていらっしゃったんですか?」


 そうやって懊悩の世界から呼び戻してくれたのは、どうやらこの病室を担当する看護師らしい。ネームプレートには「青木」とある。


「ええ、今起きたところです。ここはいったいどこなんでしょう」


「ここは〇〇市中央病院ですよ」


「オレはいったいどうしてしまったんです?」


「ああ、風見さん。ここにどうして居るかわからないんですね。ああ、先生が来られましたので先生から説明をしていただきましょうか」


 青木がそう言い終えると同時に病室の引き戸が開かれ、医者が入ってきた。見たところ四十、いや五十代に差し掛かろうかといくらいの恰幅のいい男だった。医者の方を向こうと首を左に曲げると痛みが走る。


「あ、痛っ」


「ああ、無理なさらず。私が主治医の牧野です。今からあなたの身に起こったことを説明しますので、ゆっくり落ち着いて聞いてください」


「は、はあ」


「まず、風見さんはご自身の職業はお分かりですか?」


「え、えっと俳優です。まだ、売り出し中ですけど」


 自分で売り出し中と言うなんて、随分と強気なことだと青木は思った。主治医の牧野が落ち着いて話を続ける。


「風見さん、あなたは撮影中の事故によって重傷を負いました。」


「じ、事故!? いったい、何が起こったんです?」


「火薬量を間違えてしまった爆破演出です。その件については業務上過失致死傷の件で警察から説明および事情聴取があると思います。私からは風見さんに起こったことだけを説明させていただきたいと思います。単刀直入に言いますと、全身に大やけどを負われました。幸いなことにヒーローのコスチュームが守ってくれたおかげで内臓には別条がありませんでした。しかしながら、全身の皮膚に重いやけどを負い、残念なことに顔面は八割が損傷を受けてしまいました。しかし、しかし昨今の医療技術革新によって、復元させることが出来ました!」


 牧野は務めて明るく説明してくれた。オレは衝撃を受けた。布団の中から両手を出し、顔を覆った。そこには包帯の無機質な触感しかなかった。窓の外に映る自分の顔を見たとき、すべてを察した。そこにあったのは、まるでマスクヒーローの敵役の怪人みたいな自分の姿だった。


「うわあああああ!!」


 俺は声なのか唸りなのか嘆きなのかわからない、ただ大きな音を口から出した。


「落ち着いて。落ち着いてと言われても困るかもしれませんが、今の技術はすごいんです。本当に元通りとまではいきませんが、日常生活が送れるような、いや、又芸能活動が出来るまでは戻りますから」


「ほ、本当ですか? よ、よかった」


 病室の空気が少し明るくなった。そのとき、病室の扉をノックする音がした。


「刑事さんたちかな。待ってくれと伝えたんだがなあ。青木さん、応対してくれ」


 牧野の指示により、青木が扉から廊下へと出て行った。


「そ、そういえば牧野先生、早田は、早田大助は無事だったんですか?」


「そ、それは……」


「代わりにお答えしましょう」


 ガラっと扉を引き開けて入ってきたのはまるでドラマにでも出てきそうな刑事だった。見るだけでわかる、そういうタイプの風貌だ。青木が制止するのも構わず、刑事は喋り始めた。


「○○署の鬼越警部であります。風見猛さんですね。先ほどの質問ですが、早田大助さんは亡くなりました」


「そ、そんな……嘘だ! あいつは、あいつは良いやつだったのに。本当はメチャクチャ真面目なんすよ。酒、煙草、女何一つやりゃしない。そんなやつが……」


「心よりお悔やみ申し上げます。風見さん、あなたは運がいいことに爆風に吹き飛ばされて、俯きに倒れました。結果として爆炎に伏せるような形になったんですな。一方、早田さんは背後の爆炎に突っ込むような形になってしまい、火傷もひどくなってしまったのです。他にもバーバリアン役の方が三名重傷で、リーダー格の方は今も意識不明です」


「そんな……」


「ただ、我々としては一つ疑問がありまして。今回の事故、事故と今言いましたが、我々では事件ではないかと考えて居ります」


「どういうことでしょうか」


 鬼越警部は一瞬黙って、息を吸い込むと訥々と説明を始めた。


「今回の件を、初めは業務上過失致死傷の疑いで捜査を行っておりました。しかしながら、捜査を進めていくうちにわかったのですがおかしいんですよ」


「何がおかしいのですか?」


 牧野医師が口を挟む。


「ああ、牧野先生。いや、火薬が明らかに多かったんです。爆破演出とは言え、あまりにも多い。監督に尋ねてみたところ、今回の撮影班で爆破演出を行うのは初めてとのことでした。ただ、担当したADに尋ねてもマニュアル通りに用意しただけと言っていたんです」


 鬼越警部の答えに病室は沈黙が広まった。


「つまり、誰かによって意図的に起こされたって言うんですか?」


 恐る恐る口を開いたオレの言葉に対して鬼越はうなずく。


「そういうことになりますな」




 その後、鬼越は数個事務的な質問をして帰っていった。病室に残されたオレと牧野、青木の三人は居たたまれない空気を避けるかのように、やはり事務的な会話に終始した。


「風見さん、この後おひとりマネージャーの方が面会なさりたいと仰っていますが、お体は大丈夫ですか?」


 青木がそう尋ねてきたので、オレは「いいですよ」と返した。オレとしても話しておく必要があると思ったからだ。


「それじゃ、もう少ししたら来られると思いますので、我々は失礼します」


「風見さん、何かありましたらナースコールで呼んでくださいね」


 牧野と青木、二人の心遣いに感謝しながらオレは答えた。


「お二人ともオレなんかのためにありがとうございます」


 俺の礼に対して二人は少し驚いたような顔をした。


「ん、どうかしました?」


「いえ、何と言うか……」


 牧野が口ごもる。その様子を見て、青木が意を決して口を開く。


「こう言ってはなんですが、風見さんはあの、余り素行がよろしくないというか。はっきり申し上げて、世間一般の好感度が低かったんです。そう思って接していたのに、私、失礼でしたね。本当に申し訳ないです。こう、何と言うか、きちんとしている人だったんですね」


「あ、ああ、そう思わせてしまったこと自体、オレの落ち度ですから。気にしないでください」


 こんな会話の末、牧野と青木は出て行った。オレは激しい苦悩に襲われた。オレには事故以前の記憶が抜け落ちてしまっている。だが、過去にオレがそんな態度をとっていたとすれば、オレには敵も多くいたに違いない。そのせいで、この事故が起きたとするならば、オレのせいで早田は死んだんだ。そう考えると、やるせない後悔で視界が滲んできた。


 コンコン、ノックが部屋に響く。


「入るわよ」


 そう言って、病室に入ってきたのは女性マネージャーの田中だった。


「風見君、今回は本当に大変だったわね」


「田中さんこそ、大変だったでしょう」


「まあ、でも一番は君よ。それに、早田君のことは気の毒だったわ」


「なんで、なんであいつが。死ぬんならオレが死ねばよかったのに!」


 そう、オレが叫ぶと、田中はオレの肩を支えて静かに語った。


「あなたがそんなこと言ってどうするの? ここで泣き叫んでも早田は戻ってこない。いいえ、それだけじゃないわ。今回の件で撮影所も事務所もテレビ局も全てがご破算よ。それでも私たちは生きていかなくちゃならない。だから考えなきゃいけないのよ!」


 ハア、ハアと田中は一気にまくし立てた。そうだ、苦しいのはオレだけではない。そんな当たり前のことですら、オレは見失っていた。


「君には力が有るの。だから、その力を私達に貸してちょうだい。私達も君に力を貸すわ。そうやって乗り越えていくしかないのよ」


「それが、早田のためになるんですかね」


「なるわ、ここに台本を持ってきたの。本当は早田の主演が決まっている舞台だったんだけど、脚本家がこんなことになった以上、あなたに出てほしいそうよ」


「なんですって。そんなことが……ちなみに原作は?」


「シェイクスピアの『ハムレット』よ。あなたは知らないかしら。早田はああ見えてシェイクスピアとかにも詳しくてね」


「オレも『リア王』とか好きっす」


「そうなの? 以前話したときにそんなこと言ってたかしら」


「あれ、そうでしたっけ」


「まあ、あんな事故の後だから、色々と私も記憶違いを起こしているのかしらね」


「きっと、そうですよ」


「良いわ。それじゃ退院したら早速稽古よ。まあ、二か月くらい先になりそうだけど。ああ、あと面会謝絶にしておいたから、マスコミなんかの相手はしなくていいわよ」


「ありがとうございます!」


「それじゃ、頑張ってね」


 田中は『ハムレット』の台本を置いて出て行った。オレは残された『ハムレット』の台本を読む。新進気鋭の脚本家によるもので、やはりどことなくスタイリッシュになっている。決闘のシーンなんてワイヤーアクションだ。きっと、早田なら上手くやったんだろうなと思う。「To be or not to be?」、その名台詞をつい口ずさむ。その日は早々に床に就いた。


 翌日、一人の面会希望者がやってきた。青木による制止も空しく病室に侵入してきた。


「あ、あなたは」


「私よ、純子。一ノ瀬純子よ」


「お、幼馴染の純子か?」


「そうよ、猛君が怪我したって聞いて、居ても立っても居られなくて……」


「嬉しいよ、純子」




 


 風見と純子は小中高の幼馴染だった。二人を含めた何人かで共に遊び、共に学び育ってきた。正直なところ、風見は純子を異性として見ていないわけもなく、それは純子とて同じだった。だが、二人は高校に入る頃から疎遠になり、今では連絡を取っていなかった。


 もともと、二人を含めた五人ほどで小さい頃は秘密基地を作っていて遊んでいた。そのころを回顧して、遊び仲間の一人、石川は週刊誌のインタビューにこう語った。


「あの頃から猛と純子はマジで仲良かったっすよ。俺らで作った秘密基地で、猛は仮面ヒーロー、純子は魔法少女をやって「ごっこ遊び」してたんだよ。俺か? 俺はあれだよ、悪役の雑魚敵。まあ、それでも楽しかったんだぜ。」


「なんで、あの二人が疎遠になってしまったのか、だって?」


「あれだよ。五人の中の一人に、転校する奴がいたんだよね。んー、なんつったら良いんだろう。そいつ、純子のこと好きだったの。でも、それは傍目から見ても横恋慕でね、うまくいくわけもなかったんだよね」


「横恋慕っていうかなあ、もともと、うーん、そんなに純子に相手されてなかったんだけど、本人はわかってなかったみたい」


「それが爆発したのが中学三年の七月頃、あいつは純子に告ったんだよね。でも、実はその前々日くらいに既に純子は風見に告ってて、二人は付き合い始めたところだったんだ」


「その現場にたまたま居合わせた俺は風見を呼びに行って、それから二人の決闘が始まったんだ。古くさい話で青臭い話でしょ。でもまあ、結果として風見の圧勝。」


「それから間もなくだな。あいつは引っ越していったよ。立場もなくなったわけだしねえ。だからさ、今回の事件もあいつのせいじゃないんかなあと思ってるよ、俺はね」






「猛はいつも私のヒーローだった。彼との決闘以来、離れてしまったのは私の方から」


「そんなことない、オレはあの時君を守ることが出来ず、精神的に傷つけてしまった。オレにヒーローを名乗る資格なんてないんだ」


「じゃあ、じゃあもう一回ヒーローになってよ! 私がまたあの頃みたいに魔法少女になる。その怪我も全部治すし、猛の傍に居続けるから」


「ありがとう……でも」


「でも、なんかじゃない! 確かにあの決闘以降、猛のことがちょっと怖くなっちゃった。それでも、最近の猛が出てたドラマを見て、もう一回やり直したいって思ったの。今の猛はすごく輝いている。今回亡くなった早田さんには悪いけど、猛が生きてて本当に良かった」


 ドン! 、俺は病室の机をひどくたたいた。拳に鈍い痛みを感じる。でも、それでも言っておく必要がある。


「純子、君の思いは嬉しい。でも、早田を、大助を悪く言うのはやめてくれ。あいつは本当に良いやつだったんだ」


「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったの。ごめんなさい。許してくれる、かな?」


 涙目になりながら上目遣いで見てくる純子、オレには彼女の潤んだ瞳を見て許さないという選択肢はなかった。


「いいよ、オレも強く言い過ぎた。これからよろしくな」


「うん! これ、猛が出るの?」


 純子が指さしたのは『ハムレット』。


「そう、生きていたら早田が主演する予定だったんだ。でもこれは俺があいつの遺志を引き継いで演じるんだ」


「そっか、早田さんのためにも絶対成功させなきゃね! 私も絶対見に行くから!」


 そのまま、病室で二人は長く熱い抱擁を交わした。






 鬼越警部は警察署に設置された捜査本部に届いた翌日発行の週刊誌の記事を読みながら不機嫌そうに唸った。


「この記事は本当なのか?」


「ええ、そのようです。記事中の石川という男にも裏が取れました」


 部下の刑事が答える。鬼越はしばらく天を仰ぎ、そして息を吐いた。


「ふむ、そうか。よし、行くぞ!」


「どこへです?」


「決まっているだろう、風見の事務所だよ」






 田中は担当する俳優の一人が死亡し、もう一人も重傷を負うという悲しみに打ちひしがれながらも、仕事に取り組んでいた。むしろ、生き残っている一人の為にも自分が仕事をするほかない。さっきから、事務所の電話がけたたましく鳴っているが無視し続ける。どうせ今回の件に関して、根も葉もない噂を聞きつけたマスゴミどもだ。


 さて、そんな風に熱心に取り組みながらも色々と思案を巡らしていた。言い方は悪いが不真面目だった風見が、今回の事故を受けて憑き物が落ちたように仕事に取り組もうとしている。まるで早田が憑依しているかのようだ。それだけ、今までわからなかったものの、早田の存在は風見にとって大きかったのだろう。むしろ、今までその関係を見抜けなかった私の不手際だ。それだけ、今までの風見の演技がうまかったんだなと感心する。今の彼ならきっと『ハムレット』もうまくいくだろう。ただ、心のどこかで見た目は三枚目だけど、中身は誠実な役者だった早田にこそ、悲劇の王子ハムレットは似合うようにも思える。


 そんな深い思案は無粋なドアの音で遮られた。


「田中さんですな。○○署の鬼越であります。時間がないので手短に」


「刑事さん、どうしたんですか? まさか、犯人がわかったんですか!?」


「ええ、それでなんですが、あなたがたの事務所では所属タレント全員、寮に住んでいるんですよね?」


「そうですが、何か?」


「鍵を貸していただきたい。早急にです」


「は、はぁ……」










 オレは純子と熱い抱擁を交わした後、しばらくして昼頃には検査を受けた。無事、皮膚の移植手術は上手く言っているらしい。昨日とは打って変わって、青木も牧野もにこやかに話してくれる。なかなかにリラックスした時間を過ごすことが出来た。


「風見さん、ちょっと良いですか?」


 廊下から青木の声がする。


「どうしたんです?」


「鬼越警部が来られました」


 そう言うや否や、鬼越が肩で風を切りながら入ってきた。


「風見さん、やっとわかりましたぞ。犯人です。犯人の名前は二保大輔。出生地は……」


 鬼越の声が段々と遠くなっていく。オレの記憶がまた白い靄の中に入っていく。


「……ですので、もう心配は要りません。また、詳しい調書を取るために事情聴取もすると思いますがお付き合いください」


「はい、はいありがとうございます」


 鬼越は暗い顔をしながら、こう続けた。


「色々と大変だと思いますが、お体にお気をつけて。それと、本来はいけないことなんですが、これはあなたに読んでもらうべきだと思いまして。二保の手記です」






 それからのオレの記憶はぼやけている。ただ、手渡された二保の手記のコピーを読み通した。目が充血するほどに、喉が渇ききるほどにだ。


 オレの生まれは九州だった。小さい頃から体を動かして遊ぶのが好きで、よく近所の川や森を走り回っていた。そのうち、一緒に遊びに行く仲間が出来た。石川と武田、そして、風見と純子。小学校に上がったとき、みんなで「ごっこ遊び」をするようになった。純子は魔法少女、これは紅一点だし、文句もない。そして何より、オレは純子が好きだった。初恋の相手だったんだ。石川は悪役の雑魚でいいって言ったし、武田は一般市民をやるって言った。あいつも変なやつだった。そして、オレはヒーローがやりたいって言った。でも、風見はまたこう言った。


「俺? いや、別に何でもいいよ」


「じゃあ、猛がヒーローやりなよ! ほら、猛はヒーローが似合うって」


 純子のその言葉はオレ達にとって絶対だった。オレ達は本能的に彼女に逆らうことなんて出来やしない。


「所詮、「ごっこ遊び」なんだしさ、二保君はヒーロー2号ね」


 それから、ずっとオレは2号だった。2号であり続けた。1号になりたかった2号と、周りの期待に合わせただけの1号。オレの不満はずっと昂っていた。とはいえ、「ごっこ遊び」なんていうものは小学校の内には終わる。だが、別の意味で「ごっこ遊び」は終わらなかったんだ。


 恐らく石川は、オレが悪いって思い続けているんだろう。でも、あれは違うんだ。あの日、あんなことになったのは、もともと風見にこう言われたからだ。


「純子と付き合い始めてみたんだけどさ、あいつって重いんだよね。お前代わりに付き合わねえか?」


「え、え、いいのか?」


「お前と俺は相棒だろ。1号と2号じゃん」


「そっか、ありがとう」


 今思えばこれは罠だったんだ。放課後、オレは純子を呼び出して告った。だが、その時返ってきた言葉は無情だった。


「え、あの猛の言葉をマジで受けたの? ウケる」


「え、え、なんで」


「二保、お前さ……俺の彼女に手を出すとか最低だな」


 どうやら石川が呼んできた風見がやってきて、因縁をつけ始める。


「話が違う!」


「何の話だよ(笑)」


 オレは風見に顔面を殴られた。オレも殴り返そうとするが不意を突かれたせいで、劣勢だった。そのままオレの上に降りかかる侮蔑の笑い。オレは惨めで悔しくて涙を流し続けた。


 それ以降、オレは中学に行けなくなり、親の転勤に伴い、名古屋へ引っ越した。周りに舐められたくなくて、金髪にした。でも、もともと大好きなシェイクスピアは捨てらんなかった。ずっと読み続けていた。


 そして、高校卒業後、東京に出てバイトを続けながら劇団に入った。苦しい生活だったけど、そこでマネージャーの田中さんに出会った。そして、彼女の紹介で今の事務所に入った、だが、そこで見たのは憎き風見の姿だった。正直なところ純子が悪魔のようにも思えた。でも、オレは純子を好きでいたかったし、風見を憎み続けるしかなかった。


 オレは万が一にも正体がバレたくなくて名前を変えて、早田大助という芸名をつけてもらった。本当だったら下の名前の読みは変わっていないのに、風見は気づくことが無かった。


 そして、オレは田中さんのおかげで『ハムレット』の主演に抜擢された。だが、オレにとって屈辱だったのは、回ってきた仕事の一つ、仮面ヒーローだった。名前はブーストだかなんだか知らないが、やっぱりあいつが1号でオレは2号。あいつは「ごっこ遊び」のまんまなのに、あいつが評価される。オレはどうしても許せなかった。


 だから、オレはあいつを殺す。爆薬を使って、風見が大好きな「ごっこ遊び」の最中に殺してやる。






 二保、いや早田の手記はここで終わっていた。それを読むうちに、オレは記憶が戻ってくるのを感じた。オレはオレであり、俺じゃないこと。あの爆発の時、オレは後衛であいつは前衛だったこと。オレがあいつを引きはがし後ろに放り投げ、オレは前へ倒れこんだこと。オレは風見猛でなく早田大助、いや二保大輔であるということ。


「風見さん、大丈夫ですか?」


 青木がこちらを心配そうにのぞき込む。どうやら、鬼越が来て、あの手記を読んでからというものの気絶していたらしい。外を見ればまた朝日が浮かんでいる。どうやら翌日になったらしい。


「まさか、早田さん、いや二保さんでしたっけ。あの人が犯人だったなんて。風見さんはあの人の事を高く評価しておいでだったのに」


「え、ええ……青木さんは手記を読まれたんですか」


「いえ。風見さんがあの手記を読まれてから、倒れてしまわれて大変で。その後、もう一回やってきた鬼越さんが持っていかれましたよ」


「警部は何と?」


「ええと、「これは犯人の書いたものであるが、犯人の言葉には誇大妄想や被害妄想の症候が見られる。公開するべきではないだろう」、こう仰っていましたよ」


「そうですか……」


 どうやら公開されることは無いようだ。病室のテレビでは幼少期を知る者として、石川の発言が引用されている。どうやら二保、いやオレの言葉は知られることもない。


「そういえば、一ノ瀬さんがまた来られるって聞きましたよ」


「そうですか……すいません、ちょっと疲れているので一人にしてくれませんか?」


「あら、ごめんなさい。長居しましたわね」


 そう言って青木は部屋を出て行った。オレは考え始める。おそらく、オレは風見猛として生きていけるんだろう。そして、オレは好きだった初恋の相手、一ノ瀬純子も手に入れることができる。『ハムレット』だって主演が出来る。恐らく、風見猛の名前の方が早田大助の名前よりも客を呼び集められるだろう。


 だが、誰もオレを見ることは無く、俺を見る。ずっと、この二保大輔は見られることがない。オレはどうしていくべきなのか。「ごっこ遊び」からは逃げられはしないのか。コンコン、扉をたたく音がする。もう純子がやってくる。オレはもう選ぶしかないのだ。


「To be or not to be?」

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