千分の一と一分の一

痛瀬河 病

千分の一と一分の一

昔々、それなりに昔。

天下がやっと統一されようか、どうかというぐらいの頃。それは、それは……長生きしている妖怪がいました。

 妖怪は生命を司る妖怪で、長生きすることはもちろん、病気もしないし、他の生き物の寿命が見えたり、自分の寿命を他の生き物に渡したりなんかもできるのです。

本来それはとても凄いことなのですが、妖怪はさほどその凄さを意識もせず生きていました。

その年数はおおよそ千年ばかりでしょうか。でもさすがに千年も生きていると、一日一日がとっても長くつらいものになるようでした。

毎日毎日似たような生活にうんざりし、自殺を考えたことも何度ありましたが結局死にきれず、惰性で生きている状態でした。

今日も妖怪は暇を持て余して、山の麓にある町で人の姿に化けてブラブラとするのです。

最近はよく人に、ちょっかいを掛けているようです。

山は若葉がすっかりと綺麗な紅葉に代わっていて、普通の人なら見とれてしまうぐらいの光景ですが、千度も見た妖怪にとって大した価値はありません。

規則的な山より、まだ不規則で予想の付きにくい人のほうが暇をつぶせると思ったようです。

街中でからかいがいのある人でもいないかと思って品定めしていると、他の町娘たちとは少し雰囲気の違う娘が歩いていました。

フラフラと足取りも怪しく、今にも転んでしまいそうです。それに加えて、他の者にはない儚さと、品がありました。

妖怪は、しばらくその娘に目を奪われていると、娘は本当につまずいてしまいました。


「あっ」


 気付いたら妖怪は娘の肩を支えていました。


「おい、お前大丈夫か?」


 妖怪は娘に触れた瞬間、気付いてしまいました。

(この娘、今日死ぬな)

長く生きていると、不思議な事の一つや二つあるもので、妖怪には何故か娘の寿命がわかってしまいました。

さすがに長く生きてきた妖怪も、これにはびっくりしてしまいました。


「あの、ありがとうございます」


 娘が深々と頭を下げて、お礼を言ってきました。


「あぁ」


 妖怪は生返事をして、娘をよく観察しました。

 小柄な体に高そうな着物。

 丈が微妙にあってないのか、そこからちょこんと見える病的に白いまだ幼さを残す手足。

 肘のあたりまで伸びた吸い込まれそうなほど黒い髪。

 目尻は少し下がっているものの、はっきりした顔立ち。いやむしろそこが優しい印象を人に与えるのかもしれません。


「あの……わたくしの顔に何かついているのでしょうか?」


 娘が小首傾げました。

さらりと綺麗な髪が揺れます。

(少し見すぎたか)

 妖怪は慌てて話をそらします。


「いや、何でもない。それよりこれも何かの縁だ。近くの茶屋で少し話でもせんか?」


 妖怪はちょっと悪いかな、と思いましたが娘に興味がわき、暇つぶしに身の上話でも聞こうかと思いました。

ところが娘のほうを見ると、もじもじするばかりで一向に返事がありません。

(急に馴れ馴れしかったか?)

 すると、娘が恐る恐る妖怪に問いかけます。


「あの……茶屋とは何なのでございましょうか?」


 妖怪は、驚きました。

 茶屋とは人が軽く話でもしながら、お茶と軽食を楽しむ場所なのですが、これを知らない者がいるとは妖怪は思っていませんでした。


「茶屋とは茶を飲んで世間話でもするところだ。お前、田舎者か?」


 妖怪の当然の疑問でしたが、娘の答えは予想の上をいくものでした。


「いえ、わたくし昨日まで生まれてからこのかた、外の世界というものに出たことがなかったものですから、知らないことが多くて恥ずかしい限りです」


(お姫様というやつか?)

 妖怪は、その話を聞いて一層、可哀想だと思いました。だからなのか、つい口からこぼれてしまったのです。


「お前、今日死ぬぞ」


 こんなことを急に言い出して、気味悪がられるかもしれない、余計なお世話だったかもしれない、そもそも信じてくれるわけがない、色々なことが妖怪の頭によぎりました。

 だけれども、ここでも妖怪の予想とは少し違った反応が返ってきました。


「……やはりそうなのでございますか」


 と、はにかんで笑うだけなのです。


「知っていたのか?」

「……正確にはわかっていませんでしたが、近いだろうとは」


 妖怪は、胸のあたりが苦しくなりました。

 無病息災と長生きが売りの妖怪にとって初めての経験でした。


「なぁ、立ち話もなんだ、よかったら茶屋にでも入って聞かせてくれないか、お前の身の上を」


 また少女は、はにかむのです。


「面白くなんてありませぬよ?」


 と言うのです。




「わたくしは生まれた時から、正体不明の病に侵されていたそうで、ずっとお屋敷で寝たきりのような生活でございました。

「お屋敷といってもよくわかりませぬが、わたくし妾の子というものらしく、母上ともども周りによくは思われてなかったようなのでございます。

「父上には、一度もあったことがございません。毎日母上だけが、わたくしのもとにやってきてくださって、言葉や外の世界を教えてくださいました。

「毎日、お医者様のする治療は苦しかったですが、いつか見る外の世界のためだと思って頑張りました。

「そんな中、昨日、母上が亡くなりました。わたくしは厄介払いというやつでございます。

「そうして、わたくしは、当てもなく今ここにいるのでございます」


 大雑把に娘は自分の人生を語り終えると、妖怪の顔を覗き込み「面白かったでしょうか?」と聞くのです。


「わたくしの人生とは、語ってしまえば一分も持たないような薄い人生でございます。面白いはずなどないでしょう」


 妖怪は何と答えていいのかわかりませんでした。千年も生きているのに、こういう場面で答えるべき言葉がわかりません。

 これも初めての経験です。

 もたもたしていると娘は、黒髪揺らし、コロコロと笑いながら妖怪に優しくお願いするのです。


「もしよろしければ、わたくしと今日一日遊んでくださいませんか?」


 娘の提案に、またも不意を突かれる妖怪。


「……いいのか? お前今日死ぬんだぞ? こんな得体のしれない奴と最後を過ごすのか?」


 娘は破顔一笑。


「……これも何かの縁でございましょう。」


 その顔は、とても綺麗でした。人をこんなに綺麗だと思ったのは初めてでした。


「なぁ、良かったら、名前を聞かせてくれんか?」


 妖怪は、名前を持っていませんでした。

 故に、人の名前にも今まで関心を持ったことがありませんでした。

 だからこれも初めてのことかもしれません。

 娘の桜花のような唇がゆっくりと動きます。


「――七(なな)です。貴方様は?」


 妖怪は困ってしまいました。

 何せ妖怪に名前がないのです。

 そこで妖怪は正直に話しました。


「悪いな、俺には名がないんだ」


 七は最初、不思議そうな顔をしていましたが、やがて少し考え込むような仕草をすると。


「では、今わたくしと考えてはどうでしょう」


 と提案するのです。妖怪はさほど考えることもなく「頼む」と小さく言いました。

 七は一生懸命考えました。

 何せ七にとって人に名を付けるなど、初めての経験ですから「うーん」「うーん」と唸りながら、小さな頭を揺らし考えました。

 やがてパァァっと顔を輝かせて、


「そうだ、八(よう)というのはどうでしょう?」


 どうでしょうと言われても、今まで名などなかった妖怪からすればどんな名でもうれしかったのです。

 これは初めての感覚でした。


「それはすごくいいな」


 そういうと、八は七の手を引き駆けるのです。


「こい、街を案内してやる」


 八は、千年生きて初めて時間が惜しいと思いました。




 まず八は、七に何か買ってあげようと茶屋から出ると二人で呉服屋に入りました。


「七、お前何かほしいものはないのか?」


そんなことを聞くと、七は少し不安そうな顔をします。


「あの……先ほどの茶屋でも思ったのですが。八はお金の方はどうしてるのですか?」


八はそんなことかと思い。


「まぁ、なんだ、そんな小さいことは気にするな。お前に心配させるほど甲斐性なしでもない」


本当のことを言えば、山に迷い込んで死んだ者の身から抜いたり、戦などの跡地を漁ったりして、長く生きていれば拾い銭の機会などいくらでもあるのですが、七にする話ではないと思い八は伏せておきました。


「っでも」


それでも七は気に掛けていたので、これを言いくるめるのには八も苦戦しました。


「そうだ、折角そんなに綺麗な髪を着ているんだ、その髪にぴったりな簪(かんざし)でも買ってやろう」


 まだ何か言いたそうな顔をしていましたが、そこは八の意を汲んでくれたのか、それ以上何も言いませんでした。


「ほんとは着物でも買ってやろうかと思っていたのだが、よく見るととても良いものを着ているしな」


 そう言うと七は少し複雑そうな顔で笑いました。


「母上が生前よく来ていた着物なのです。わたくしにはまだ少し大きいのですが、これぐらいしか持ち出させてもらえなかったので、せめていつも身に着けておこうと」


それを聞いて、八は小さく「そうか」とだけ言って、それ以上は何も聞かず、その店で一番高い簪を七に贈りました。

 二人にとって贈り物をするのもされるのも初めてでした。

 



 次に二人は芝居でも観ようと歩いていると、一本の木の下で泣いている子供がいました。

 そんな子供を七がほおっておくはずもなく、優しく尋ねるのです。


「どうして泣いているの?」


尋ねてみれば、しょうもないもので竹とんぼが木にひっかかってしまったのだそうです。

八はなんだそんなことかと思っていると、七は一生懸命竹とんぼを取ろうと、小さな体を目一杯伸ばしているのです。

泣いている子供よりは、幾分大きい七ですが、それでも竹とんぼの高さまでは全然届きません。

八は小さく嘆息すると、ひょいっと木に手を伸ばし竹とんぼをとってやりました。

それを子供に渡してやると、子供はお礼を言って駆けていきました。

八の背丈はこの時代には珍しく、すらっとしていて六尺(百八十センチ)ほどありました。

まぁ、妖怪なので人間の尺度で測るのもおかしな話ですが。


「もっと周りを見ろ。俺に頼ればいいだろうが」


 七はポケっとした顔をして言うのです。


「……すいません。今まで誰かに助けてもらったことなどなくて、考えも及びませんでした」


 そう言えば、八も人を助けるのは初めてだなと思い、こんなことでさえ初めてな二人はおかしくなって笑ってしまいました。

 その後二人は芝居を観ました。

 初めての芝居に七は大興奮でした。八はそんな七を見ているだけで嬉しくなって、まともに話が頭に入ってきませんでした。

 二人で芝居を見ていると、二人にとって言葉にできない感覚に陥りました。

 隣にいる相手が恋しくてたまらなくなってきたのです。

 この初めての感覚は、二人とも初めてなのに知っていました。


日も暮れかけた頃、二人は近くの丘に上がりました。

八は、ここから見える夕日がとてもきれいなことを知っていたので、どうしても七に見せてあげようと思ったのです。


「綺麗」


 その言葉が聞けて八は嬉しかったでしょう。


「日が沈めば、もうすぐ月もでる。今宵の月はまた格段と綺麗だぞ」

 

 ですが、忘れてはならないことがあります。

 もう七の命は半時もあるかわかりません。

 しかし、八なら。

 妖怪である八なら。

 妖怪である八は、自分の寿命を他の生き物に分け与えることができます。


「七、お前に言っておきたいことがあるんだ。」


 死期が迫っているのにもかかわらず、七は八に笑顔を向けます。


「何でございましょう?」


(こんな笑顔が、たった一日で失われていいはずがない)言わなければなりません。自分が妖怪であることを。

 例えそのことで、怖がられもう二度と会えなくても。


「……実は俺は妖怪なんだ」


(何を言っているのだろうと、信じてもらえないって可能性もあるか)

 七はキョトンとしたままです。


「はぁ?」


 と気の抜けた返事をするだけでした。それでも構わず八は続けます。


「お前は知らんかもしれんが、この世には人とはまた違った怪奇な生き物もいるということだ。それが俺なんだ。妖怪には不思議な力が山ほどある。俺の寿命をお前に分けることだってできるんだ。お前はこんなところで死んでいいやつじゃない。俺の寿命をもらってはくれんか?」


 要件をすべて言い終えると、八は七の顔を覗き込みます。

 するとそこには、いつも笑顔だった七の表情はありませんでした。

 怒っているようにさえ見えます。


「……なりません」


 七は静かに言い放ちます。


「なぜだ! 別に俺の寿命を全てやるわけじゃないんだ。たった十分の一かそこらだ。それだけでお前はばあさんぐらいまで生きながらえるんだ」


 簡単なことです。今日死ぬ運命にある者なら、だれでもすがりつくような話です。


「わたくしは友のものを奪ってまで生きたくはありません」


 でも、七は違ったのです。他の者とは違い、今日が彼女の全てだから。

 今日外に出て、まだ積み重ねた者のない彼女だから。

 命の価値も、意味も、まだ知らぬ彼女だから。

 命がどんなに惜しいことか、分かってない彼女だから。

 そう、八は思っていました。


「お前は、もっといろいろ知るべきだ。俺は千年近く生きているが、今日お前と出会うことで、今まで知らなかったたくさんのことが知れたんだ。千年だぞ。こんなに生きてもまだ知らないことがあったんだ。一日で死ぬなんて惜しいとは思わんのか? そうだ、なんなら今日のお礼だと思ってくれればいい」


 八は必死に叫びました。

 それでも七の心は変わりません。


「……これ以上言わせないでくださいませ。お礼というなら、私もです。八にはたくさんの初めてをもらいました」


 七の顔は明らかに怒っています。


「まだ足りないだろう! もっと笑って友達作って。もっと笑うだけじゃなく。苦労したり、考えたり、怒ったり、悲しんだりしてみろよ! 

 絶対楽しいから。それにな、俺はお前から教わったんだよ。

 文字通り一日の大切さってやつを、一日が何度も何度も繰り返されて、それをただただ無駄に過ごしていた俺に。  

 お前は体を張って教えてくれたじゃないか。今度は俺に体を張らせてくれ」


 気付いたら八は、頭を深く深く下げていました。それでも七の心は動かないのです。


「……生き物にはそれぞれ生きてる意味があるそうです。己に課せられた使命が。それがわたくしにとっては八に一日の大切さを教えることだった。そうは思ってくださいませんか?」


 八の体は小刻みに震えます。


「思えるわけがないだろう! お前はいいのかよ! こんな見ず知らずのやつにそんな事を教えるのが生きる意味なんて!」


 八は、七の健気さに視界が涙でかすんでいきます。

 そんな八に七は一歩近づいて、また満面の笑顔に、しかし目には大粒の涙を溜めて言うのです。


「……いいに決まってるじゃございませんか。好きな人に大切なことを教えてさしあげた。こんな幸せがありましょうか? わたくしにはできません。好きな人から何かを奪うなんて」


 その好きが友人としての好きではないことぐらい誰にだって伝わりましょう。



 そして、七は体を自由に動かすこともままならなくなり、八は静かに七を膝の上に寝かせます。

「月が綺麗ですね」

 段々と心臓の鼓動は緩やかになり、息も途切れ途切れになっていく中、そう七は呟きました。

「あぁ、ついていたな、これほど綺麗な月はもう一生見れまい」




 こうして妖怪いや八は七と出会った日から、また退屈な日々が続いていくのですが、その中に今までとは違った意味を見つけ出し、決して無駄になどせず大切に今もどこかで生きています。

 あの七との別れの時に八の考えたことは、今にして思えばとんだ考え違いだということがわかります。

 七は誰よりも命の価値や意味を理解し誰よりも命が惜しかったからこそ、生きてきた時間が多かろうが、少なかろうがそれを他人から奪うなんてことはしたくなかったのです。

ましてや、それが愛すべき人からならなおさらでしょう。

 これは昔々、一日しか生きられない少女七と千年も生きている妖怪八の早すぎる初恋と遅すぎる初恋を描いた十五夜のことでございました。

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