仮想と現実

 ウチのサークルの姫にせがまれちゃイヤとは言えねえ、とオレ・根岸仁は、その日、家に帰るとすぐにパソコンを立ち上げ、いつものネトゲにログインした。


「おかえりダーさん♡」

「ただいまハニー♡」


 モニターの映像がゲーム画面に切り替わるとすぐに、金髪の美少女がオレのことを出迎えてくれた。

 この子が、例のアテの子である。名前はシホル。オレとは、このゲーム内において婚姻関係にある。

 オレとシホルはこの場所、二人の家をログインポイントにしており、ゲームを始める度にまずここで会い、おかえりただいまと声をかけ合っている。バカップルと言うなかれ。

 オレはそんな充実したネットライフをこのゲーム内で過ごしていた。なお、ゲームでのオレの名はダーク。今考えるとイタい。ダーさんと呼ばれているのは、ダーリンという意味もあるが、ダークだからダーさんなのである。恥ずい。


「はい、ダーさん、あ~ん」


 シホルは食事を用意してオレの帰りを待ってくれていた。エプロン姿の金髪美少女に手ずから料理を食べさせてもらい、思わず鼻の下を伸ばし、モニターの前であ~んと口を開けてしまうオレ。


「おいしい?」

「うん、おいしい~」


 むろん、このゲームは味覚機能などはないので、味など全くしないのだが、俺は全開でこの美味な状況を楽しませてもらっていた。

 シホルの声は本当に可愛い。俺達はこのゲームに搭載されたボイスチャット機能を用いて音声でやり取りしているのだが、こんなに可愛い声をした子が実はネカマでした~ってオチは無いとオレは確信していた。

 オレは序盤の難所であるボス戦の前で、一人でプレイしていたシホルと出会った。ソロプレイではそのボスを倒せず行き詰ってる様子だったシホルにオレが声をかけ、二人でボスを攻略したのだ。

 それをきっかけに以降も組みようになった。プレイには人柄が表れるとオレは思っている。仲間の状態に常に気を配り、こまめに回復をしてくれる彼女の姿に、オレはどんどん惹かれていった。

 そうしてだんだんと仲良くなり、やがてオレはシホルと結婚した。オレは婚姻クエストをこなしクリア報酬の指輪を手に入れシホルに手渡し、二人でこの家を購入しホームポイントに設定した。ゲームの侵攻そっちのけで、二人でたくさんこのゲームの世界の中でデートもした。

 そういうわけだから、姫野に頼まれたからというだけではない。元々、リアルでシホルと会ってみたい気持ちがないわけではなかった。

 だから、オレは意を決して、シホルに切り出した。


「シホル、ちょっと聞いてほしい話があるんだ」

「ん? なぁに?」

「シホル、前に、俺達同じ学校に通ってるみたいだねって話したよね?」

「うん、偶然だね」

「それでさ、シホル、オレとリアルであってくれないか?」

「……え?」


 突然そんなことを言われたのだ。当然だが驚いた様子のシホル。だが、オレは怯まない。もう後には引けない。


「え~と、すぐにリアルでも付き合ってほしいっていうわけじゃなくて、もちろんゆくゆくはって思ってるんだけど、とりあえず、会ってほしいんだ。今、明かすけど、オレは現文部の根岸仁。知ってるかな? オレなんかでよかったら、会ってほしい」

「……し、知ってる。知ってます。私、去年、文化祭で部の展示行って、ゲームやりました。作ったゲーム、すごいなぁって思ってて」


 感心した様子で目を丸くしながら、彼女はそう言った。

 マジかよ! 玉砕覚悟で名乗ったら、案外悪くない感触だった!

 去年、現文部は今のゲームの前身版とでも言うべき、ゴーグルを通じて魔物の映像が現れて戦うARRPGの展示を文化祭で行っていた。まさか彼女がそれをプレイしていて、良く思ってくれていたとは。

 なら、ここを逃す手はない。オレは畳み掛けるように言った。


「本当に? 嬉しい。だったら、シホルも現文部に入って次のゲーム、一緒に作らない? きっと楽しいと思うから。カードゲームにサバゲーとRPGの要素をプラスしたようなゲームで、なんというかさ、作ってて夢を見れるゲームなんだよ」


 しかし、その誘いを聞くと、シホルは表情を曇らせて俯き、ぽつりと言った。


「……ごめんなさい。私達、会わない方がいいと思う」


「どうして?」


「だって、リアルの私は、こんなに可愛くないから」


 まるで懺悔をするかのような声色に、オレは戸惑いを覚えた。

 彼女の口ぶりから、自分に対する自信の無さが並大抵のものではないことが感じ取れた。


「いやそんな、見た目なんて問わないよ。オレだって陰キャだし。オレは君自身のことが好きだから、会いたいんだ」


 だから、わきまえているつもりだということを伝えてみたのだが、しかし、やはりとりなすオレの言葉にかぶりを振って、シホルは続けた。


「私、見た目が良くないから、誰にも相手にしてもらえなくて、昔からずっと一人だった。私だって本当はダーさんとリアルで会ってみたい。でも、会ったらきっと、ダーさんも幻滅すると思う。私達、会わない方が幸せだよ、きっと」


「違う! オレは君がどんなに可愛くて良い子なのか知ってる! どんな見た目をしてようともオレの気持ちは変わらない! だからオレと会ってくれシホル!」


 見た目じゃないんだ。必死にそう訴えるが、しかし彼女の気持ちを押し止めることができない。


「ごめんなさい。私、できない。できない。詐欺みたいなことしてごめんね。私だって女だし、一度くらい男の子にちやほやされてみたかったの。……こんな世界だったら、みんな幸せになれるのに。見た目を自分で決められて、生まれ付きのハンデに悩むこともない。ずっとこんな仮想の世界の中で生きていたかった。……素敵な時間をありがとう。さようならダーさん」


「待って! 待って――!」


 あまりに切ない言葉を残して、シホルは姿を消した。ログアウトしてしまった。


「シホル―――!」


 彼女を求める俺の叫びが、二人の部屋に虚しく響いた。


 その日から、何日経っただろうか。オレはただひたすら待った。ゲームに、現文研の部室に、シホルが現れるその時を。

 いつかログインした彼女が目にしてくれることを期待して、ゲームの二人の家に書置きを残して、ただずっと、何日も何日も待った。


 そして、ある日のことだった。放課後、部活へと向かうと、部室の前に、小さな人影があった。

 それを目にした瞬間に、オレは全てを悟った。にわかに跳ね上がる鼓動。

 視線が交差すると、緊張のあまり硬直するオレに歩み寄り、彼女は言った。


「……はじめましてダーさん。シホルです。本名は、小谷詩帆といいます。書置き、読みました」


 彼女がずっと一人だったと言っていたことを受けて、俺は二人の部屋にこんな書き置きを残していた。


 出会った時のこと、覚えてる? 俺達は一人じゃあのボスを倒せなくて、その先の世界を見ることができなかった。

 オレはオタクだから一人でいることも好きだ。だけど、一人だけじゃ見ることができない世界だってあるんだ。だから、オレと一緒にゲームを作ろう。とびきりのものを見せるから。


「こんな私でも、一緒に連れて行ってくれますか? 一人じゃ見ることのできない世界に」


 一体どれだけの勇気を出して、会いに来てくれたのであろうか。


「シホル――――っ!」


 その姿を見るや、溢れてきた熱い想いに衝き動かされ、オレは弾かれたように駆け出し、無我夢中で彼女のことを抱き締めた。



「はい、ジンさん、あ~ん」

「あ~ん。うまぁぁぁい!」


 味がする! 味がするぞぉぉ――!


 その後のある日の昼休みのこと、オレは詩帆が作ってきてくれたお弁当を食べていた。食べさせてもらっていた。

 やっていることはゲームと同じでもリアルでは味がすることに感動を覚えるオレ。


「ふふ、お口に合ったみたいでよかったです」

「いや~、もう胃袋まで掴まれちゃったな~」

「も~、ジンさんったら~」


 誰がなんと言おうと、文句なしの、百点満点の笑顔が、そこにはあった。

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