Chap.7 Nana’s memory.764 18th July 1861
「ベリンダ様、おかしなところはございませんか?」
「ばっちり、最高」
ベリンダ様は何故か目元を覆い親指を立てられています。
私は私自身を分析します。
用意していただいた洋服。
レースをふんだんに使った茶色のロングスカート。下部には下地の白が少し見えています。白のフリルシャツ。半分の袖が柔らかに膨らんでいます。首元は人造人間認証番号を隠すためでしょう。襟が高いです。羽の形を模した飾りギアのついた髪飾り。胸元には赤い石がはめ込まれたペンダント。靴は黒のショートブーツ。
「メイドの服装としてはおかしいと思うのですが」
そういうとベリンダ様は首を横に振られます。
「おかしくない、完璧。それに、今日は立場を忘れて楽しめばいいよ」
いつものように明るい笑顔でベリンダ様はおっしゃります。
「なんせ、今日の主役はナナちゃんなんだから」
「お待たせいたしました」
ベリンダ様のお宅で身支度を整え、博士をお迎えに戻ります。
扉をノックすると、黒のズボンに茶色のブーツ、カッターシャツがよくお似合いの博士がいらっしゃいました。いつもと少し雰囲気が違われています。髪も綺麗に整えられており、とても輝いて見えます。それに、何より、お付けになったループタイの留め具が私と同じ赤の石がはめ込まれたものなのです。
心拍数が上がります。博士が私を見つめられます。胸が大きな音を立てます。
博士が私から視線を逸らされました。
悲しみが検知されます。やはり、この格好は変なのでしょうか。
ベリンダ様が博士に問いかけられます。
「おいおい、はかせー。ここにこんな可愛い女の子がいるのに無言かー?」
「それは……その」
「ナナちゃんに可愛い恰好をさせろって言ったのは誰だっけなぁ」
意地悪くベリンダ様がおっしゃられます。私は首を傾げます。
「この格好はベリンダ様からのプレゼントとお伺いしているのですが」
「実は違うんだ、ナナちゃん。それはな――」
「ああああああ!もういいだろ⁉行くぞ!」
博士が大声をあげられ、ベリンダ様の声を遮ってしまわれます。大股で歩き出す博士に私とベリンダ様は小走りでついていきます。
博士の足が止まります。
「よく、似合ってる」
それだけ言うと博士はまた歩き出されました。
私の頭に血が上ります。心拍数がさらに上がり、心臓に負荷がかかっています。思わず胸を押さえました。
ベリンダ様が目を見開いていらっしゃいます。
「ナナちゃんもしかして、エディのこと……」
「博士のことがどうかされましたか?」
私が問いにベリンダ様から答えはいただけず、満面の笑みを返されてしまいました。
「いいねぇ!ナナちゃん、自分の気持ちに正直にな」
そういってベリンダ様は駆け出し、先を行く博士の背をはたかれました。
「羨ましいぞ」
「何がだ⁉」
お二人が楽しそうで私は嬉しいです。だけど、どこかおかしく、胸に何かがつかえています。
博士が振り返られます。
「ナナ、置いていくぞ」
「今行きます!」
私はお二人に置いて行かれぬように速足で駆けました。
遊園地。それは鉄と鋼に覆われた夢の世界。
「うわぁ」
思わず感嘆の声が上がります。
噴き出す蒸気、回る歯車、あふれかえる人。中には奇妙な格好をされた方もいます。
「防毒マスクをされている方がたくさんいらっしゃいます。何か毒があるのでしょうか?」
「ああ、違う違う。
ベリンダ様が愉快そうに笑われます。私はあたりを見渡します。気になるものを発見しました。
「では、あの鳥型のマスクをされた方もそうですか?」
「そうだ、あれはペストマスクといってだな疫病がはやったときに医師がつけていたものだ。それが仮装遊び使われるなど、世も末だがな」
博士は皮肉っぽく笑われます。ベリンダ様の言葉で表すとシニカルを気取ってやんのというものです。
空には鳥型飛行蒸気船が飛び交います。それに手を振る人々。地面には線路が引かれ機械人形が運転する汽車が園内のお客様を運びます。何といっても周りには遊具が多数。囁き声がレバーを回せば空一帯に広がる大声になったり、歯車銃で的を打ち抜いたり。見たことのないものばかりで情報処理が追い付きません。
「ナナ、周りを見渡すのはいいがはぐれるなよ」
博士の声に我に返り、恥ずかしくなります。
「申し訳ありません。人造人間でありながらこのように興奮してしまうなどはしたないです」
「あっはは!いいじゃないか!今日はナナちゃんが楽しむ日だからさ!」
そういってベリンダ様が快活に笑われます。
「大丈夫、私とエディがしっかりついていくから好きに見て、好きに遊びな」
「好きに、ですか」
「そうだ」
博士がいつもの、ベリンダ様の言うえらそうな笑顔でおっしゃります。
「お前は好奇心の強い人造人間だ。普段から遠慮はいらないというがメイドという立場ではなかなかそうもいかないだろう。だが、今日はお前のための日だ。お前の好奇心の赴くままに好きに動くといい」
「好奇心の赴くままに……」
私はあたりを見渡します。
見たい、知りたいものがたくさんあります。まず気になるのは曲線を描く巨大な鉄の線路の上に小さな箱が走る遊具。
「あれは何ですか?」
「あれは
「そういったうんちくはいらないから。早速乗りに行こうぜ!」
ベリンダ様が博士の言葉を遮られ、そちらに向けて足を進められます。博士は動かれません。
私は首を傾げます。
「博士?」
「俺は下で待っている。ベリンダと二人で行ってこい」
「そう、ですか」
さみしさ、という感情を検知しました。ベリンダ様が博士の肩に手をかけられます。
「お前ももちろん乗るだろ?」
「乗らない」
「ははーん、そうか」
ベリンダ様が私に耳打ちなされます。
「あの博士、鎖式高速走行遊具怖いんだってよ」
「へ?」
私は不思議に思います。
「遊具が怖いのですか?」
「そう、遊具が怖いんだ」
ベリンダ様の肯定で、博士の顔にわずかな怒りを検知します。
「乗れば、いいんだろ」
「博士、顔が引きつっていらっしゃいます。やめたほうが良いのではないでしょうか」
「引きつってなんかいない」
「いや、引きつってるわ」
ベリンダ様が楽しそうにおっしゃります。博士はもう一度同じ言葉を繰り返すと、私に言葉をくださいました。
「ナナ、行くぞ」
私は頷きます。
博士と一緒にあの遊具で遊べて嬉しい。
「やはり、お止めしたほうがよろしかったですね」
私はうつむきます。
鎖式高速走行遊具。風を感じることができ、とても、清々しい気分になる乗り物でしたが博士にとっては真逆だったようです。
博士はベンチに深々と腰を掛け、天を仰いでいらっしゃいます。私は頭を下げます。
「申し訳ありません」
「いや……一度も乗ったことがなかったから、こう、やはり仮説通りだったのだと検証ができた。よい経験を、した……」
息も絶え絶えでいらっしゃいます。
ベリンダ様はそんな博士を無視し、博士を挟んで園内地図を私に見せてくださります。
「ナナちゃん、次どこ行きたい?」
「とりあえず、博士がお休みできるところに」
「俺のことは……気にするな」
やはり息も絶え絶えでいらっしゃいます。
地図の中に見覚えのある文字を発見しました。
「これに行きたいです!」
「
「恐怖館です!」
ベリンダ様のお言葉に私は返します。
「恐怖館は大変涼しい演劇のことと聞いております!鎖式高速走行遊具の疲れも癒えるのではないでしょうか」
隣で博士の顔から血の気が引き、そのまた向こうのベリンダ様が吹き出されました。
「あはは!ナナちゃん最高!」
「最高?何がですか?」
「こいつ、苦手なんだよ、恐怖館」
博士が顔を逸らされました。ベリンダ様はさも愉快そうにお話しされます。
「科学者のくせに非科学的なものが怖いんだぜ」
「怖いとは言っていない。解析できないものに興味はない」
「おい、エディ。背後に女がいるぞ」
「ええ⁉」
博士が声を上げ、私を振り返られます。ベリンダ様がお腹を抱えていらっしゃいます。
「な、ナナちゃんがいるの、当然だろ」
「ベリンダ……」
博士の額に青筋が浮かぶのがわかりました。ベリンダ様が笑いながら教えてくださります。
「エディ、昔、女の幽霊にあったことがあるんだ」
「女の幽霊ですか?」
「そう。夜、墓場で肝試しをしたときに会ったんだ。真っ赤な服を着た女と」
博士が頭を抱えられます。
「そう、幽霊を模したベリンダにな」
「あはは!あれは傑作だった!ナナちゃんにも見せてあげたかったよ!悲鳴を上げて、越し抜かしたエディをさあ」
「お前はもう口を開くな」
博士は怒っていらっしゃいますが、その光景が平和なものだと私は知っています。
だけど、少し悲しいです。
博士にもベリンダ様にも、過去があります。過去があって、今があって、未来があります。
私には今しかありません。博士のもとで過ごさせていただいている今しか。
十年後も博士のお傍にいられる可能性は二十パーセント。だけど、ベリンダ様はご本人が望めば可能性はいくらでも開くことができます。
とても、ずるい、と思いました。
博士が立ち上がられます。
「喉が渇いた。買ってくる」
「いえ、私が」
「気晴らしに行って来るだけだ。ナナはココアでいいな。ベリンダには買ってきてやらん」
「炭酸飲料よろしく」
「お前の分は買わんといってるだろう」
博士の背中が見えなくなります。ベリンダ様が私の隣に席を移動されます。園内地図を見ながら次はどこへ行こうかとお話されます。
しばらくして、ベリンダ様がグリーンの瞳で私を覗き込まれます。
「ナナちゃん、浮かない顔をしてるね。どうしたの?」
「私、おかしいのです」
謎の現象が起きています。手が震えています。ベリンダ様が優しいお声を下さります。
「大丈夫だよ、ナナちゃん。誰にも言わないから話してごらん」
ベリンダ様はとても素晴らしいお方です。博士にこそ意地悪をされますが、とても強くて優しい方だと知っています。だがら、私はそのご厚意に甘え、以前よりずっと気になっていたことをお尋ねします。
「ベリンダ様は、博士のことを愛していますか?」
「え?あいつ?ないわ。腐れ縁なだけ」
「そう、ですか」
その言葉にほっとした自分を検知してしまいました。私はわかってしまったのです。
だけど、私は人造人間です。
「私はベリンダ様に憧れています」
「私に?」
「はい、そして嫉妬しているのです」
ベリンダ様が目を見開かれました。私はいたたまれなくて目を逸らしてしまいます。
「私はベリンダ様が恨めしく、憎く、ずるいと思いました。私がどれだけベリンダ様を、いえ、人間の皆様を模倣しようとも、私はどこまで行っても人形でしかないのに」
「ナナちゃん、やっぱり――」
「どうしましょう、ベリンダ様。私、悪い人造人間です」
なぜなら人造人間は……。だけど、ベリンダ様は優しく微笑んでおられて――。
ガシャン。
ガラス瓶に入った飲み物が地面に飛び散りました。ベリンダ様が苦笑される。
「おいおい、エディ。なに呆けてんだよ」
だけど、博士にはベリンダ様の言葉など耳に入ってもいないご様子で、私に問いかけられます。
「ナナ、人間が恨めしいと言ったか?」
「え」
「憎いと言ったか?」
「は、はい」
聞かれていた羞恥や焦りより、目の前の博士の圧に私はどうすることもできず、肯定します。博士の口元が歪んだのが見えました。
そこからも楽しかったのに、あの笑みだけが頭について離れません。
ベリンダ様と別れて、博士とともに帰路に就きます。
玄関を通り、明かりをともさないリビングで博士が私を振り返られます。
「ナナ、憎しみ、恨み、ずるい?その感情はどこで手に入れたんだ?」
窓から差し込む月明かりが博士のブラウンの瞳を奇妙な色に輝かせます。いつもの博士と何かが違います。
私は問いへの答えを探します。ですが見つかりません。人造人間が本来持ってはいけない感情、これがどこから出てきたか。その答えなど。
私は答えます。
「わかりません」
「そうか……。へぇ、そうか」
博士が笑顔を見せられます。だけど、それは皮肉の笑みではなく、いつものしたり顔でもなく、まして幸福の笑みでもない、とても怖い笑みでした。
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