Chap.5 6th August 1863
ソファで眠るナナ。昨日、少し無理をさせてしまったようだ。
エディはコーヒーを飲みながら反省する。
ナナほど興味が尽きない
しかしながら、もう遊園地に行ったとき以降の記憶は消えている。エディに抱く恐怖はゼロに等しくなっているはずだ。
エディは口元を歪める。
現在のデータを解析しながらナナの人間らしさはどこから来たかを探り出す。
その一方でナナに新たな感情を植え付け、それを彼女がどこまで人間らしく再現できるかを観察する。
二つの実験の同時並行。これほど胸が躍るものはない。
「ん……」
ソファの上でナナがうなった。そして、飛び起きる。
「朝ご飯!」
その言葉にエディは思わず吹き出した。そして、未だ湧き上がる笑いを殺しながらナナを見やる。
「大丈夫だ。作ってある」
「申し訳ありません、メイドとして雇われているというのに……!」
「いいから、席につけ」
隣の席を勧めるとナナはおとなしくそこに座った。そして顔を覆う。
「これは由々しき問題です。ナナはクビでしょうか……」
「まさか。お前はずっとここにいればいい。いや、いるべきだ」
思わず口をついた本音。ふっとナナの動きが止まる。
「どうした?」
「博士、一つお伺いしたいことがございます」
「なんでも聞くといい」
ナナの眼には戸惑い。
おかしい。疑念になるような記憶はすべて奪ったはずだ。なのに、どうしてこんな不安げな表情をする?
予想外。それはとても楽しい。
ナナがエディを見つめる。
「博士。その、今、私のために記憶の整理をしてくださっているのですよね?」
「ああそうだ」
そういうことにしている。
今ナナに説明しているのはこうだ。
ナナの脳に記憶が消えていくバグが発生している。そのバグに記憶を削除させないように記録媒体に移しているのだと。
それを疑っているのか。否――。
「その記憶はいつ、私に戻していただけますか?」
エディは目を見開いた。
ナナには説明している。思い出さないほうがいいほどつらい経験をした。そのショックのせいでバグが発生したのだと。
エディは努めて優しい声で言う。
「戻さないほうがいい。ナナに辛い思いはさせたくない」
「でも……」
「でも?」
ナナはうつむく。
「とても不安なのです。何か恐ろしいほど大切なことを忘れている気がして」
その作り物らしい真っ青な目がエディを見つめる。
「博士を見ると心がざわつくのです。不安?恐怖?そのような漠然としたものに心が支配されるのです」
「不安、恐怖、か」
エディは顎に手をやり、考える。
恐怖の根源は取り除いたがどこか脳に記憶のかけらが残っているのだろうか。これはナナに新たな感情を植え付けるのには障害となる。
ナナはおとなしく答えを待っている。エディは小さく笑う。
「俺を見ると不安を覚える、か」
「はい」
「それは俺の存在が不安なのか?」
「それは――」
ナナは答えに詰まるが首を横に振る。
「それは違います」
「そうか」
少しの沈黙。
脳を弄り処理するか。エディの考えをナナの声が遮る。
「博士がどこか遠くへ行ってしまう気がするのです」
「は?」
エディは思わず間の抜けた声を出した。だが、ナナの瞳は真剣そのもの。
「博士」
すがるようなその瞳。
遠くへ行くとはどういうことか。距離のことか。それとも――。
「俺は変わらずここにいる」
嘘をつく。
本当は離れている。もう、ナナの知る己からは遠く、遠く。
「ナナ、ありがとう」
「……どうされましたか?」
不安げなその瞳にエディは優しく言葉にした。
「その不安は俺のことを思ってくれてのことだろう?」
「……。そうなのでしょうか?」
「そうなんだ、きっと」
膝の上で握りしめられたナナの手を撫でる。
「ナナ、それは恋だ」
「こ、い?」
「そう。ナナが俺を特別に思っている証拠だ」
ナナの戸惑いが手を取るようにわかる。
「駄目です。人造人間が人間に恋することは禁止されています。また、そう設定されているはずです」
「ナナはそれを超えた特別な人造人間なんだ」
「ですが――」
「嬉しい。ありがとう、ナナ」
そういうと彼女は黙り込んだ。
その一日のナナの経過観察をしていると、明らかにこちらを意識しているのがわかる。初々しい。まるで初恋に戸惑う少女のようだ。
エディは深く満足する。
そして、楽しみでならない。
ナナを休ませて三日後。あの運命の変わり目、遊園地での記憶を取り出す。
彼女が人間に対する嫉妬を打ち明けたあの日のことだ。
エディはあの日から狂った。己の欲を抑えきれなくなった。
嫉妬という負の感情を持ち合わせる人造人間をどこまでも調べ尽くしたくなった。
エディは地下の実験室で準備を整える。
「楽しみだなぁ」
その呟きは窓のない部屋に反響して、そのうち消えた。
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