私が恨まれちゃうから

 ノゾムの遺体は、サカキ・ウラゾエという男が、


「私なら能力者開発を可能にすることができます」


 と言い張って預かり、調べることになった。


「これ、研究データです」 


 トウシロウは上から言われた通り――すでに改ざん済みの――データをサカキに渡そうとしたのだが、


「失敗したデータなどいるか」


 と一蹴され受け取ってすらもらえなかった。


 トウシロウはサカキの頭脳をそこそこ認めており、もしかすると虚偽の報告がばれるかもしれないという不安があったので、サカキの無駄なプライドに逆に感謝した。


「サカキさん。どうですか? 研究の方は」

「お前に教える必要などない!」


 それとなく進展を聞いてみたが、心配するようなことは何もなかった。

 その後すぐに、トウシロウの研究室から改ざん済みのデータが盗まれるという事件があったのだが、それも杞憂に終わった。


 サカキの研究も失敗に終わったのだ。


 そして、その頃ようやくトウシロウはノゾムの家族と会う覚悟を決めていた。


 あの失態から三カ月。

 あまりにも遅すぎると思う。

 けれど、どれだけたったとしても自分の口で言わなければいけない。


 ノゾムの家族は、ノゾムが能力者になろうとしていたことを知らないから。

 父親に続いて息子までもが死に、遺体すら帰って来ない。

 死んだ理由もはっきりしない。


 伝えなければいけないと思った。

 真実を言わなければいけないと思った。


 ノゾムとは、テツと同じく小さい頃からの付き合いだったが、家族とはあまり顔を合わせたことがなかった。

 確かノゾムには、年子の妹がいたはずだ。

 最後に会ったのは、いくつの時だっただろう。


「でも、どうやって……」


 ノゾムの母親に謝ればいいのだろう。

 真っすぐ謝罪するしかないけれど、どこかでノゾムの死に対して言いわけをしたい自分がいるのだ。

 ノゾム自身が被験者になることを志願したんだから――。


「俺は、バカだ。弱虫だ。うぬぼれてたんだ」


 天才だからできないと言えない自分の、陳腐なプライドのため。


 国がのためなんて、この国の人たちを守るためなんて嘘っぱちだ。


 全てはトウシロウ・アガヅマという人間のイメージを守るため。


 能力者としての自分、天才として産まれてきた自分の存在意義を守るため。


 トウシロウ・アガヅマは、自分自身が何より大事だったのだ。


 だから、家族や友達を平気で被検体にできたのだ。


「ノゾム……俺は……」


 トウシロウは今、ノゾムの住んでいた家の前に立っている。

 ゆっくりと二回、扉をノックする。


「はい、どちら様で?」


 覇気のない声が聞こえてから、扉が開く。

 憔悴しきった顔の女性が表れた。

 白髪交じりの髪はぺたりとへたっている。

 頬にいくつも染みがあって、顔色は相当悪い。


「トウシロウ。・アガヅマです」


 言い終わった瞬間に奥歯を噛みしめる。

 涙が出てきた。


「えっと、ノゾムのお友達……よね。久しぶり。さぁ、あがって」


 気丈に振る舞ってくれるその態度が、苦しいんです。

 トウシロウは頭を下げ、必死に謝っていた。


「ごめんなさい。俺が、俺が……あなたの大事な息子さんを殺してしまいました。俺が、俺が失敗したばっかりに」


 トウシロウは全てを話した。

 言い終わっても顔を上げられなかった。



「そんな。謝らないで」


 少しの間があってから、ノゾムの母親の声がした。


「私の方こそごめんなさいね」


 トウシロウの右肩に手が添えられる。


「きっとノゾムが無理言ったんでしょ? だってあの子、父親が死んでからちょっとおかしくて。目が怖くて」

「俺も、それは知ってました。その目を見てるのが、俺は辛かったんです」

「そう。それで、あなたも断れなかったのね」

「違うんです。俺は、利用しただけ」

「ノゾム、言ってたの。あなたに能力者にしてもらうって、強くなってくるって……笑ってたわ。だから、後悔だけはしていないと思うの」


 ノゾムの母親は優しかった。

 ノゾムには嘘をつかれていたことが分かった。


「えっ? 知ってたんですか? ノゾムが、能力者になるって」

「ええ」

「そう、だったんですか」


 トウシロウはゆっくりと呟く。

 嘘をつかれた理由が、分からない。


 なぁ、何でお前はそんな、嘘をついたんだ?


 今さら考えても、もうどうしようもないのだけど。


 トウシロウは狂ったように叫び出していた。


「そうじゃないんです。俺が提案したんです。だって、俺はノゾムの父親が死んだ本当の理由を知っていたから。それを……機密事項だからって教えなかったから」


 唾液を飲み込むこともできなくて、開いた口の舌先から地面に落ちる。


「そう……だったの。でも、言えなかったのは、ノゾムのことを巻き込みたくなかったからでしょ? 親友だったからでしょ?」

「違います! 俺はあなたが思うほど、みんなが思っているほど天才じゃない。いい人間じゃないから………」


 大事な存在を守れない大馬鹿野郎なんだ。


「それに俺、最後にノゾムから、『ごめん』って言われてしまったんです。謝るのは、俺の方だったのに……」

「人は誰だって失敗するものよ。失敗しない人間なんていない。だから、もうそうやって自分を責めないで。……だって、あなたがそうだったら私は――」


 ノゾムの母親はそこで言葉を止めた。

 なかなか続きを言わないので、トウシロウは顔を上げて、ノゾムの母親を見る。


 ノゾムの母親は、口元だけで笑っていた。


「あなたがそんなこと言うたびに、私は便。この手で


 人の声は一瞬でここまで黒く染まるのか。

 

 トウシロウは戦慄する。


「だから……もう私の前に表れないでくれるかしら」

「いいですよ。俺のことなんか……責めても」


 トウシロウは目を伏せてしまう。


「それは無理よ」

「どうしてですか! 首を絞めてもいい、ナイフで刺してくれたっていい。だから……もっと憎んでください。息子の命を奪ったこの俺に、笑顔なんて見せないでください」

「だから無理なのよ、だって、そんなことした、私がノゾムに恨まれちゃう」


 ノゾムの母親にそう言われた瞬間、トウシロウは何も言えなくなった。


「俺の大事な友達を傷つけるなって、私が怒られちゃう。だから、あなたは悪くない。だから、もう私の前に表れないでね。ノゾムに恨まれたくないの」


 ノゾムの母親から、体を軽く突き飛ばされる。

 トウシロウは尻餅をついていた。


「さようなら」


 ノゾムの母親は扉を閉めた。


 本当に、この世界はどうしようもなく優しくて、残酷だ。


「ごめんなさい。失礼します」


 トウシロウは下を向いて、言われた通りその場から立ち去った。


 

 *****



「お母さん何で? あの人なんでしょ? お兄ちゃんを……殺したの。何で、何もしないで追い返しちゃうの?」


 閉められた扉の内側で蹲り、涙するノゾムの母親に声をかける女の子がいた。


 部屋の中から先程のやり取りを盗み聞きしていた娘が近づいて母親に声をかけたのだ。


「サツキまでそんなこと言わないで。そんな怖い顔しないで。これに関しては誰も悪くないの。誰も……悪くないの」

「どうして! あの人にお兄ちゃんは殺されたんだよ? ……だったら私は、あいつが憎いよ。生きてるのが許せないよ」


 母親の両肩を掴んだ娘は怒り狂った表情を浮かべている


「ダメよ。サツキまで……そんな顔しないで」


 母親は娘を抱きしめ、優しく諭す。


「仕方ないことなの。お父さんも、ノゾムのことも。本当は、お母さんだってどうにかなりそうだったわ」

「だったら」

「だからこそ、あなたまでいなくならないで。バカなこと考えて、私の前から消えないで。お願いだから」


 娘は何も言わず、母親の強すぎる抱擁を黙って受け入れた。


 それくらいなら、どれだけ続いたって我慢しよう。


 サツキ・キリガヤは、母親が泣き止むのを待ち続けていた。


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