アヤとトウシロウの出会い。

「……たったこれだけ」


 財布を地面に叩きつけたアヤは、その中に入っていた小銭を握りしめていた。

 せっかく財布を盗むことに成功したというのに、利益がこれだけ。

 本当に、いらつく。

 自分にも、テツ兄に対しても。


「……何で、帰って来ないんだよ」


 わかっている。

 死んだって知っている。


 でも、信じたっていいじゃないか。


 帰ってくるかもしれないって。


 この世界のどこかで、生きてるんじゃないかって。


 何度こうして泣いたことだろう。

 テツ兄がいなくなって、絶望して、死のうと思って家に火をつけたのに、死ねなくて。


 今はこうして生活していくのがやっと。

 生きているのとは違う。

 ある目的を果たすためだけに息をしている。

 この感情をどうしたらいいというんだ!


 アヤの手からお金が地面の上にすべり落ちていく。

 お金が欲しいわけじゃない。

 でもお金がないと生きていけない。

 こんなふうに涙を流さずに生きていきたかった。


「帰って、きてよ。待ってるから」


 アヤの手から落ちたお金の一つが、ころころと転がっていく。

 茶色の靴に当たって止まる。

 その靴を履いていた男は、しばらくそのお金を見つめた後で拾い上げると、アヤの元にゆっくりと近づいて来た。


「これ、落としたよ。君のでしょ?」

「……いらないんです」

「君のものなのに?」

「いらないんです!」


 袖口で涙を拭いながら、アヤは強がる。


「そっか……。やっぱりよく似てる。……君、今日から俺の家で一緒に住むかい?」

「えっ?」


 一緒に住む?

 なに?

 それはメイドとして? 娼婦として? 奴隷として?


 アヤは腕で涙を拭って顔を上げ、その男の顔を見た。


「嫌かい? 住むところがないんだろ?」


 その男の笑顔は柔らかかった。

 何か酷いことをしようとは考えていないみたいだ。

 そのにこやかな顔に似合わない頬の青白さが、少しだけ不気味だった。


「何で、そのこと知ってるんですか? 私が、住む家がないこと」

「ああ、それはまあ……君の身なりを見たらね」

「英雄には何もかもお見通しってわけですね」


 アヤは右手をポケットにつっこみ、中に入っている瓶を握りしめていた。

 あいつ言われた通りにしたら、本当に英雄がやってきた。


「英雄……ま、そうだね。その通りだ。英雄にはすべてお見通しだ」

「その英雄さんが、どうして私と一緒に住もうなんて言い出すんですか? さっきのお金、実は盗んだものなんです」

「盗みをするのは……仕方ないからだろ? 俺は一応……英雄やってるから、それくらいは分かってるつもりだよ?」


 皮肉じみた言い方だと、アヤは思った。

 目の前の男は、英雄と呼ばれることを全く誇らしく思ってないどころか、むしろ嫌っているように見える。


 アヤが抱いていた英雄像とはかけ離れていた。


「それにここでこうして出会ったからさ。俺は偶然を信じるたちなんだ。おせっかい焼いちゃうんだ。だから君も仕方ないと思って……俺の英雄ごっこに付き合ってくれないか?」


 英雄は悲しげに微笑んでいる。


 アヤはそんな英雄の哀れな姿から目を逸らし、ゆっくりと口を開いた。


「……まぁ、いいですけど。家がないのは本当のことですし」


 奥歯が砕けそうなくらい体に力が入っているのが自分でもわかる。

 これから、自分がなにをしようとしているのか、考えると、怖くて仕方がない。


「じゃあ、決まりだ。……えぇと、その、君の名前は?」

「アヤです。……家族はもういません」


 何でその情報を言ってしまったのだろう。


 聞かれてもないのに、言う必要なんかなかったのに。


 ――相手が英雄だからかもしれない。


「うん……知ってるよ。全部」


 英雄は頬をぽりぽりかきながら、


「じゃあ、アヤ。これからは俺と、俺の弟が新しい家族だ」

「あなたに弟……いたんですか?」

「ああ、君と同い年だったと思うから、仲良くしてやってくれ」

「……はい。分かりました」


 こうして、アヤとトウシロウは出会ったのだ。

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