居候、じゃなくて家族。


 機嫌を悪くしたアヤは、俺からぶんどったカレーライスも合わせて完食した。


 俺は、休憩を挟むことなくゲキまずカレーを食べ続けるアヤを見て、尊敬の念を抱いた。


 百日飲まず食わずの人だって、飢えに飢えた狼だって、こんなカレーは食べないだろう。

 ってか完食したら死ぬ気がする。


「まあ、ようはあれだな。見た目は美味しそうなんだから、調味料とかの問題かもな? ほら? 本当に料理下手な人は、見た目もグロテスクなもの作ったりするから。何が問題か分かってるだけましだって。すぐにうまい料理作れるようになるって」

「私はこれで美味しいと思うんですぅ。そんなの気にしてないんですぅ」

「まあ、そう言わずにさ、ね?」


 俺は必死にアヤを説得する。

 万が一。アヤが作った料理を兄ちゃんが食べて死んでしまったら、国が滅ぶ。


 また戦争が始まるかもしれない。


 これは世界のためなんだ!


「……じゃあ、まあ、その……仕方なくよ! あなたの意味不明な味覚に合わせてあげるために、本当に仕方なく付き合ってあげる」


 兄ちゃん。


 俺、世界を救ったよ。


 ってかこの国には『氷』の能力者であり頭脳明晰な兄ちゃんの他に、料理で全てを支配できるアヤまでいるのか。

 

 なにそれ最強国じゃね?


「そうしてくれると助かるよ、ありがとう。でも意味不明な味覚の持ち主はおま――」

「何? 何か文句あるの?」


 鋭い視線で睨み付けられ、俺はなすすべなくひれ伏す。


「はい。何でもございません」

「最初からそう言えばいいのよ」


 アヤは勝ち誇った笑みを浮かべてから立ち上がり、食器を流しへ持っていく。


「ああ、洗うのは俺がやるから。一応、最強へい――じゃなくて料理作ってもらったわけだし」


 やべぇ。

 あやうく、最強兵器って言い間違えるところだった。


「別に……。居候させてもらってるんだから、料理も皿洗いもするわよ。ヒサトは座ってて」


 アヤはピシャリと言って、食器を洗い出す。


 ほんと、こいつのこういうところ、マジで気にくわねぇ。


「居候じゃなくて、家族、だろ?」


 アヤの動作がビクッと止まり、また動き出す。


「……血、つながってないから」

「一緒に住んでるじゃん」

「うるさい。ちょっと黙れ」


 振り返ったアヤに睨まれる。

 しかしすぐアヤは「……家族」と自分の心に言い聞かせるようにして呟いた。

 すぐに首を左右に振って、食器洗いを再開した。


「家族なんて、そんなの、もう」

「まあ、とにかく! 俺の兄ちゃんが決めたことだからさ」


 あれ。

 何でこんなにあせっているんだろう。


「お前も知ってるかもしれないけど、俺の兄ちゃん凄いからさ。頭良すぎて、時々考えてること分からなかったりするけど、でも……兄ちゃんがやってきたことに間違いは……その、まあ……ないと思うから」


 断定できなかった。


 兄のやってきたことは一方では完璧、もう一方では間違い。

 それは五十パーセントずつといったわけではなく、どちらも百パーセント。


 完璧であり、間違いでもあるということ。


「……そんなの、知ってる」


 食器を洗い終えたアヤは、俺に背を向けたまま、背中を少しだけ丸めた。


「けど、家族って言ってくれて、その……ありがと」


 振り返ったアヤは、見ているものの心を締め上げる、儚げな笑みを浮かべていた。


「本当に、ヒサトは優しいのね。こんな私を家族だと認めてくれて、一緒に住まわせてくれて。何か……あなたの優しいところって、私のお兄ちゃんに似てる気がする。だから……本当に申しわけないって思うし、ありがたいと思わなくちゃなんだけど」

「……お前にも、兄がいるのか」

「まあ、もう死んじゃったんだけどね。こんな可愛い妹残して死ぬなんて、私の兄ちゃんってほんとばかでしょ?」


 俺の隣の椅子に座りながら、アヤは肩を竦めた。

 

 頼むから、そういう不幸を冗談みたいに言わないでくれよ。


 お前は気を遣ってるつもりなんだろうけど、聞いてる方は余計に辛くなるんだよ。



「……ごめん。悪かった」


 ってか俺は大バカだ。


 ひったくりやるようなやつなんだから、兄ちゃんがすでに死んでる可能性くらい考えろっての!


「別に謝らなくても。戦争……やってたんだし。テツ兄だって、私だって、そうなるかもしれないって覚悟してたことだったから」

「……えっ?」


 俺は耳を疑った。

 テツという言葉が、耳の中で右往左往している。


「えっ、って、なによ」

「テツって……お前の兄ちゃんって、テツって名前なの? もしかして、俺の兄ちゃんと同い年だったり……する?」

「たぶん、そうだけど」

「ははっ、そっか」


 この乾いた笑いは……なんだ、俺の声か。


「何よ? 気持ち悪い笑い方して」

「いや、何て言うか……その、悪かったなって。その……」


 俺は遠慮がちに頭を下げた。

 ひっそりと唇を噛みしめる。

 瞼の裏に浮かび上がってきた、酔い潰れた兄の姿が、どうしようもなく忌々しい。


「はっ? 何であんたに謝られるのよ?」

「いや……だって、お前の兄ちゃんって……犠牲者だから」

「……えっ?」

「だから、俺の兄ちゃんが指揮を執ってて、そこで犠牲――守れなかった人の中に……テツって人がいて、それがお前の兄でもあり、俺の兄ちゃんの親友だった人だから」


 顔を上げられない。

 アヤの表情を確認するのが怖い。


「……嘘でしょ?」


 ああ、そんなに声を震わせないでくれよ。


「ほんとだ。兄ちゃん。ずっとそれ後悔して、酒ばっかり飲んで、お前の兄ちゃんのことばっかり話してて」

「そう……なの」

「俺の兄ちゃん頭いいからさ、お前の兄ちゃんの強さを理解してて、その時は奇襲受けて、撤退戦でしんがりがどうしてもいるってなって。兄ちゃんの頭でふさわしい人物として……お前の兄ちゃんが導き出されたんだと思う。生存率とか、最小限の被害とか、考えて……」

「そう……」

「兄ちゃんは抵抗したんだと思う。何度も考え直したんだと思う。でも、自分の私情のために最も適した方法を選ばないなんてありえないだろ? ましてや戦時中で、参謀で、そんなこと……できるはずがなかったんだ」


 アヤはついに声を出さなくなった。


「だからさ、何か、今分かった。兄ちゃんが……お前をこの家に迎え入れた理由が、探し出した理由が……分かった気がする。だから……ごめん」


 アヤを助けることは、兄ちゃんの贖罪なのかもしれない。


「だから、何でヒサトが謝るの?」

「それは……」

「だってそうでしょ⁉」


 アヤがいきなり立ち上がった。

 椅子が倒れる。


「ヒサトは何も悪くないじゃない。ヒサトのお兄さんだって……何も、悪いことは……そんなの、戦争してたんだから、仕方ないことで……。そういうものなんだから、戦争って……」


 アヤの目から零れる涙がテーブル上に真っ直ぐ落ちる。


「それでも……ごめん」

「だから何でヒサトが謝るのよ?」

「うん……ごめん」

「もういいから。ちょっと、一人になりたい」


 アヤは倒れた椅子を起こし、その上に倒れるようにして座った。

 足の裏を座面の上に乗せて、膝を両腕で抱える。


「……分かった」


 俺はアヤの言う通り部屋を後にした。


 自分の部屋に入るとすぐにベッドの上に倒れる。

 頬を伝わる涙など気にもせず、ただ天井に右手を突き上げてその手を強く握りしめていた。


 しばらくするとその手は自身の胸の辺りに、落ちてきた。

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