第19話・懺悔

「子供の頃から、どういうわけか、オレはドラゴンのそばに近寄ることができたんです」

 シスターや子供たちが過ごす居住棟から少し離れた場所に、慎ましやかな礼拝堂が建っている。相当に古そうだが、ここもまた清浄極まる空間だ。木目がむき出しの柱と梁は、自然のうねりが美しい。そして十字に架けられた神様のいる祭壇の上部には、樹木と鳥をモチーフにした素朴なステンドグラス。このあたりも、昔は森に囲まれていたのだろうか。そのホール内の一角に、かがまなければ背がおさまらないほどの小部屋が設けられている。薄闇に閉ざされた空間は、中央を御簾で仕切られていて、向かい側にいるシスターの顔が見えないようにできている。ここに座り、さまざまな悔いを告白して許しを請いなさい、ということらしい。

「すごい・・・あの尊い生物に愛されたのですね・・・」

 シスター・プランの穏やかな声が言う。向かい合うふたりの間にはテーブルが置かれていて、御簾の裾から細い指先だけが見えている。オレはつづけた。

「ドラゴンは、食べ物をちらつかせても、寄ってこないんです。与えられたものを口にした時点で、相手の配下に敷かれる、と知ってるからです。誇り高い動物です。だけど、こっちがまったく純粋な心で接しようとすれば、素直に向き合ってくれます。子供の頃のオレは、彼らに対して、媚びず、おびえず、軽んじもしなければ、重んじもしない、という無邪気さでつき合ってました」

「ほわあ・・・すばらしい。ご立派な態度です」

「ご立派って・・・そこは子供なんで、まあ」

「・・・あ、そか・・・でも、なかなかそうはいかないものです」

 困った。このシスターは、とても話しやすい・・・つづける。

「僧院のお師さんは、そんなオレの、ある種の才能を買ったんだと思います」

 世界を席巻しはじめていた国家建設党は、どういうわけか、ドラゴンを狩りまくっていた。カプーの告白を聞いた今では、その理由がわかる。命令の源が、女帝の個人的な怨念だったとは。ドラゴンに手首を落とされたこの国家元首は、絶大な権力を用いて、あの高度な種を根絶やしにしようとしていたわけだ。

 かつてカプーが仕切った党は、大陸内に散らかったバラバラな文化を持つ部族を、万民が納得できる新秩序をゆき渡らせることによって、統治しようとした。ところが、党の事業を引き継いだ女帝は、自分たちに都合のよい支配体制を築こうと、新秩序なるものを完全に変質させた。その中身は、旧態依然としたアメとムチ方式だ。恭順を示す村にはふんだんに利便性を与えるが、従わないとなると、強大な武力にものをいわせて侵略にかかるのだ。圧倒的な資源の獲得を実現した党には、それがやすやすとできた。さらに、支配地域の拡大を効率的に進めるために、各村の服従、不服従を色分けしにかかった。党は、争いを望まない村々に、服従を示す証として、ドラゴンの献上を要求しはじめた。各地が党の色に塗り込められていく中で、ドラゴンの捕獲は最重要となった。

「ドラゴンは、ますます姿を消していきました」

 シスターは無言だ。今のところ、眠い講義を聞かされている気分かもしれない。

「お師さんは、よく子供のオレを、野に連れ出してくれました。僧院はドラゴンの生息する地域にあったので、雲間を飛ぶあの巨体をよく見かけました。でも、警戒心の強いドラゴンは、原野にぽつんと建つ僧院にうっかり近づくようなことはありません。空に長い影を見つけては、あいつと戯れ合いたいもんだなあ・・・と、ぼんやり考えてました」

 今度は、シスターのワクワク感が伝わりはじめた。冒険譚に耳を傾けている気分なのだ。まったく、懺悔だというのに、素直なひとだ。これから話さなければならないことを思うと、気が重くなる。

 僧院では、修行中の若い坊さんたちが、一心に剣を振るっていた。護身術、という名目だった。が、木剣を・・・時には真剣を振り込むその目には殺気がみなぎり、憎悪が渦巻いているのを、幼いオレもなんとなく察知していた。いつしかこの小さな手にも剣が渡され、周囲と共に、朝、昼、晩と振り込むようになっていた。激しい稽古は、次第に熱を帯びていった。憎悪では誰にも負けない。口には出さなかったが、剣を振るたびに、父と母を殺害した者への恨みを深めていった。誰よりも熱心に修練にはげみ、技を磨き、腕前を上げた。

「野犬の追っ払い方も堂に入ってきたオレは、ひとりで野に出ることを許されるようになりました。そしてついに、一頭のドラゴンと親交を持つようになったんです。森の一本ヅノドラゴンを失ったオレにとって、ふたりめの友だちでした。オレは毎日のように出かけていっては、ドラゴンと取っ組み合いました。ブゲーの腕を磨く、という意味もありましたが、なにより、彼と心を通わせることがしあわせだったんです」

 ところが、それこそがお師さんの狙いだったのだ。僧院、僧侶、とは表向きのいつわりの顔で、この施設の裏の顔は、党の下部組織だった。中庭で日がな一日、剣を振るっている連中は、マモリに紛れ込んで内部から壊滅させるための隠密集団であり、新秩序構築を邪魔する者を消すための暗殺集団であり・・・

「・・・ドラゴンハンターの精鋭集団だったんです」

「・・・っ」

 シスターの、息を呑む気配。

「それを知る日がきました。ここでお世話になるまでの数日間をのぞけば、人生で最悪の一日です」

 ついに話さなければならない。シスターも、覚悟を決めるかのように、御簾の向こうで居住まいを正してくれている。オレは、大きく息をついた。

「その日。お師さんと、手練れの何人かの姿が、僧院内に見当たりませんでした。親しかった仲間に彼らの所在を訊くと、かなり年上のそいつは、蔑みの笑いと同時に、事実を示唆しはじめたんです。この僧院の本当の姿と目的を、です。彼は、薄く笑いながら、それを明かしました。知らないのはオレひとりだった、ってわけです。そういえば、姿の見えない連中からは数日来、ドラゴンの居場所をしつこく質されてたことを思い出しました。彼らは、ドラゴン狩りに出向いたわけです。当惑しきったその足で、お師さんの部屋に飛び込みました。そこに、大きな宝物蔵があるんです。無我夢中で、そいつを暴きました・・・」

 果たして、そこにはわんさとドラゴンのツノがおさまっていた。呆然と立ち尽くすオレの視界に、ふと、見覚えのあるツノが転がり込んできた。際立った特徴のあるものだ。通常、左右一対のツノは、美しく一方向に成長らせんを描いている。ところがそのツノは、湾曲しながらも正中線を持っており、枝も左右対称になっている。頭の両サイドではなく、天頂部から単独に伸びるものだ。間違いない!愛おしさがあふれ、同時に怒りが込み上げ、その一本ヅノを持つ手が震えた。あのドラゴンハンターは・・・ネロスは、この僧院から送られた者なのだと知った。あいつは、お師さんの元から放たれたのだ。

「オレは走りました・・・急がなきゃ・・・」

 しかし、遅かった。あるいは、ぎりぎり間に合った、と言えるかもしれないが。新しい友だちとなったドラゴンは、何本もの剣と縄とでなぶりものにされ、虫の息だった。あろうことか、周囲にはあの日のように、自分の衣類が散乱していた。またオレは、撒き餌に使われたのだ。オレ自身がこの事態を招いたのだ。

「このオレが・・・ドラゴンをおびき寄せ、飼い慣らし、油断させて・・・」

 お師さんはその場でオレの姿を見つけると、担った仕事ぶりを褒め称えてくれた。「よくやった」と。ドラゴンを間引くという自らの仕事に誇りを持っているようだった。彼は、女帝から直接にこの地に送り込まれたのだ。その恥知らずな手でオレの肩を抱き、「おまえを取り立ててやる」と言った。「このドラゴンは殺しはせんから、安心しろ」とも。冗談じゃない!

「・・・オレは怒りを抑えきれず、お師さんを・・・」

 袈裟懸けにした。あとは覚えていない。そこにいた全員を切り捨てたのだろう。手練れがそろっていたが、オレはすでにさらに腕が立った。気がつくと、返り血を浴びて真っ赤な姿で、荒野の、長い歳月をかけてここにまでつながる旅路を、歩きはじめていた。

 シスターは声を失っている。御簾の裾から見える指が震えている。

「・・・お師さんが好きでした。とても可愛がってくれたし、名前もくれた。こんなにも強くしてくれた。それに・・・」

 突然に、思い出した!あまりにも鮮明に。お師さんの、最期の言葉を。

 ・・・許してくれ、フラワーよ。ドラゴン狩りも、またひとつの正義なのだ。わしらは、世の中に安寧をもたらしたいだけなのだ。しかし・・・やりすぎたのかもしれん。わしらは、血に慣れすぎた・・・おまえは、もう殺すな。おまえが殺すのは、わしらで最後だ・・・

 お師さんほどの剣の達人なら、いくら腕を上げたとはいえこんな子供など、たわいもなく返り討ちにできただろう。しかし、お師さんはそれをしなかった。彼は本当に、心からフラワー少年を愛し、そして本当に自分の正義を信じていただけなのかもしれない。

「オレは・・・オレは・・・」

 言葉が出ない。記憶野の蛇口が開放すると同時に、涙がとまらなくなった。込み上げては込み上げては流れ落ち、とめどがない。泣けて泣けて、どうしようもない。御簾の下から、そっと手が差し出された。そして涙で濡れたオレの手の甲を、あたたかくふくよかな手の平は包み込んだ。なんとぽわぽわと慈悲に満ちた柔らかさであることか。

「神の名において、あなたを許します」

 シスター・プランが言っ・・・

「ん・・・?」

 いや、なんだかおかしい・・・声が模造タバコに荒らされたようにザラザラだ。それはどこかで聞き覚えのある、年増声・・・

「おかわいそうに・・・あたくしがなぐさめてさしあげます」

 薄闇の中でその手をよく見ると、ツヤツヤぷよぷよで、染みも浮いている。それは、シスター・ソレイユの手だ。

「なっ・・・な、なんでテメーがいるんだっ、ババア!」

 思わずのけ反る。しかし、握られた手は絡みついたまま、離れようとしない。

「悪かったね。だけど、この見習い修道女のシスター・プランは、懺悔を聞くことを許されてないんだよ」

「・・・も、申しわけございません、シスター・ソレイユ・・・」

 御簾の向こうで、可憐な声がする。横から割り込んできた上司に謝っている。いや、謝らないでくれ、シスター・プラン。悪いのは、ひとの懺悔を盗み聞きするほうだ。

「なんなんだよもうっ・・・いいから、離せよっ!」

 やっとの思いで、年増女の手を振り払った。

「このやろーっ・・・はあっ、はあっ、シスターでなかったら、ぶっ殺してるとこだぞ」

「はは、やめときな。お師さんに叱られるよ。だけど元気が戻ったようで、よかったよかった」

 確かに、元気は戻っているのだった。なんなんだ、このひとは。

「さ、食事だよ、食事~」

 ゴンガラガンガン、ガンガラゴンゴン・・・

 御簾の下からのぞくと、シスター・ソレイユは鍋底をオタマで打ち鳴らし、礼拝堂の外へと消えていった。草原の庭で、大きな後ろ姿を子供たちが追っていく。

「・・・ったく・・・なんてやつだ・・・」

「あの・・・」

 ふと見ると、シスター・プランの、華奢でスリ傷だらけの手が差し出されている。その手の平もまた、オレの手を包み込んだ。

「あの・・・よきおこないをしてください。そうすれば、あなたは必ず許されます」

「は・・・はい・・・」

「あの・・・あの・・・わたくしにその資格はありませんが・・・あなたのために祈らせてください。アーメン・・・」

 可憐な手は、すす、っと御簾の向こうに消えた。たたた、と走り去る音。

「あ・・・あーめん・・・」

 別のあたたかみが、じん、と心に残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る