第18話・修道院

 果てしなくひろがるかに思える平原だ。テオの腕を肩にかついでいるが、オレの腕もまたかつがれている。お互いに、支えているのか、支えられているのか、よくわからない。おそらく、支え合っているから立っていられるのだろう。そうしてバランスを保ちながら、よろり、よろりと歩く。風の中に埋もれそうなバギーの轍を、探り探りにたどっていく。

「この先に・・・おねえちゃんがいる・・・」

「そうだ、テオ・・・ジュビーを助け出すんだ・・・」

 あのお姫様は、もっとひどい目に遭っているかもしれない。そこまでたどり着けるかどうかは疑問だが、とにかく今はふたりで、四本の鉛のような足を運ぶしかない。残された体力は少ない。からだに水気がないと、末端の感覚が働いてくれない。右足を出した後に、左足を出すという作業を忘れそうになる。それでも、かすむ目で地平線を見据え、一歩、そのまた次の一歩を、前方に放り出すようにして歩きつづける。

 やがて草地がひろがりはじめた。成長の遅い灌木が、ところどころに生えている。木剣でこそいだ樹肌にむしゃぶりつき、わずかな、本当にわずかな樹液を吸う。

「うああ・・・」

 まったく心細い量の水分だが、とろりと湿った切り込みに舌をすべらせるだけで、細胞に潤いが戻る。枯れかけていた血液が、ゆっくりとめぐりはじめる。半泣きしたくなる心地だ。しかし、太陽は南中の位置で照りつけている。皮膚はすぐに干からびきって、すぐに水分の補給が必要になる。胃の中は空っぽ。エネルギーはゼロ。じくじくに膿んだ傷口から、体液が蒸発していく。ものが考えられない。からだが動かない。

 ふと見ると、神様に置き去られたような巨岩が、ころん、と草原のまん中に転がっている。ありがたい。岩陰に身を横たえ、休むことにする。すぐ横にテオも、身を投げ出すようにして倒れ込む。かと思うと、たちまち眠ってしまった。

「テオ・・・」

 いや、意識を失ったのだ。気絶寸前で歩きつづけていたのだ。そのはかなげな命が、たまらなくいとおしく思える。

「・・・死なないでくれよ・・・」

 テオは全身すき間なく痛めつけられていて、まるで傷の中にからだがあるようだ。オレもまるで同様だが。ここで眠ったら、もう二度と起き上がれないかもしれない。そう感じつつも、誘惑されるままに、意識の奥の長大ならせんを沈降していく・・・

 

「・」

 二日と三晩ほども眠りつづけたらしい。「らしい」というのは、それをオレに教えてくれた人物がいるのだ。

「あんた、いいからだだねえ」

 目を開けた途端に耳元でささやいたのは、シスター姿の年増女性だった。ぐふふ、と、意味深な笑みをこぼしている。

 視神経が回復している。目がはっきりと見える。からだに水気がゆき渡っているのがわかる。周囲を見まわして知ったのだが、屋内の小さなベッドに寝かされているらしい。

「・・・生きてる・・・のかい・・・?」

「ああ、もちろんあんたは生きてるさ。もう大丈夫だよ」

 壁の一角に、両手を真横に伸ばした神様が吊るされている。簡素な造りの室内には、他に調度品もなく、家の持ち主が質実な生活を送っているとわかる。なのに、とても落ち着ける雰囲気だ。与えられたベッドとシーツは、粗末だが清潔で、窓から差し込む日光の中にもほこりひとつ揺れていない。

「あの・・・」

「相方さんなら、そっちだよ」

 指差された横のもうひとつのベッドに、テオは寝かされていた。派手な寝息を立てている。なんという安堵感だろう。泣きそうだ。

「よかった・・・」

 ズタズタだった小さなからだは、すっかり治療されているようだ。気づけば、オレ自身も包帯でぐるぐる巻きだ。傷はふさがっている。どうやらこのシスターに助けられ、彼女の教会だか修道院だかに連れてこられたらしい。

「治療費は、あんたのからだで支払ってもらおうかねえ。ふふふ・・・」

 衣類を脱がされたオレの筋肉に恍惚しているシスターは、大柄な体格だ。肌がわずかに万有引力に従いはじめている。笑顔は福々しい。が、目つきがエロすぎる。相当、欲求不満がたまっていると見える。

「このケガだ。オレのはきっと役には立たない。そのガキの筆下ろしのほうをたのむよ」

「ご謙遜、ご謙遜。ああ、神よ、はやくこのワカモノの傷を治癒させたまえ」

 治ってたまるか、と震え上がった。が、一応、恩も忘れないようにしなくては。

 そのとき、部屋のドアがノックされた。

「失礼いたします・・・シスター・ソレイユ」

 水の入った手桶を持って現れたのは、若いシスターだった。シンプルな丸眼鏡をかけ、ブルネットの短髪を三角巾に押し込んだ、素朴な女性だ。なのに、不思議にまばゆい。まるでマーガレットの花のようだ。まるきり飾り気がないのに、光り輝くばかりの清らかさなのだ。

「お邪魔いたします・・・あの、ご気分はいかがですか?」

 手桶をベッド脇に置き、薬箱から洗いざらしの包帯を取り出した。長く、形のよい指には、すり傷、切り傷があちこちに走っている。荒蕪地での厳しい暮らしぶりがうかがい知れる。

「ああ・・・悪くない・・・かな・・・」

「よかった。包帯をお取り替えいたしますね」

 使い込まれているが、清潔に管理された包帯だ。若いシスターは、ゆったりとした手つきで、慎重に、正確に巻き直してくれた。単純なそんな行為に、ふと目を見張らされる。包帯ひとつを巻くのに、こんなにも深い慈しみを示せるものなのかと。上手、下手の問題ではない。果てしなく相手のことを思いやりながら、その仕事に没入してくれているのだ。

 年増のほうが切り出した。

「あんたを世話してくれてるその見習いは、シスター・プラン。神に仕える身だ、口説くんじゃないよ。あたしは、シスター・ソレイユ。修道院長だ。あんたらふたりは、神の思し召しで命を助けられたんだ。感謝しなよ」

「ありがとう、シスター・ソレイユ、シスター・プラン。そして神様」

 オレは東洋思想なのだが、とりあえず壁に張りついた彼女たちの神様を拝み、なむなむをした。

「ヒグラシ岩の影に倒れてたのを、井戸場へ水汲みにいった帰りに見つけたのさ。それで、ロバの背にのっけてここまで運んだんだ」

 奇跡だ。やはり、神様はいるのだろうか。なむなむ・・・なむなむ・・・

「ところで・・・悪いけど、水を一杯もらえませんか?」

 ぷぷぷ、と、シスター・ソレイユが意味ありげに笑う。

「いくらでも飲ませてあげるよ」

 ピッチャーから粗末な金属カップに水を移し、手渡してくれる。ひんやりと張った結露が心地いい。汲みたてだ。オレが起きるのを見計らって、汲みに走ってくれたのかもしれない。このひまわりのように豪快なシスターも、なかなかやってくれる。ゆっくりとのどに流し込む。

「うまい・・・」

 枯れた大地に水脈が戻り、その周辺に花が咲くような気分だ。

「寝てる間に、たっぷりと口から口に含ませてあげたはずなんだけどねえ」

 ブブーッ!

 鼻から水を吹き出してしまった。口移し、とはご丁寧な。そんな恩人のシスターの顔をずぶぬれにしてしまい、恐縮する。

 このバカバカしいやり取りを見て、生真面目なタイプのシスター・プランはほおを赤らめ、部屋から出ていってしまった。年増シスターとは似ても似つかない、純情さんらしい。

「ん・・・うんん・・・」

 少し騒ぎすぎたようだ。テオがまぶたを開いた。死地からの生還だ。これはうつつかマボロシか・・・混乱しながら、きょときょとと部屋の中にまなこをめぐらせている。そして、オレを見つけた。

「フラワー・・・ここは・・・天国・・・?」

「いや。それにいちばん近そうな場所だが・・・神様が、もう少し下界で働け、ってさ」

 テオは、重そうにからだを起こした。奇跡を見るような目つきで、治療ずみの自分の姿を確認している。やがて、命が助かったことを理解しはじめた。彼も水を飲み、体力をほんの少しだけ回復させた。そしてひまわりおばさんに何事か耳打ちされ、やはり鼻から水を吹き出した。

 オレたちが瀕死に落ち入るまでのいきさつを、シスターは訊ねようともしなかった。オオカミに襲われた旅の男ふたりを助けた、それ以上の情報は耳に入れないほうがいい・・・そう考えているのかもしれない。余計なことまで知ってしまえば、自分たちまで罪に問われることになりかねない、と。辺境地に生きる者の、それも安全保障技術だ。逆に言えば、党の影響力はこんな場所にまで及んでいるのだ。

「ん?」

 ふと見ると、部屋の扉が少し開いている。そのすき間から、いくつもの小さな顔が代わるがわるにのぞいては、引っ込む。

「子供・・・?」

 年増シスターは、雑な手つきでテオの容態を診てくれている。その間に、痛むからだをだましだましに、ベッドを抜け出てみた。着ていた衣類は、枕元に置かれている。これもまた、きれいに洗われ、繕われ、正確にたたんである。誰が施した仕事かは、すぐにわかった。それらを身に着け、部屋の外に出てみる。

「うわっ・・・!」

 途端に、子供の群れに囲まれた。ヨチヨチ歩きから、ひざ小僧をすりむいたハナ垂れまで、六~七人はいる。その中心に、小柄なシスター・プランが立っている。

「すっ・・・すみません。だめよっ、みんな、こちらの方はお客さまなのだから・・・」

 子供たちは、シスターのスカートを手に手につかみ、猜疑のまなざしをこちらを向けてくる。彼らのベッドを奪ってしまったか、あるいは、可憐なシスターを奪われるとでも思っているのか・・・

「この子たちは・・・?」

「すみません・・・戦争の・・・孤児なのです」

「そうでしたか・・・」

「みんな、親をなくして・・・あなた方と同じ、ヒグラシ岩の陰で・・・」

「拾われた・・・」

 過去の光景が脳裏によみがえる。オレ自身も、孤児と言える。ドラゴンを狩りにいった両親が死に、ひとり帰り着いた村では、居場所が完全に失われていた。悲しみに打ちひしがれるいとまも与えられず、石を投げつけられるような立場に追い込まれたのだ。ゆくあてもなく、物陰にひそんでいたところを、お師さんに拾われた。そして、僧院に連れていかれたのだった。この子たちと、自分の生い立ちが重なり合う。不意に、ある想いが込み上げてきた。

「シスター・・・あの・・・」

「はい・・・?」

「お願いがあります」

「・・・なんでしょう・・・?」

 シスター・プランは、眼鏡の奥の大きな瞳をまっすぐに向けてくる。海の底のようなブルーに、月のやわらかな光を宿した、どこまでも無垢な瞳だ。

「彼らを・・・子供たちを、争いの場に送らないでほしいんです、シスター・・・戦場へは・・・」

 言いながら、はやくも後悔しはじめている。このひとたちがそんなことをするはずがないではないか。しかし、オレの育った僧院では、実際に子供たちが戦場に送り出されていた。

「ひとを・・・あの・・・殺すような・・・その・・・」

 混乱しながらも、言葉に力がこもってしまう。相手をにらみつけるように見つめてしまう。だめだ、なにを言ってるんだ、オレは・・・よせ・・・

 ところが、こちらの興奮を察しても、シスターはまるでたじろがない。毛ほども気押されない。オレは、大きなものに包まれている不思議な心地を味わった。思いをゆったりと吸収してもらっているようだ。そして、理解した。すでにオレは、「戦場に送らないでほしい子供」とは「フラワー少年」であることを自覚させられている。内面にあった混乱の、すでに浄化が開始されている。

 シスター・プランは中指の先で、鼻先の眼鏡の位置を正した。それはまるで外科医のような几帳面さだ。その奥の瞳で、こちらをまっすぐに見つめ返してくる。そしてゆったりと、深くうなずいた。

「はい。お約束いたします」

「お願いです・・・絶対に・・・」

「わかっています。主に誓って、ぜったいにこの子たちを戦場にはやりません」

 シスターは、ささやかにふくらむ胸の前で十字を切った。

「ぜったいにです」

「ありがとう・・・シスター」

 ふたりは、まだ見つめ合っている。ふと、周囲のたくさんの小さな目がじろじろと見上げていることに気づいた。シスター・プランは、はたと素に戻り、ほおを赤らめた。

「こっ、子供たちになりかわり、感謝いたします。心やさしい剣士さま」

 なぜだか不意に、胸を突かれる。僧院ではなく、こんな修道院に引き取られていたら・・・武術使いではなく、こんな慈愛のひとに出会っていたら・・・泣き崩れそうになる。鼻の奥のこそばゆさを必死に飲み込み、立ちつくす。子供たちが不思議そうに見上げてくる。そして小柄なシスターも、じっと見つめてくる。

「剣士さま」

「・・・はい、シスター・・・」

 あまりにもあたたかい声音だ。

「懺悔なさりたいのなら、あの・・・わたくしでよろしければ、お聞きいたしますが・・・」

 シスター・プランの瞳は、瞬く星空のように透明だ。すっとぼけているようで、すべてを見透かしてしまう。こらえきれず、ついに落涙した。

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