最終話 サイコパス少年たちは真の人間になりたい

 一颯が目を覚ます。


 昨日までのことが嘘だったかのような、いつも通りの冷めた始まり。だが、変化は明確にあった。


 その最たるものが、一颯の右腕。


 彼の右腕は今、人間らしい肌色の見た目をしている。遠くから見ても、それを違うものだと思えるものはいないだろう。だが近寄ってみれば、それは一目瞭然だ。


 なぜならばその右腕は、疑似血液を押し固めたあの赤黒い右腕の上に、人肌によく似せた見た目の保護カバーを被せただけの、ただのハリボテなのだ。


 小さな損傷であれば、魔力行使での再生で十分事足りた。しかし、右腕全体の再構築ともなると話は別。脳に保存されている設計図を基に魔力を用いて、右腕を一時的に作ることは出来ても、そうやって出来た右腕は、安定性に欠け、次第に崩壊し霧散していく。


 結果、一颯は新右腕の製作が完了するまで、この右腕で生活しなければならなくなった。


 とはいえ、生活への支障はほとんどない。唯一、面倒なのは、右腕が本物でないとバレないよう立ち回ることくらいで、人間関係が残念な一颯にとっては大した問題にならないだろう。


 一颯は、冬服に着替えたことと、以前より多めの朝食を摂ったこと以外はいつも通りに準備をして、いつも通りの時間に部屋を出た。


 昇降口までは五分前後。そこから教室までは精々一分。計六分。何か一つのことを考えるのには、これくらいだと少し短いかもしれない。


 だが、一颯のやることは決まっていた。


 あの女――藤井楓ふじいかえで。一颯が名前を訪ねた時、とても嬉しそうに名乗った彼女。


 楓曰く、一颯はまだひとまずの所、学校生活を続けていればいいらしい。

だが、いつも通りに、では決してない。


――戦禍は不要よ。今の時代、財と、そして数こそが力。私たちみたいな少ない側が武力なんてものを持ちだしたら、その瞬間に圧殺されるわ。まあ、それでも武力は捨てられないけれどね。


 クラスメイトたちと、学校の人間たちと、出来る限りの交流を図ること。そしてその交流の中で、人間たちの心を理解しながら、機密が漏れない範囲で味方を増やすこと。それらが、一颯に与えられた行動方針。 


 人間は、心の奴隷である。


 すなわち、その心を意のままに操ることが出来れば、味方にすることなど容易い。


 そう。とても簡単で、とても難しいことだった。



 学校に着く。


 いつもの時刻の登校だから、季節柄も相まって校舎内はひんやりと静かだった。


 そしてそれは教室内も同じで。疎らにいるクラスメイトたちは、それぞれが思い思いの過ごし方をしていた。笑顔と憩い。まるで、昨日のことなんてなかったかのように。


――楓の言った通りか。


 脳細胞の自然消滅を人為的に引き起こす魔道具を使用したのだ。


 脳細胞に魔力を働かせるための媒介である受容体。これを壊すことで、比較的安全に記憶を破壊出来るという優れもの。


 昨日のことを説明して回る必要が無いというのは、非常にありがたい。


 一颯は何食わぬ顔で、窓側の後ろから二番目にある自席に腰を下ろす。


 鞄の中を探ると、読みかけの文庫本と、半透明のバインダーに手が触れる。


 一颯はバインダーの方を手に取った。高校入学時に新調して、だけどもう薄汚れている。


 中には、たくさんのプリントが挟んである。十一月祭関連のものだったり、他の連絡事項が記載されたものだったり。


 その中に、一颯が昨日、作成したものもあった。


 プリントの冒頭には、『退部届』と大きく書かれていた。





――そろそろ学校に着いた頃かしら。


 楓は、今頃、学校にいるはずの自らの息子に思いを馳せる。


 一颯は楓にとって、愛する息子であり、愛する人。彼が自由に生きられる世界を構築するために、あらゆることをする覚悟が楓にはあった。


――ああ、あとね。自己変革魔法、これからは気を付けて使いなさい。出来るなら、もう二度と使わないで。あれは肉体だけじゃなく、精神も変えられるものだから。操作を間違えば、一颯は一颯でなくなるわよ――


 一颯への注意喚起。


 もし彼が彼でなくなることがあれば、全てが無意味になる。それだけは絶対に防がなくてはならない。


 その点から言えば、自分を人間でないと認めさせるためとはいえ、楓の今回のやり方は強引過ぎた。もうちょっと上手いやり方が、おそらくはあったはずだ。


 ただ、楓はちょっと我慢出来なくなっていたのだ。地下に潜み続けて、一颯を遠くから見守り続けて。その孤独に、精神が軋んでいた。


――にしても、一颯、全然笑ってくれなかったな。


 当然ではある。鋼介の意思に沿って、楓自身がそういう風に作ったのだから。


 分かっていたことだった。だが、結構堪えた。本当にあれが正解なのか、分からなくなった。


 一颯の弱点を克服したのが今の楓。


 楓は一颯へそう言ったが、そこには一つの矛盾があった。


 楓が一颯に会った瞬間に感じた、嬉しいという感情。こういう正の感情は、まるで正の数とマイナスイチの乗算のように、大きな感情であればある程、より大きな負の感情を生み出すきっかけとなり得る。


 自分を殺す理由となり得るのだ。


 だから、鋼介の理想を完全なものとするのなら、真っ先に切り捨てられなければならないものなのだ。


 だが、弱点を克服したはずの今の楓には備わったまま。そして一颯にはない。


 迷いの証。


 一颯にとっての幸せ。それが、楓が最優先すべきことなのは変わらない。


 だが、このまま一颯の生きられる世界を作ったとして、一颯は幸せになれるのだろうか。そもそも、一颯の幸せとは一体何なのだろうか。


「あー、ダメダメっ。後悔しても仕方ないんだから」


 楓は自省する。今は、未来のことを考えるべきだ。


――頑張ってね、一颯。私も頑張るから。


 一颯が人間の世界にいる限り、人間にとっての当たり前に捕らわれている限り、一颯はそのギャップに苦しみ続けることになる。自分は異常である、悪であると。


 だが、それは間違いだ。


 この世に存在する全ての善悪は、人間社会の中でのみ適用される事柄である。


 もし、人間社会の中で存在したいと考えるなら、順守するのも当然だろう。


 だが、外に出てしまえば?


 それはもう、ゴミクズ以外の何物でもない。


 別の世界に生きる者たちは、別の世界の価値観に従えばいいのだ。


 だから世界を乗り換える。人間たちの価値観を拒否し、自分たちの価値観を作り出して、その中で生きる。


 それを勝手だとは言わせない。立場はあくまで対等だ。


 今は従おう。今はまだ、力が足りない。


 だが、いつか必ず。


 人間たちの土俵の中で、お前たちが最優ではないと示してみせる。


 その思い上がった鼻っ柱を、へし折ってみせる。


――私たちを、世界を廻すだけの道具にはさせない。私たちこそが、真の人間だ。


 楓は決意を胸に、今日も私室の扉の先へと足を踏み入れるのだった。

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