第38話 誰も彼も意味不明

 突如、一颯に胸に飛び込んでくる一人の女性。


「――は?」


 年齢は見たところ二十歳前後で、長い黒髪をアップ気味に束ねている。白衣を羽織ってはいるが、その中は、若さというものを武器に出来なくなった人からすれば忌避したくなるような、理知的ではありつつ華やかな装い。熟練の研究者というよりは、お洒落にも気を遣う理系大学生といった雰囲気だ。


 だがその声は、これまでビニールから聞こえていたものと同じである。


 一颯がこの世界で自意識を獲得したのが三年半前。つまり、それより以前には一颯は誕生していたはず。当時、せいぜい学生だっただろう彼女が、人類の叡智の結晶とも言える一颯の開発に、それも中軸として携わったと? 疑わしいにも程がある。


――何よりこの意味不明なフレンドリーさは一体……?


「いやー、大きくなったねぇー!」


 一颯が戸惑っているうちに、女は一颯の頭を撫でたり、胸に顔を埋めて頬擦りしたり。


「ちょ、おい、離れろ――!」


 一颯が女を力づくで引き剥がす。


「うわぅ⁉ ちょっと一颯っ、身体元に戻してよ。危ないじゃんかぁ」

 

 女は、一颯の身体が変化していることを当たり前のように口にした。


「それは話を聞いてから判断する」


 一颯は頑として警戒を解かない。


 部屋の中は、整理の行き届いた倉庫といった雰囲気だった。壁が見えない程に並べられた棚と、それを埋める段ボールや本の数々。そして、部屋奥にどかりと佇むデスク。そのデスクの周りだけ少々散らかっているのが、確かにここで誰かが活動をしているのだという実感をくれた。


 ここが彼女の私室、ということだろうか。少なくとも魔道具の研究、開発を行う環境ではないだろう。


 ただ、電灯がないというのは、一体どういうことだろうか。地下であるから窓もなく、唯一の光源が、例の蛍火っぽい光の玉だ。当然、室内の照度は物足りない。


「ええー、頑固だなぁー。お母さん、そんな風に育てたつもりはないよ?」


 控えめに紅が引かれた唇が、わざとらしく尖る。


「俺はあんたに育てられた覚えはないけどな。……そもそも、その馴れ馴れしさは一体なんなんだ」

「だって私、お母さんだもん」

「――、」


 徒労感がすごい。一颯は出かけた溜息を噛み殺した。


「その口調、止めてくれないか。外の時と違うだろ」

「えーでも、見た目相応の口調だと思わない?」

「――?」


 確かに彼女の見た目から窺える若さと、今の口調のイメージはそこまで乖離していない。だが、その言い方だと、まるで意図的に行っているかのような。


 口調なんて、本来は癖のようなものであるはずなのに。


「あんた、本当の年齢は?」

「ええー、女性に年齢を聞くのはアウトだって勉強しなかったの?」

「答えてくれ」

「うーん、じゃあ、お母さんって呼んでくれたら、教えてあげる」


 会話の主導権を握られ続けるのは不服だが、所持情報量において、向こうの方が圧倒的に優位にある。足掻くのはおそらく無駄だろう。


「……お母さん」

「ふふっ、よろしい。じゃあ、んーと、私が生まれたのは大体六十年前、かな。正直どうでもいいことだからちゃんと覚えてないんだけど。それで、この身体は二十歳前後を想定してあるけど、実際に動いていたのは大体六年……っていう感じで分かるかな?」

「その身体、人工物なのか」

「ええ、そうよ」


 女の顔付きに真剣さが宿った。


「私は、あなたを作った研究チームのサブリーダー。あなたを作った後、あなたを作ったことで得た研究データを基にこの身体を作ったの。だから、あなたが負わざるを得なかった色んな弱点が、この身体では克服されている」

「俺はあんたにとって、試作機的な立場ということか?」

「私にとって、というより、これから生まれるたくさんと人造人間の、ね。あなたは、全ての人造人間の始まりなんだから」


 これから生まれる。それは一颯が生まれた以上、別段不思議なことではない。


 科学を語る上で、再現性は欠かせない。例え偶発的に生まれた結果だとしても、それを基に再現性を追求すれば、いずれ偶然が必然に変わり、妄想が現実として認識される。


 そこまでやるからこそ、科学と科学者は必要とされるのだ。


 だから一颯が生み出された時点で、それが偶然でも必然でも、いずれ再現性というものが付随することになるのは予測がつく。


 そして、今、目の前の彼女こそが、その再現性を保証する物的証拠、ということになるのだろう。彼女の談を信じれば。


「始まりとかなんとか、随分と仰々しい言い方だけど、あんたが人造人間だって証拠はあるのか」

「ん、そうね。それじゃあ、今、あなたがやってる『自己変革魔法』を私もやってみましょうか。はい、掴んで」


 女はそう言って、袖を捲って右手首を露出し、一颯に差し出した。一颯はそれを黙って握る。


 変化はすぐに現れた。柔らかい、人らしい感触から、硬い金属のような感触へ。


「どう? 信じる気になった?」

「ああ。少なくとも、あんたは人間じゃない」

「ふふ、そう――まあいいわ。そういう、確証が得られなければ結論を出さない、っていうスタンスは嫌いじゃないし」

「――、」


 とはいえ、彼女を警戒し続けるべきなのか、一颯の中に疑念が生じ始めていることも確かであった。


 彼女は、一颯に対する警戒心があまりにも薄い。もはやないと言ってもいいくらいだ。


 一颯の身体は、既に殺人兵器と化している。それに自らの肌を晒すなど。


 一颯との間にそれだけの性能差があるからこその自信なのか、一颯が抵抗出来ないことに確信があるのか、それとも、例え殺されたとしても構わないと思っているのか。


「それじゃあ、本格的な話に入りましょうか……、と、その前に」


 女は、それまでずっと立ち尽くしていたビニールと綾香の方に視線を送る。


 その瞳には、何も籠っていなかった。


 表情は死に、目は伽藍洞。ほんのついさっきまで、一颯に対しころころと笑いながら、熱視線を送っていた彼女と同一人物とはとても思えない。


 怪物の抜け殻を抱えていたビニールは、独りでに部屋の奥へと歩いていく。


「さて、彼女は……、あー、一颯にとって何?」


 再び一颯に視線が向けられた。そこには、人のような色味が戻っていた。


「ただの部活仲間だけど」


 質問の意図が分からないながら、一颯は素直な回答をした。


「ふーん……。ま、いいわ」


 女は、納得していなさそうに綾香を見やっていたが、次の瞬間には、まるでどうでもいいとでも言うように、視線を外した。と、綾香の身体が床に座り込み、目を瞑って脱力した。


「彼女にかけていた魔法は解いたから、話が終わったら連れて帰って」

「――は? どういうつもりだ? 人質じゃなかったのか」

「役割はもう終わったもの」

「――、」


 分からない。本当に魔法を解いたのかも分からない。だが――


「さ、座ろうか。ごめんね。ここ、人を招くようになってないから、こんなのしかないけど」


 どこからかパイプ椅子が二つ、ふよふよと漂いながら近づいてくる。一颯たちの前でピタリと止まると、女が開いて、横並びに床に置いた。


「ほら、座って座って」

「……近くないか」


 椅子と椅子の間に設けられた空間はほぼない。


「いいじゃない。親子のスキンシップよ」

「――、」


 一颯が仕方なく腰を下ろすと、続いて女も腰を下ろした。肘などが接触することも構わず、随分とにこにこしている。


「じゃあまずは、あなたの中身から説明しようかしらね」

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