第35話 さようなら、人間

「うん。頑張って」


 一颯は突き立つ刀の横を越え、熱波の中へと身を投じる。と同時に、意識の底に目を向けた。


 身体の中を巡る熱。ずっと身体の中にあるのなら、自己の拡張なんてしなくても、既に一颯の支配下だ。


 だが、魔法にするには外に出さなくてはいけない。外に出れば、あやふやになる。


「すぅ――はぁ――」


 呼吸を整える。この身は、独立した一つの魔道具だ。


 身体の操作権は、初めから全て己の演算装置の下に。――足らない。全ての掌握に必要な素材たちの多くは、未だ失われたまま。


 身体の回路を初期状態に戻す。


 遮断された箇所を開放する。


 右肩口から赤黒い液体が流れ落ちる。――確かな熱はここに。手放さないよう、感覚を引き留め続ける。


 そこには本来、腕があった。神経が通っていた。であれば、容易い。


 人間の脳は、例え身体に欠損が生じようと、かつてそれあった時の感覚を保存し続ける。だから、人間の神経回路が模倣された義手、義足等を装着すれば、かつてと同じように動かせるのだ。


 一颯は人間ではない。が、同じ。


 未だ自分の意思が届かない部分、無意識という名の自動補助を受け、構築していく。


 繊維と繊維が伸び、束ねられ、形を成していく。


 時に薄く、時に硬く、時にしなやかに。


 そうして、気付けば赤黒い右腕が出来上がっていた。


 歩く。刀が展開している半球を抜け、灼熱の嵐の中へと足を踏み入れる。


 焼ける。比喩でも何でもなく。


 だが、その程度なら再生機能を用いれば事足りる。とはいえ、そのままというのも疲れる。それにこの先もここまで甘いとは限らない。


 だから、対策を施す。


 まずは、体組織の強化。特に皮膚だ。この高熱に耐え得る表皮組織を手に入れなければならない。


 先程のダメージで、現地点での周囲の分子運動の程度は把握した。これを基に、皮膚組織の分子結合を調整する。熱に脆弱なタンパク質形態は放棄。不足分、不要分は質量・エネルギー間可換性を利用して補正し、熱安定性、硬度を重視しながらも展延性を獲得、付随して、より内側、筋線維や血管、骨、内臓、脳に至るまで、身体の全てを変革していく。


 歩きながら、皮膚が何度も焼け焦げ、その度に修正する。


 そうして一面の真白を抜け、只人にとっては耐えられない程の高温であるはずの水籠、その中を、熱いとも冷たいとも感じずに行く。


 中は、外とは打って変わって静寂に包まれていた。


「先生」


 血だらけの魔法使いに声を掛ける。


 宗次郎の身体はもう九割が死んでいた。


 声が届いていない。何かに祈るように手を合わせたまま屈み、微動だにしない。


「もう休んでください」


 生死が虚ろなまま、それでも魔法を行使し続ける彼の身体。それを労わるように、一颯は左手でそっと触れた。


「――――、」


 声は返ってこない。代わりに、彼の編んだ魔法が解けていく。


 浮かんでいた呪符は燃え尽き、半球の綻びから熱気が染み出す。水籠と水蒸気は既にどこかへ掻き消えた。


 宗次郎の身体が黒に染まっていく。その黒は、完全に死んだ箇所から白へと変化し、崩れ落ちて風に舞った。


 まるで桜吹雪。でも、本物のように落ちて積もることはなく、風に乗って、どこまでも。


 入学式、記念撮影だなんだと歓喜の声が木霊する中、一人帰路に就こうとしていた時のことを、一颯は思い出した。


 一颯と宗次郎の関係はそこから始まったのだ。


「ありがとうございました」


 一颯はそれだけ口にして、最期を見送った。


――骨すらも残らないか。


 あとにはもう何も残っていなかった。宗次郎の身体がそれだけ壊れていたのか、ただ単にこの場の熱が凄まじいのか。


「――、」


 意識を切り替える。ここで立ち止まるつもりはない。


 視線の先には、辛うじて人の原型を保っている怪物。その怪物の意識も一颯に向いた。


「――――――‼」


 咆哮と共に放たれる熱波。一颯はそれを平然と受け流す。


 焼け付いた箇所から正常に戻り、以後、その程度では火傷すら負わない。


 跳躍。怪物は熱波だけでは飽き足らず、直接攻撃に出た。具現化した炎を纏わせた右拳が、一瞬にして一颯の眼前に迫る。


――あいつ、俺が近づくと急にブチ切れるな……。


 以前の戦いのイメージがこびり付いているのかもしれない。一颯は呑気にそんなことを思いながら、炎諸共、右前腕だけで迎え撃つ。


 それはもはや、大型トラックの衝突であった。厚さ十センチを超えるコンクリ塀程度、触れただけで破壊せしめる、超重量の暴威。


 衝突と共に、一颯の両足が地面に大きく沈み込む。――だが、それだけ。


 一颯は、怪物の一撃を右腕一本で受けきった。


 事ここに至り、一颯の身体は既に鋼を超えていた。彼はもはや、本当に太陽でも持ってこない限り、滅ぼすことが出来ないかもしれない。


 一颯は、怪物の胸に刺さる、一本の小剣を視界に捉える。この熱の中で原型を保っていることには驚きだが、今更気に留めることでもない。


 おそらくはあれが、この怪物を作り出した元凶。


 一颯は右腕を捻り、右掌で怪物の右腕を掴む。制御しきれなかった握力が、怪物の腕をぐにゃりと折り曲げながらも怪物を引き寄せ、次いで伸ばした左手が小剣へ。そして、その柄に指が触れかけた、刹那、


「っ――!」


 左腕が弾き飛んだ。その隙を付かれ、怪物の殴打を浴びる。

踏ん張りがきかず、数メートル後方へ滑る一颯。体勢を立て直しつつ、先の現象の分析に入る。


――今のは電流か……?


 一颯は、ショートしたコンセントに触れた時のような、脳や脊髄の命令とは完全に乖離した筋収縮があったことを確認した。


 となると、右手で触れるのが手っ取り早い。右腕は単なる魔力塊でありエネルギー塊。電気伝導性など持ち合わせていないし、本物の神経すら通っていない。


 ただし、少々問題がある。


 先程も意図せず怪物の腕を潰したように、右腕の操作において、正確さ、精密さといったものが、まだ上手く再現出来ていないのだ。


 以前の、今は失われた右腕を動かしていた時と、どこか感覚が違う。手に持った毛筆で絵を描いている時のような、意図と結果との僅かなズレ。


――ま、いいか。時間をかけて慣れていこう。


 なんてことはない。これくらいの誤差で、一颯の勝利が揺らぐことはないのだから。

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