第3節 常識が毒になる

第30話 朝の天気予報では晴れだって言ってたのに!

 次の日の午後。突然の日程変更によって、一颯たちのクラスは、『第六研究棟』に併設されている、『特殊大実験場C』を訪れていた。


 単に実験場と言っても、その赴きは陸上競技場のそれに近い。ただ、合成ゴムでできたタータントラックがあるわけでも、芝生が整備されているわけでもなく、加えて、観客席なんかもない。敷き詰めた白砂を適当な壁で囲んで、その上にドーム状の屋根を乗っけたみたいな、無骨な造りの施設である。


 彼らの目的は、来る十一月祭への備え。五月祭では行われなかった、『魔道競技会』のための事前実習である。


「一年生には、全競技、魔道具を操る操縦者としてのみの参加をしてもらうことになるわけだが――」


 今はその説明を、担当教員から受けている最中。一颯たちは、各々で用意したスポーツウェアやらを着て、教員の手前にばらばらと座っていた。


 しばらくして、前置きが終わる。これより本題。すなわち実技実習が始まるわけだが、


「藤見、お前は――まぁ、見学しかないな」


 クラスメイトたちが、銘々、数ある器具庫の内の一つへと向かう中、一颯だけは居残りだ。


 分かり切っていたことである。何の感慨もない。が、綾香はそうではないようで、しきりに振り返って視線を向けてくる。


 一颯はそれをしっしと手であしらった。そんなに不満そうに睨みつけられても、困るのである。


 なぜなら一颯には、魔道具が使えなかった。


 魔道具は、所定の操作を以て魔力抽出器を動かせば、自然と魔法を発動してくれる。


 しかし使用者が一颯の場合、焼き切れるほど魔力抽出器を酷使しても、人体への負荷を度外視するほど抽出効率を上げても、魔法として結果が現れることはなかった。


 原因は不明。魔道具が使えない人間の報告は、全世界探しても未だない。


 つまり、一颯は世界でたった一人、魔道具が使えない者だということになる。


 幸いだったのは、魔道具が使えずとも日常生活への支障はほとんどないということ。魔道具が人間社会に現れ始めてからまだ二、三十年しか経っておらず、また、魔道科学分野以外の科学が便利過ぎた。


 人間は、まだまだ得体の知れない科学もどきよりも、確固たるテクノロジーを信頼したのだ。


 だがいずれ、魔道科学の時代は必ず来る。そう言えるだけの可能性が魔道具にはある。その時、一颯はたった一人の劣等として、歴史に名を刻むことになるのかもしれない。


 その後、綾香は器具庫から何やら玩具みたいな持って戻ってきた。


 水鉄砲。形状としては、これが最も近い。デパートや海水浴場なんかで売られている、半透明で大した威力の出ない拳銃タイプ。定価五百円とか書いた値札が貼ってありそうだ。


 おもむろに、その銃口が一颯に向けられ、引き金が引かれた。胸部がぐっしょり。


「……冷たいんだけど」


 ニヤつく綾香へ、一颯は不満を表す。一切武装していない者に、武装したところで意味のない相手に、この仕打ち。卑怯の極みである。


 またもや、綾香は一颯へ銃口を向ける。すかさず一颯はその銃口を左掌で塞いだ。


「む――」


 構わず引き金を引く綾香。掌に柔らかな水圧が掛かり、水が零れ落ちる。それを


「止めんか」


 と、一颯が空いた右手でキャッチして、綾香へと飛ばした。


「きゃっ、冷たっ――」


「おい、お前ら、遊んでんな。人に向けんなっつったろ、減点すんぞ」

「「すいません」」


 二人して教師に謝り、そそくさと離れていく。


「怒られちゃったわね」


 なぜか綾香はにこにこしている。


「……楽しそうだなー、お前」

「え……そんなことは……ないわよ?」


 一颯は嘆息して、綾香から視線を外す。佐斗がこちらを向いて笑っていた。手を軽く振り始めたので、一颯は振り返して近づいていく。


「藤見君はやっぱり見学?」

「ああ」

「そっか……残念だね」


 そんなに深刻そうにされても、既に割り切っている一颯としてはやはり困るだけ。とはいえ、十一月祭という、魔道大学とその付属校合同で行われる一大イベントにほぼ参加が出来ないというのは、確かに残念だと言えなくもない。


「まあ、魔道具が使えないんだから、仕方ない」


 一颯は努めて軽い調子で言った。綾香が少し思案顔になる。


「ねぇ、藤見君、前から気になってたことがあるんだけど、いい?」

「なに?」


「魔道具が使えないのに、どうしてこの学校に入ったの?」

「あー、それは――」


 一颯はどう答えたものか迷った。


 一颯には、記憶喪失でありながら、中学まででは習わないような知識が微かにあった。それが、とりわけ魔道学に関して顕著で、理由を知りたくなった。知れば、他にも色んなことが分かると思ったから、この学校を選んだのだ。


 だが、こういうことを彼らに言うべきではない。知った時の彼らの反応は目に見えている。


「単に魔道具に興味があったから、だな。使えないからこその、反骨精神ってやつだ」


 真っ赤な嘘というわけではない。第一の理由ではないってだけ。


「――やっぱり、藤見君ってすごいわね」


 ぼそりと呟かれた言葉。


「……は?」


 意表を突かれた。更なる追及を危惧していたが、まさか賞賛とは。


「ふふ、なんでもなーい」


 相変わらず機嫌のいい綾香に、一颯と綾香のやり取りを、陰のある笑顔で眺める佐斗。


 一颯は、よく分かんねぇと頭を掻きながら、今も男子たちを中心として着々と進められている準備の様子を眺めるのだった。





 ほとんど遊びみたいな実習も終わりかけ。立ち並ぶ標的に向かって、次々と水流が走る。


 あの安物玩具風水鉄砲は魔道具であり、威力の調整が五段階にわたって可能。本番では、乱立する標的の間を走り回って、制限時間内にどれだけ当てられるかを競うことになる。


 今はお試しということで、走っている生徒はいない。皆、思い思いの地点から、和気藹々と水を噴射していた。


「うっへぇ、つっかれたー」「マジこれ結構しんどいなぁ」


 今まではしゃいでいた男子連中が、口々にそう言って座り込み始める。


 最大出力で撃ちまくったのだろう。魔力欠乏症とまではいかないが、水泳の授業後みたいな疲労感は感じているはずだ。


 一颯は当然、蚊帳の外。隣には、ひととおり撃ち終わった綾香と佐斗がいた。


 二人に疲労は見られない。二人は四、五発ほど撃ってすぐに帰還した。


「三浦、それ、ちょっと貸してくれ」

「え、これ? いいけど……」


 一颯は綾香から水鉄砲を受け取る。


 綾香の怪訝な視線を受けながら、一颯は地面へ銃口を向けて引き金を引いた。


 予想通り水は出ない。安全装置がかかっているわけでもなく、引き金は最後まで引けている。


 かちかちと何度か引いてみる。だが、何も起こらない。


 魔力が身体から抜けていくような感覚もない。そもそも、そんな感覚を、他の皆が味わっているかは分からないけれども。


「はい、返す」

「あ、うん……」


 一颯の軽い調子に僅かに戸惑いながらも、綾香は水鉄砲を受け取る。

「はい、じゃあそろそろ時間だし、片付け始めてくれー」


 教員が大きく手を叩きながら声を上げた。それに従い、疎らながらクラスメイトたちは動き始める。


 瞬間。


「「「――――⁉」」」


――轟音。


 爆発音にも似たそれは、それまでの穏やかだった雰囲気を一瞬にして吹き飛ばした。次いで連続する重低音は、馬鹿でかいシンバルが跳ねている様を連想させる。

そして、全員がそれを見た。ひしゃげた金属扉が転がる、その奥。


「――――――――‼」


 ビリビリと肌を揺らす、化け物染みた咆哮。それを発したであろう存在の姿を。

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