遙か異空のエアリアル ~異世界エア・コンバットあるいは上官の少女騎士と過ごす日々~【第2部開始】

長靴を嗅いだ猫

シーズン1

プロローグ 異世界の空

プロローグ初陣 1 異世界の空


 緩やかな上昇角を保ったままどんよりとした鉛色の雲を抜けたとたん、まるで殴りつけるような強い日差しにコクピットの中が白一色に染め上げられた。


 思わずまぶしさに目を細めるよりも先に強化飛行ユニット《アジュールダイバー》の知覚アシストシステムがパイロットのシズクの神経系に干渉し補正する。

 

 一瞬後、色が戻った視界に飛び込んできたのは一面に広がる青と白の世界だった。

 

 ダイヤモンドを砕いて敷き詰めたかのように輝く雲海の白と透明を無限に重ねて出来たような深い深い空の青。


 あいれない二つの色が交わる地平線の彼方かなたには、まるで天と地をまとめて貫くかのように三本の白いラインがきつりつしているのが見える。


 巨大、という表現ではとてもこの威容を表現しきっているとは言えないだろう。


 空へと吸い込まれるようにぐに伸びるラインはやがて弧を描き、太陽の向こう側へといったん姿を消したのちに、また現れて背後の地平線の彼方かなたへと吸い込まれるように消えているのだから。


 世界そのものを真っ二つに切り裂いているかのようなそれは、どこか神話的な――神々の世界へとかかる橋だとか、自分の尾をくわえて世界を支える大蛇とか、そんなことを思い起こさせる。


 あまりに非現実的な光景に、これは良くできた仮想空間なのではないかという都合の良い妄想がムクムクと頭をもたげてくる。


 だが、わずかに露出している肌をじりじりと焦がす陽光がそんな考えをあっさりと否定する。


 シズクの知る限り、現在の仮想システムにはここまでリアルな肌感覚を再現するだけの技術はない。


 つまり、この地球では決して見ることの出来ない景色はまぐれもない現実ということだ。



 地球とは異なる世界、異世界トゥーン。



 召喚された勇者でもなく不意に巻き込まれた異邦人でもなく、自ら志願した大勢のようへいの中の一人としてシズクはそこにいた。


 異世界人が《竜骸ドラガクロム》と呼ぶ機動外骨格と、地球の戦闘機を融合させて新たに開発された空戦ユニット《アジュールダイバー》


 そのパイロットとして、異世界人の指揮に従って戦う。


 期間は異世界時間で最低5年。


 とは言っても時間の流れが違うために、地球では1げつ程度にしかならないが。


 報酬はベースが日本円にして1,500万円。


 1げつのバイトと考えれば、超破格。


 ただし、5年分の給料と考えると年収300万ということになってしまうので、ようへいというイメージから考えるとかなりショボい。


 もっとも、実際に命をかけて戦っているわけではないのだから妥当と言えば妥当と言えるのかもしれない。


 シズクの身体は地球のポッドの中で眠りについており、異世界での仮の身体――アバターボディと量子的に接続されている。


 たとえアバターが破壊されてもシズクの意識とのリンクが一時的に断たれるだけで、速やかに新しいボディと再度リンクされて再生される。何度でも。契約期間を終えるまで。


 つまり、不死身のようへいというわけだった。


 だからといって、気軽にやり直せるかというと、それほど甘くはなかった。


 アバターは厄介なことにオリジナルの肉体をほぼ完全に再現している。ということは眠くもなれば腹も減るし、当然ながら痛みも感じるということだった。


 要するにアバターが破壊される時は文字通り死ぬほど苦しい。



 やはり割に合わないな、などとぼんやり考えているとアラート音で我に返った。続けて連続的な電子音が響き、視界に色とりどりのデータが浮かび上がる。


 こういうところだけは生身の身体というよりも地球でおなじみの仮想空間の感覚に近く、妙なおかしさを感じる。



『――始まるぞ』



 硬い少女の声が聞こえた。


 声に引き寄せられるように空を見上げると、はるか上空を複数の光が高速で飛行しているのが見えた。


 光の数は11。


 シズクたちを指揮する、異世界人の指揮官たちの《アジュールダイバー》だ。


 指揮官は全員が女性で、もちろんシズクの上官も女性。それもシズクと同じ年頃の少女と言っても良い年齢だった。


 もっとも指揮官と言えども、彼女たちが戦闘に参加することはない。



「了解。この後は?」



 少女の声に先を促すと、少しバツの悪そうな声が返ってきた。



『第三小隊に合流。その後は第三小隊の副隊長の指揮下に入ってくれ。なにしろ分隊の定数も満たしていないからな……そうろうのようなをさせてすまない』



 少し癖のあるイントネーションのすっかり聞き慣れた涼やかな声が、脳裏に響く。


 英語では無い。もちろん日本語でも。この世界で話されている標準語。


 それに全く不自然さを感じないのはアバターに組み込まれたS・A・S――スキル・アシスト・システムと呼ばれる機能のおかげだった。

S・A・Sスキル・アシスト・システムが補助するのは言葉だけではない。

とくに戦闘戦術系S・A・Sスキル・アシスト・システムとして独立しているスキル・アシスト群は《アジュールダイバー》を操縦するために必要不可欠な能力やインタフェイスなどもカバーしている。


 シズクたち地球人がこの世界で戦い抜くための、それは大切な武器の1つだった。


 レーダー・マップに敵味方識別システムなどと言った各種情報インタフェイスや通信などの機能はS・A・Sスキル・アシスト・システムを通して、ダイレクトに視覚や聴覚とリンクしている。



「……別に従騎士長セレスが悪いわけじゃ」



 いくつかの理由が原因で、シズクは特別分隊というとってつけたような隊に配属されていた。


 分隊長はセレスティーナ・クリモア・エクルース従騎士長。隊員はシズクの二名だけで構成されている。


 原則、トゥーン人の騎士団の規定では分隊は分隊長1名に隊員が2名と定められているのだから実質半個分隊だ。


 もちろん、これでは作戦行動を行うことは不可能なので、今回の作戦では適当な小隊に組み込まれることになっていた。そうろう、とはよく言ったものだ。



『そう言ってくれると、助かる――それでは大樹の祝福を』



 異世界流のグッドラックの言葉と共に声が途絶え、新しい指示が送り込まれてきた。後方より5機編隊が接近中。第1中隊所属第3小隊。


 ――合流せよ。


 正式にシズクの機が小隊に編成されコードが割り振られると、シズクは小隊との戦術リンクを形成。

 必要なデータを新たなリーダーに送信し、手早く戦闘準備を完了。


 第3小隊がすでに保有している各種戦術データが戻ってくる。


 自動的に他の小隊の状態が表示され、一気に視界がにぎやかになる。


 5機編隊の小隊が10個。5個小隊で1個中隊だから、今回の作戦に参加しているのは2個中隊ということになる。


 これが目下のところ、この騎士団のすべてだった。


 続けてシズクが位置すべき編隊位置が地図上に表示される。


 指示に従い、軽くスティックを揺らしてから自機を移動させる。ほどなく指定の位置に到たちすると、軽い電子音と共に音声チャンネルが接続され、若い男の声が聞こえてきた。



『シズク……聞こえてるかい?』


「ああ。聞こえてる」


『いよいよだね』


「そうだな」



 返事をしながらシズクは、いつもよりもその声がうわずっていることに気がついた。


 名前は高橋たかはしとおる。こちらではトールという名前を使っている。


 シズクと理由こそ違うが、本名を使っていないということでは共通している。


 シズクとトールだけではない。


 同じ時期に異世界にやってきた連中に共通した傾向だ。


 年齢はシズクよりも2つとし上の浪人生。医者になるための学費が欲しくて、この仕事に飛びついたらしかった。


 どちらかというと女顔で中性的な印象が強い。


 だからというわけではないだろうが、トールの小隊は全員が女子で構成されていて、他の隊員たちからはやっかみ半分でハーレム小隊などと呼ばれていた。


 生真面目な性格で小隊のメンバーからの信頼も厚く、異世界人の小隊長からのウケもいい。絵に描いたような優等生というわけだ。


 異世界に来て早々に問題を起こし、いきなり悪目立ちしたシズクとは正反対と言ってもいいぐらいだが、不思議と一番仲の良い相手だった。



『……緊張するね』


「まあ、な。で、どうした?」


『いや……少し時間が空いたから、さ』



 トールは少し口ごもったあと、どこか照れくさそうな口調でそう言った。


 特に何か指示をするために呼びかけてきたというわけではなく、緊張をほぐすためにとにかく誰かと話したかったという感じのようだった。


 小隊の副隊長――隊長は戦闘に参加しないのだから、トールが実質的な隊長格だ。となると、やはり同じ小隊の仲間たちに気弱なところを見せるわけにはいかないだろう。とくに紅一点ならぬ黒一点としてはなおさらだ。


 あくまでもゲストとして加わっているシズク相手だから言えることもある、ということだろう。シズクもトールも模擬戦では無い、本当の戦いはこれが初めてだ。


 いや、シズクとトールだけではない。今回の戦闘に参加する51機がすべてういじんだった。


 初の実戦にして、初の全力出撃。なにもかもが初めてづくし。

 

 S・A・Sスキル・アシスト・システムを駆使して、様々な情報を取得しながら、これは要するに洗礼なのだろうなとシズクは思った。


 帰還率は完全に度外視されている。異世界人の指揮官たちだけが生き残って目的を遂げればそれで良く、要するにどちらの立場が上なのかをはっきりさせる――半ば儀式としての戦いというわけだ。


 いくら実際には死なないとはいえ、ひどい話だ。



『……それにしてもちやだよね。ゲームでもこんな作戦組まないよ。そりゃ、実際には誰も死なないかもしれないけどさ――《アジュールダイバー》だってタダじゃないと思うんだけどね。もったいないとか思わないのかな』



 トールもシズクと同じ思いだったのだろう。苦笑しながら相づちをうつ。


 たしかに人間は再生出来ても機体はそうはいかない。撃墜されたら、ゴミとなってまき散らされるだけだ。



「だよな。もったいないお化けが出る」


『シズク……結構、余裕だね。緊張とかしない?』



 軽い冗談で気を紛らわせていると、トールはそんなシズクに疑問をもったようだった。

 自分では余裕などどこにもないつもりなのだが、トールにはそのようには感じられないらしかった。



「してるさ。いっぱいいっぱいだ」


『そうかな? 僕にはそうは思えないんだけど。今だって、他のみんなは《アジュールダイバー》のチェックで精一杯。コールサインだってろくに返してきてない。こんなのいつもの訓練ならとっくに終わってるのに。なのに、シズクはもう戦術リンクの設定も終わらせて、編隊ポジションの移動まですませてる』


「いつもと同じことだしな。手が勝手に動く」



 何を当たり前のことを、というシズクの声にトールから少しあきれたような感心したような声が返ってくる。



『だからさ……その、いつもと同じことが出来ないんだよ。だから、シズクには余裕があるって言ってるんだから。ねえ、何かコツ、みたいなものがあるの?』


「……そうだな」



 少し考えてから、シズクは思いついたことをトールに伝えた。



「強いて言うなら、いっぺん死に戻りしたせいかもな。撃墜されても大丈夫ってのを身体で理解してる。だから緊張はしてるけど、ワケがわからなくなるってほどじゃない。正直、褒められた話じゃないと思うけど」



 問題を起こした時に半ば見せしめのようにいきなり処刑されて、すぐに復活したという不名誉な前歴がシズクにはある。


 その時の経験が結果的にういじんの緊張をほぐしているというのだから、世の中は何が幸いするかわからない。


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