最終話 ただの勇者

 切り払われた闇が霧散し、町を焼く炎が消し飛び、空が青く澄み渡る。

 その景色を仰ぐ少年兵エクスの身体は、もはや原型を留めてはいなかった。


 漆塗りの甲冑も、血染めの剣も、全て打ち砕かれ――己の肉体をも破壊された彼は。永遠の闇へと消えゆく意識の中で、透き通るような空を見上げている。


「……あれ・・はこんなもんじゃ、ねぇぞ」


 かつて勇者と呼ばれていた、伊達竜源は。何も言わず、毅然とした面持ちで自分を見下ろす子孫に目を移し、掠れた声でそう呟いていた。

 詳しくは語らずとも、わかり切っている。


 ――彼の憎悪と怨念を最も強く継承し、今では竜源の魂から独立した自我さえ得ている「勇者の剣」。

 そこに秘められた呪詛の力は、自分の魂を宿していた「勇者の鎧」などとは、比べ物にならないと言っているのだ。


「どこまで本当のことだったのか、今となっちゃどうでもいい話だが……この世界が勇者を必要としなければ、召喚魔法は成功しない……らしい。俺にとっては魔王ランペイザーが、お前にとっては俺の残滓が、その理由だったのかもな」

「……ならジブンは今こそ、その役割を果たす。例え、あなたを葬ってでも」


 それを承知の上で。勇者りゅうげんであり、魔王ランペイザーでもあった男の血を引く少年は。

 先祖の屍すらも踏み越え、己の「役割」を果たすと改めて誓うのだった。そんな子孫の貌を目にして、伊達竜源は最期に嗤い。


「……そうかい。やっぱお前、俺の子孫だよ」


 取り憑いていた少年兵の身体も。本体とも云うべき甲冑も。全て失い、崩れ落ちていく。


 まるで火葬の如く、噴き上がる闇の炎に焼かれ、消えていく先代勇者。その成れの果てが跡形もなくなる瞬間まで、子孫――伊達竜正は目を背けることなく、真っ直ぐに見据えていた。


「おぉ〜い、ダタッツく〜んっ!」


 やがて、全ての盗賊を倒した冒険者達が、手を振りながら駆け寄って来る。その先頭を走るルナーニャの手には、幾つもの医薬品が握られていた。

 扇情的な太腿を強調しているホットパンツの腰周りにも、包帯や止血剤を詰め込んだポーチが提げられている。回復術師の血を引く医師として、怪我人ダタッツを放っては置けないのだろう。


「ルナーニャさん! 皆ぁーっ!」


 そして。業火に消えた先祖を看取り、踵を返した竜正は。


「……」


 仲間達の名を呼びながら、この場を立ち去る瞬間。確かに、耳にしていた。


『……見ていてやるよ。地獄の底から、勇者としてのお前を』


 魂もろとも消え去る間際に、先祖が遺した最期の言葉を――。


 ◇


 ダタッツと冒険者達の活躍により、ランペイザー率いる盗賊団は壊滅した。その報せが町を脱出していた人々に知れ渡り、数日が過ぎた頃。


「あんたらは町の、俺達の恩人だ! じゃんじゃん飲め、飲んでくれー!」

「ガッハハハハ、もっと酒持ってこーいっ!」


 かつて乱暴者の集まりと恐れられていた冒険者ギルドの戦士達は、町に帰ってきた町民達に英雄として迎えられ、毎日のように宴に招かれていた。

 この戦いで重傷を負ったメテノール・ベルグ・ナナシの三巨頭も、回復術師の末裔であるルナーニャの治療を受け、徐々に快復に向かいつつある。彼女のポーチに納められていた医薬品のほとんどは、彼らのために使い切ってしまったらしい。


 夜空に浮かぶ満月と篝火に照らされた町の酒場で、肩を組み酒を酌み交わす。そんなひと時を謳歌する冒険者達と町民達は、かつての壁を乗り越え笑い合っていた。


「……楽しんでくれているようで、何よりだ」

「えぇ……全く」


 その喧騒を背に、自警団の慰霊碑に祈りを捧げていたガウリカと爺やは、この町のために戦った冒険者達に想いを馳せている。犠牲となった人々の無念を晴らした戦士達に対する、言葉にならないほどの感謝を胸に。


「……私は、彼らのことを何も知らなかった。いや、知ろうともしていなかった。本当はあんなにも、優しい人ばかりだったというのにな」

「ならば、これから少しずつ、彼らを知っていきましょう。退職金もはたいてしまったことですし、当分は私も引退などしておられませんからな」

「ふふっ……世話を掛けるな、爺や」

「今更、でございましょう」


 自警団のメンバー全員の名を刻んだ慰霊碑に、花を添えて。静かに立ち上がったガウリカは、その隣に立てられた小さな墓標に視線を移す。

 粉々に打ち砕かれた、ランペイザーの剣。その一欠片を供えられている墓標には、エクスという名が刻まれていた。


「……何者だったのでしょうな、彼は。あのランペイザーを倒してしまうほどの実力といい、冒険者達を動かすほどの人望といい……」

「……」


 この墓標を立てた後、爺やから貰った報酬全てを冒険者達に明け渡したダタッツは、長居は無用とばかりに旅立ってしまった。別れの挨拶すら、満足に出来ぬまま。

 その背中を想い、豊かな胸元に手を添え、切なげな表情を浮かべるガウリカ。そんな彼女の胸中を看破し、ため息をつく爺やは、ある「懸念」を口にする。


「あの少年が使っていた、帝国式投剣術。あれは……かつて、帝国勇者が使っていた……」

「知ったことか」


 だが、先程まで表情に憂いの色を滲ませていた乙女は。気丈に顔を上げ、強気な眼差しで爺やを射抜き、そう宣言する。

 僅かに染まった頬の色が、想いの強さを物語っているようだった。


「誰がなんと言おうが、彼がどんな技を使っていようが、知ったことか。……彼はこの町と、私達を救ってくれたただの・・・『勇者』だ。違うか?」

「……えぇ、違いませんとも。愚問でしたな、ガウリカ様」


 そんな彼女の気高さを目の当たりにした爺やも、呆れ返ったように苦笑している。そこで彼は、ようやく思い出したのだ。

 この少女は、惚れた男に去られた程度で挫けるほど、柔な性格ではないのだと。例え相手が誰であっても、感謝の念を忘れるような人間ではないのだと。


「さぁ、行くぞ爺や。盗賊団に荒らされたオアシスの復興、流通の再開、冒険者達への依頼の斡旋……仕事は山ほどある。忙しくなるのはこれからだ!」

「……やれやれ、すっかり隠居する機会を逃してしまいましたな」


 やがて、勇ましい足取りで歩み出すガウリカを追い。諦めたように笑みを零した爺やも、ゆっくりとその後に続いていく。


 そして彼女達が去った後、慰霊碑に添えられた花は穏やかな夜風を浴びて――傍に立つ少年兵エクスの墓標に、鎮魂の花弁を捧げていた。


 ◇


 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。

 

 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。

 

 人智を超越する膂力。生命力。剣技。

 

 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。

 

 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。

 

 しかし、戦が終わる時。

 

 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。

 

 一騎当千。

 

 その伝説だけを、彼らの世界に残して。


 ◇

 

 ――そして、この戦いからさらに三年後。王国の城下町を舞台に、最後の呪具に纏わる物語が幕を開ける。


 伊達竜源ランペイザーの怨念を宿した、「勇者の剣」の物語が――。

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