第2話 おじさん

 次の日もおばあさんに話しかけた。ラベンダーのにおいがした。おばあさんが持っている袋からにおいがした。

「ラベンダーの香り袋よ。リラックス効果があるの。学生さんも毎日勉強大変でしょう、ここを通る生徒さんたちに少しでも効果があればいいと思って」

 笑顔で他人の幸福を願うおばあさんは、僕とは違う人間だと思った。僕とは全然違う所にいる。自分の心の狭さを見せつけられた気がした。

「おばあさんは笑って座っていればいいんですよね、羨ましいです」

 僕は笑顔で言った、本心だった。おばあさんは少し困ったような笑顔だった。


 それからも毎日、僕はおばあさんにとげのある言葉をかけ続けた。周りに気づかれないよう笑顔で話しかけた。おばあさんの表情はだんだんとくもってきた。

 ある雨の日、おばあさんはいなかった。そりゃそうだ。けれど晴れた次の日も、その次の日もおばあさんは日向ぼっこに出てこなかった。


 ある日、おばあさんの家から葬式が出ていた。葬儀社の人が何かを設置していた。

 学校に着くとその話題で持ち切りだった。おばあさんが亡くなったようだ。誰が見たのか、通夜の日程が書いていなかったと言っている。

「家族葬じゃないか? 最近多いって聞くし」

 黒木がそう言った。


 おばあさんが死んだ……。僕のせいではない。僕は笑顔で「いいですね」と言っていただけだ。僕はおばあさんに話しかけた記憶を思い出し、自分に言い聞かせていた。

 クラスメイトからは「おばあさんがいなくなって寂しい」との声が聞こえる。しかし二週間ほど過ぎた頃、みんな日常に戻っていた。




 クラスがざわついていた。あのおばあさんの家に、男の人が立っている。あのおばあさんと同じように朝と帰りの時間に立っていると。


「誰?」

「あのおばあさんの息子らしいよ」

「なんで毎日家の前に立っているの?」

「おばあさんと同じ景色を見たいとか、おばあさんに変わって私たちを見守りたいとか?」

「でも……ちょっと怖いよね。おばあさんがいた時はホッとしたけれど、笑わないおじさんがいてもね……」

「俺も怖いから見ないようにしてるよ」

「私もそうしている」

 こんな感じで話題に上がっていた。僕もあのおじさんが気になっていた。やっぱりみんな怖がっていたのか。僕も見ないようにしよう。そう思っていたけれども……。


 ある朝、おじさんを見ないようにおばあさんの家を通り過ぎた。けれども気になってふり返ってしまった。おじさんはボーッとどこかを見ていた。

 その日の帰りも通り過ぎたのだが、気になってふり返ってしまった。おじさんと目が合いそうになった。やばい。僕はすぐに視線をそらした。


 次の日の朝、おじさんの前を通る時、横目でチラッと見てみた。おじさんはやっぱりボーッとしていた。ちょっとおかしいんだろうか。そうして僕は毎日、横目でおじさんを見るようになった。


 ある日の帰り道、いつものようにおじさんを横目で見て通り過ぎた。

 ふわっとラベンダーの香りがして、ついふり返ってしまった。おじさんと目が合ってしまった。やばい、逃げなきゃ。いや、逃げたら怪しまれる。僕は何もしていないのに。体温が一気に上昇するのが解る。おじさんが僕に近づく。

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