第一話


 伝羽でんばクリニックに向かう道中、篤久は助手席から何ともいえない圧を感じ取っていた。メッセージではあっさり了承してくれたはずなのだが、実際そうではなかったらしい。助手席に座る女──金谷かなや世利子は、ずっと腕組みをして前を見ている。

「今日さぁ、出掛ける予定だったのよねぇ」

 容姿に見合ったつやのある美しい声。しかし圧がすごい。怒っている。確実に怒っている。思わずハンドルを握る手に力が入った。

「ご、ごめんなさい……」

「久しぶりに! なっちと一緒に! 前から気になってたお店のランチ! 行こうと思ってたのよねぇ!」

「ごめんなさいぃ!」

「ほら信号赤ちゃんと前見ろ篤久!」

「はいっ!」

 身が引き締まるどころか引き締まりすぎて逆に運転が危うい。弱々しく嘆息しながら、ハンドル上部に額を乗せる。

「ヨリちゃん……あんまり威圧しないで……危ない……」

「冷静さを保ちな。お爺ちゃんいつも言ってたでしょ」

「この状況でそれ言う⁉」

「あんたさぁ、」

 ふーっ、と、わざとらしく大きな溜め息をつき。

「“自業自得〟って知ってる?」

 その短い言葉の中に、それ以上の意味が詰まっていることを篤久は察した。

 確かに時間がなかなか取れなかったのもあったが、それ以上に「行きたくない」という気持ちが強かった。長年の付き合い、世利子はそれをきっちり見抜いているのだ。「あんたが嫌がって行くの避けてるせいで先生に呼び出されてるんだし私にも迷惑かかってるんでしょ、バカじゃないの」――口には出さずに含まれただけの言葉は、その通り過ぎてぐうの音も出ない。

「はー、約束してたのがなっちでよかったわぁ、ほんと」

 世利子と同じく小学生の頃からつるんでいる付き合いの長い同級生だ。篤久の事情をざっくりではあるが知っている。彼女にもおびと御礼おれいをしなければ。

「あのォ、お二人のスケジュール教えてくれれば、俺が店予約しておきますんで……ランチ代も負担しますんで……」

「えー、じゃあ高級なとこがいいなー」

「和洋中?」

「任せる。いいとこ知ってるっしょ」

「うぃ、今度候補出して送っとく。…………あのさぁ、ヨリちゃん」

 信号が変わり、ゆっくり発進させる。

「何」

「毎回頼んでるのにこう言っちゃ何だけど、無理に付いてこなくていいよ」

 世利子は、篤久の顔を見て、またすぐに前を向いた。

「旦那にもある程度事情話してあるし。もう私しかいないんじゃん、昔のあんたのこと知ってるの」



     ▼     ▼     ▼



 〝ギフト〟という異能力がある。


 神の贈り物と称されるそれは、世界人口の一割程度が目覚めるといわれ、国によってはその能力者〝ギフテッド〟に関するさまざまな法が定まっていた。日本の場合、国の指定した施設に保護され、許可を得ない限りはそこからは出られない。その代わりに一生何に困ることはない生活が約束されており、それが名誉とされている。

 しかし、中にはそれをよく思わない者や、国で保護される名誉に興味がない者、また力に目覚めてもそれに全く気付かない者などがいたりして、能力者の施設収容率は百パーセントとは言い切れないのが現状だった。それどころか、せっかく神から授かった力を悪用し、犯罪行為に走る者もいた。前者は〝放浪者ワンダラー”、後者は〝悪用者アビューザー〟というふうに分類され、主に能力持ちのギフテッドにより組織されている〝捕獲者キャプター〟がそれらを取り締まっている。(能力者を持たないディプライヴドのキャプターもいるにはいるが、そこは割愛する。)


 とある年の九月二十九日の正午より少し前、篤久はキャプターを務める浄円寺清海きよみ叶恵かなえ夫妻の第一子長男として生を受けた。


 篤久の両親は職場で出会ったキャプター。共にそれぞれギフトを持ってはいたが、だからといってギフトは遺伝するものではない。神は年齢・性別・また能力の種類に関わらず、完全にランダムに自らの力の欠片かけらを与えてくる。



 そう、ギフトは神秘の力。

 夫婦が両方ギフト持ちだからといって、その子どもにまでギフトが出るだなんて――



 哀しいかな神は気まぐれ、遺伝でなくともそんなことが有り得てしまうのが現実なのだ。



 あろうことか、篤久は生まれたその日に目覚めてしまった。

 篤久が生まれた病院で、篤久が生まれた日から連日ボヤが起こるようになった。火元はいつも同じ給湯室。そこから最も近い病室に入院していたのは、篤久とその母・叶恵。まさか生まれたばかりの赤子にそんな力があろうとは、一体誰が予想しただろうか。

 結局入院中は誰の仕業かも判明せず、設置されていた古い給湯器の故障ということで片付けられていた。

 しかし、一緒に入院していた叶恵は母親であり、自身もギフト持ちであるがゆえに気付いていたのか、退院した後に夫に打ち明けた。


「清海。この子、ギフトちからを持ってる」



     △     △     △



「……と、これがきみが平田家に預けられた経緯けいい、なんだけど」

 主治医・伝羽寛武ひろむは、ゆっくりとした所作で茶を啜る。篤久は人差し指で頭の天辺てっぺんに近い位置をいた。

「それは、聞いているんで、知ってます。覚えてないけど」

「うん。まぁ、そうだね。赤ちゃんの頃だから、そんなの誰だって覚えてないよね。でも順を追っていかないとね」

「そうですね」

 気のなさそうな返事に、伝羽は困ったように笑う。

「何だか思い出したくなさそうだねぇ」

「そんなことないですよ。滅茶苦茶世話になった人ですもん。ただ、」

 僅かに俯いて。

「もう三十年近くも思い出せないし、そんなものなのかなー、って」

「も~、簡単に諦めるなよぉ篤久く~ん、おじさんキヨとカナちゃんと約束しちゃってるんだぞぉ、忠通ただみちと若葉ちゃんのことちゃんと思い出させるって。カナちゃんにたたられちゃうじゃんか~」

「タダミチ。ワカバ」

 名前を口にすると、頭の中にもやっとするあたたかいが発生した、気がした。目を閉じて記憶を辿り、はっきりとした形を作り出そうとするが、消える。

「ん、んん~……?」

「やっぱり思い出せないかぁ」

 今回もダメかなぁ、と残念そうにつぶやく伝羽。後方に控えて立っていた世利子が、篤久の背を強く叩いた。

「しっかりしろ篤久、あんた滅茶苦茶記憶力いいくせに何でそこだけ忘れちゃうの? 忠通くんと若葉ちゃんに失礼だと思わないの?」

「世利子ちゃん、一応デリケートな問題だから」

「問題がデリケートなのはわかってるけど、伝羽先生ちょっと甘やかしすぎじゃない? こいつはね、多少荒く扱った方が正常に動くの」

 確かに腫れ物のように扱われるのも嫌ではあるが、世利子の場合は当たりが強すぎる。

「テレビかよ」

 思わず呟くと、世利子はにや、と笑って、もう一発篤久の背を叩く。

「治れ!」

「これで治ったら苦労しねえよ。…………あ」


 チカチカと、視界と頭の中に、ちらつく。


 よく通り、よく弾む、軽さがありつつも低い声。

 音楽。

 古い歌謡曲、小学校の音楽で習う唱歌、童謡、クラシック。


 情報が激流となって脳内に渦巻く。


 眩暈めまいがして、椅子から転げ落ちそうになったところを、世利子に支えられる。

「あっちゃん?」

「……忠通……とうさん、好きだった? 歌」

 切れ端になってしまった情報を何とか拾い集めて口にする。世利子の手が、篤久の頭を優しく撫でる。

「そう。忠通くんは、音楽が好きだったね。先生だったんだよ、小学校の」

「……何かいっぱい持ってた」

「そう。家にいるとき、いつもレコードかけてたでしょ? オルガン弾いたりさ」

「…………誰、が?」

「忠通くんが!」

「忠、通……って、父さん……父さん?」

「そうだよ! 忠通くんはあんたのもう一人のお父さん!」

「父さん……父さんだな……あれ? ん? 俺の父親って旦那様だよねぇ」

「それは清海小父おじさん。ほんとのお父さんね。あんたは、預けられてたの。六年間」

「六年⁉ 長いな⁉」

「あんたそれ毎回びっくりするね面白いな」

 ふう、と息をついた世利子は、伝羽の方を向く。

「先生。今日ちょっといい線いってるんじゃない? 前より思い出してる」

「問題は、それをちゃんと覚えててくれるかどうか、なんだけどねぇ」

 伝羽は少し困ったように笑うと、持っていた湯飲みを机の上に置いた。

「篤久くんの場合は、忘れてしまった理由が理由だからねぇ。折角思い出しても、その理由を知った途端にまた忘れてしまう。思い出したくないって感じてしまうのは、そこに原因があるんだろうけど」

 机に向き直り、カルテに記録していく。

「確かにね、忘れたままでも生きてはいけるよ。でもそれはちょっと、哀しすぎるじゃないか。忠通と若葉ちゃんの為にも、キヨとカナちゃんの為にも、篤久くん自身の為にも。私は、ちゃんと思い出させてあげたいなぁ」


 ぼんやりとしたまま、篤久は伝羽の言葉を聞いていた。

 先程思い出したこと、口に出した言葉は、既に消えかかっている。誰かのことを、その人に関することを思い出そうとしていたのは覚えているが――


 熱した鉄板の上の水滴がなくなる瞬間のように、すぅっと引いていって、完全に消失した。


「難しいね、先生。俺、何でこんななっちゃったのかな」

 思い出したいのは山々ではあるものの、正直なところ、言われている程悲観しているわけでもなかった。思い出せないこと自体は、少し悔しくはあるが。

 伝羽は、微笑んだ。

「辛かったから、忘れちゃったんだよ。それだけ大好きだったってことさ」



     ▼     ▼     ▼



 平田忠通は、都心から離れた町の小学校教諭をしている気さくでお人好しな男だった。何せ幼い頃から仲のいい従兄いとことその妻に頼み込まれたとはいえ、嫌な顔ひとつせずに生まれて間もない赤子を預かってしまったのである。

 忠通は恋人はいたが独り身だった。そんな彼がある日突然乳飲み子を抱えることになったというのは、特に片田舎ではとんでもないスキャンダルになり得る──と、思われたが、彼のほがらかな人柄のせいか周囲の人々は協力的で、預かった子どもは順調にすくすくと、健やかに育っていった。


 そしてその子が四歳になったときに、忠通はたった一つの自身の秘密を教えた。


「篤久。父さんもな、お前とおんなじ力を持ってる。火の精霊さんと友達なんだ」


 ギフト『火炎操作』。

 炎を自在に操る力。


 内緒だぞ、と言いながら、忠通は時間をかけて、こっそり、力の使い方を教えた。


 人に知られないようにコントロールするやり方。

 あると便利な物、使ってはいけない物。

 使いすぎたり、出力を上げたときのデメリット。

 火というものの便利さ、そして危険さ。


 全てを、「火の精霊さんと仲良くする方法」として。

 一生付き合っていくことになるだろう力を、己の味方にすることを覚えさせた。


 地頭のいいその子は、面白いくらいにそれを吸収していった。

 忠通はそれを喜びながらも、時々、少し哀しそうな顔をしていた。



     △     △     △



「何かさ、その辺は何とな~く覚えてるんだよね、何となくだけど」

「火の精霊さんのこと?」

 伝羽クリニックを出て夕食の買い物に向かう途中、篤久は世利子から聞いた話に頷いた。

「それ。火の精霊さんと仲良くどうこうって、何でかそこは覚えててさ。だからこれ作るとき、お守り代わりっつーか、裏に入れてもらったんだよな。ちっちゃいトカゲ」

 ジャケットのポケットから取り出した幅のある指輪を世利子に渡して見せる。


 『火炎操作』の力は火を自在に操れるものの、無から火を生じさせることはできない為、火種を必要とする。

 普段は扱いやすい使い捨てライターを持ち歩いているが、世利子に見せたのはそれが使えなくなった際にと非常用に特注で作った指輪型のファイヤースターターの片割れだ。爪のような突起をもう一つの指輪で弾いて火花を発生させて使う。金属でできた火打ち指輪は、水に濡れても水分を拭き取れば発火させられるし、アクセサリーだと誤魔化すこともできる。

 その指輪の裏側には、トカゲような生き物のシルエットの刻印がほどこされていた。火の精霊といわれるサラマンダー――「友達」だと教えられた存在。


 掌で転がしながら、助手席の世利子は苦笑いした。

随分ずいぶん可愛いこと」

「だろォ? 大好きな父さんの教えと思い出を大事に刻んでるわけよ俺は。何て可愛いんだ」

「大好きな割に忘れちゃってるけど」

「しょーがねえじゃん俺だって忘れたくて忘れちゃったわけじゃねえもん」

「まぁ、そうね」

 仕方がないことではある、それは世利子にもわかってはいるが。

「……あっちゃん。今度の休み、お墓参り行くよ」

「やだ。謠子うたこにバレちゃうじゃん」

「あんたまだうたちゃんに話してないの?」

「やだ。絶対言わねえ」

「何でよ、あの子だったら何かいい方法」

「なくなってる記憶なんて一部だし、戻んなくても生きていけるし?」

 世利子の言葉を遮って。

「七歳以降の浄円寺の息子としての記憶はちゃんとあるんだから、知らなくたって問題ねえよ。大体さ、六歳以前の記憶なんて、はっきり覚えてる奴自体そんなにいねえだろ」

 普段は世利子に対しては腰が低い篤久だが、たまには強く出るときだってある。呆れ返った世利子は大きな溜め息をつく。

「記憶のあるなしじゃない、記憶障害なのが問題なんでしょバカ、このバカ」

「何で二回言うの!」


 浄円寺篤久には、故あってこれまで生きてきた中の一部の記憶がない。

 しかしだからといって、彼はそれを苦にしているわけではなかった。


 そんなことよりも、やるべきことが山積みなのだ。


「あ、そうだヨリちゃん、今日うちで飯食う? 秀平のリクエストですき焼きなんだけど」

「マジかラッキー! じゃあ美紅みく純白よしあきの塾終わったら迎え行ってくれる?」

「旦那はよ」

「いーちゃん今出張で中国、来週帰ってくるけど。工場に新しい機械入れるんだってさ。……あ、お肉、肉とみで買う? クーポンあるかも……あったあった、ほら十パーオフ! ビール券もあるわ、秀が飲むでしょ?」

「やだぁヨリちゃん女神~!」



 とりあえず、まずは、本日の夕食の支度から。




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