第13話


 何でこんなことに。私は両手で顔を覆い背中を丸めて俯いた。顔が熱い。耳まで真っ赤になっている気がする。きっと私が眺める側なら「可哀想だからやめてやれ」と言ってやれた。けれど残念ながら私は当事者で、集まる民衆にその言葉を言ってくれる者はいない。

「いや、凄いな。凄いぞエレン」

「まさか本当にアリーエリティア様がお姿を現すとは」

「海神様に祝福を受けるなんてとんでもないことだぞ」

「愛が起こした奇跡よね……素敵だわ」

「あれが人魚? 凄い。みんな美人なのね」

「あんなに小さな体であんなに大きなドラゴンを殴り飛ばしたのか」

「人魚の魔法って本当に歌なんだ」

 海である背後を除いた四方八方からはこれでもかという声が波のように訪れる。恥ずかしさの余り顔を上げることも出来ず、私はまた「何でこんなことに」と内心で独り言ちた。

 ノーマさんを始めとした人魚姉妹に引きずられるように陸に戻った私たちは、レースで使っていた場所とは少しずれた、そこまで険しくない岩場に辿り着いた。私が陸に上がると、ノーマさんは岩場に腕をついて上半身だけを海から出す。背後ではアデリン以外のお姉さんたちが満足そうにニコニコし、アデリンが隠す気もない不機嫌さで顔を歪めていた。

「エレンちゃん大丈夫?」

 怪我してない? と心配そうに尋ねられ、私は両腕を挙げて「大丈夫」とポーズも付けて示して見せる。ノーマさんは「なら良かった」と安心したように微笑んでくれた。

 さてこれからどうしようか。まずは大会の実行委員会に報告だろうか。海神の登場があったので皆ドラゴン襲来の結末は承知しているだろうが、当事者として何も言わないわけにもいかないだろう。声に出し相談するように考えていると、にわかに背後が騒がしくなってきた。人魚たちが警戒して頭だけが海から出る程度に潜りだす。ノーマさんは一瞬躊躇ためらったみたいだけど、私が肩を軽く押したら素直に海に潜ってくれた。

 それからひと呼吸置いた、次の瞬間。岩場の陰からぬっと鎧兜の人物が姿を現せる。背には身長ほどの大剣が背負われていた。ガチャリガチャリと音を立てて、鎧の見た目の重量からは考えられないほど軽い足取りでその人物は近付いてくる。ノーマさんが震えた声で私の名前を呼び海に逃がそうと腕を引っ張ろうとしてくれた。だけど、実は必要ないのです。

「お母さん」

 訪れた人物に呼びかけると、背後から異口同音の驚きの声が放たれる。うん、分かる私もそっちの立場ならそうなる。そんな彼女たちに私が説明するまでもなく、鎧兜の人物が兜を外した。中から出て来たのは、私が呼びかけた通りの母の顔だ。母は兜なしで私と顔を合わせると、安堵の息を吐き出す。

「良かった、怪我はなさそうね。まったく、あんた心配かけんじゃないわよ。お母さん心臓止まっちゃうかと思ったわよ」

「うん大丈夫、ごめん。……というか、随分懐かしいの出してきたね」

 母が身に着けているのは母がトレージャーハンター時代に着ていた鎧兜で、背負っているのは同じく当時使っていた大剣だ。引退後は父の希望で倉庫に飾られているもので、手入れのため以外で身に着けているのは初めて見た。

「当たり前でしょ! 自分の娘が殺されかけてるんだもの、たとえアリーエリティア様のご不興を買ったとしても助けるわよ」

 なるほど私のためか。それはありがたい。だけど

「それはありがとう。本当にありがとう。でもお母さん」

「何?」

「背後にそれ何人連れて来てる?」

 母のもっと後方、背の高い岩群の向こうからザワザワと大勢の気配が近付いてきている気配があった。ジト目で見据えると、母はくるりと背後を向き、少ししてから笑顔で振り返る。

「さあ? 私が連れてきたわけじゃないもの。中継観ていた人たちがこぞって押し寄せてるだけよ。……まあ、お母さんが駆けだしたからついてきちゃった人たちも多くいそうだけど」

 そりゃあそうでしょうよ完全武装してる母親が海に向かって駆けだしたらその先に娘がいると思ってついて来るでしょうよ。

 ――いや違う。そうじゃない。そこじゃない。聞き捨てならない単語が出て来た。

「…………中継…………?」

 自分でも驚くぐらい消え入りそうな声で尋ねる。事実と思いたくなくてこれ以上大きな声が出なかった。でも、そんな娘の繊細な心に気付くことなく――気付くつもりもなく、かもしれない――、母は空に向けた掌を胸の高さまで挙げた。その掌で踊るうっすらした姿の存在は……風と水と音の精霊、だ。彼らのこの祭りでの役割を思い出し、私は引きつる頬のまま足元に目を向ける。視線の先では、海から上半身を上げていたノーマさんが同じように固まっている。背後からは「つまり――2人の告白大公開?」とベッキーがちょっと笑いを含んだ声で状況を言葉にした。事実を認識し、私とノーマさんは恥ずかしさが爆発し同時に手で顔を覆う。

 その直後、あっという間に私たちの周りには人だかりが出来上がった。幸いにして母が武装状態で近くにいたので、触れる距離まで押し寄せてくる人たちはいない。

 これはこの後一体どうしたらいいんだろう。集まった人々は好意と感心と好奇心の塊だ。口々に上がるのは私や人魚達へのポジティブの発言ばかりだが、だからといって気分が良くなるかと言われればそんなことは無い。何せ一世一代の告白が全開公開されていたのだ。恥ずかしくて顔も上げられない。

 間違ったことをしているつもりは無い。この愛に恥ずべきところなどない。だがそれとこれとは別問題だ。母に助けを求めたいが、既に助けてはくれているらしい。一定ラインを越えようとする人が出る度にカチャリと脅すような音がする。

「んー、らちが明かないわね。ノーマちゃん」

「はっ、はい!」

 いい加減そんな攻防にも呆れたのか、母がノーマさんに声をかける。バシャリと水音を立ててノーマさんが顔を上げたのと同時に、驚いた私も咄嗟とっさに顔を上げた。そのタイミングで、母はにっこりと笑う。

「エレンのことを連れてしばらく逃げていてくれるかしら? 騒ぎが収まった頃帰ってきてちょうだい。その間こっちのことはおばさんに任せて」

「うわっ!?」

「エレンちゃん!?」

 力強く押し出され、私は海へと逆戻りした。すぐさまノーマさんが抱えてくれたので溺れずに済んだけど、泳げない我が子を海にたたき落とす母親がいるだろうか。

 文句を言いたい気持ちはあったが、助けてくれたことには変わりない。

「もー、お母さんありがと! 後よろしく! ノーマさん、ちょっとお出かけしましょう」

 お願いすると、ノーマさんは戸惑った様子を見せて私と母を見比べる。しかし、この場に留まっていてもいいことは無い、と判断したのか、私にあのキラキラの魔法をかけてきた。

「おっ、お母様、ここはお願いいたします。後ほどちゃんとご挨拶に伺います!」

 丁重に挨拶すると、ノーマさんは私を海に引き込み凄い勢いで陸から遠ざかっていく。途中すれ違った人魚姉妹たちは、ついてこようとしているアデリンを抑えながら笑顔で手を振ってくれた。


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