第6話


 大豊穣祭のレースは、最初に街中の大通りを駆け抜けることになる。たくさんの人が道の左右にいるため、店舗や屋台の宣伝をしたいだけの者たちはここで大体がスピードを落とす。実際、私の前にいたはずの人たちが、声援を送る人たちに向けて看板を振ったり声を揃えて店の名前を宣伝していた。おかげで随分道が空く。けれど、目的が「前に進む」じゃなくなった人たちというのは行動が予測不能になりがちだ。実際、左右に走り回る人たちやその場で踊り出す人たちにぶつかりそうになっている走者たちが何人もいた。

 私はそれらにぶつからないように細心の注意を払いつつ、かつ速度を落とさないように合間を縫って人ごみを走り抜ける。素材回収屋というのは、開けた道を進むばかりではない。ぶつかってはいけない植物や鉱物などを通り抜けることもあるのだ。それに比べれば人なんて大した障害じゃないと思えた。

 後方に陣取ってしまった者のみに訪れる第一関門を突破すると、次は市内の道を走り抜ける。馬車が6台ほど並んでも走れるほどの道だが、大通りほどではないので多少混雑していた。左右にはレンガ造りの集合住宅が立ち並んでおり、あちこちの窓から住民の声援が飛んでくる。

「あっ、あの赤髪エレンじゃないか?」

「ほんとだ! エレーン、頑張れよ―! 竜殺しの力を見せてやれー!」

 雑踏の音でかき消され気味な声が上から聞こえてきた。上を見上げる余裕はないが、この声とこの不名誉な名前は例の絵師の弟子と道具屋の倅だろう。彼らの声援のせいか、「えっ、竜殺し? どこどこ?」なんていう声がちらほら増えてきた。こんな大勢の中でそんな注目は浴びたくない。私はスピードを上げてそのエリアをさっさと駆け抜ける。

 市街地を駆け抜けた後は一旦町の端に出た。この町は海辺の町だが、陸地の内側に向かうにつれて標高が高くなっている。スタートは町の中央付近なので、山に例えるならば中腹付近。つまり、端に来たなら眼下に海が広がる崖が待っている。参加者はこの崖際に沿って整備されたぐねぐねした道を下っていくのだ。

 この辺りに来ると、最初に気合を入れすぎた観光客参加者たちが脱落し始めていた。スピードが落ちている人たちや最早止まりかけの人、あるいは単純に景色に感嘆している人たちを次々に追い抜いていく。

 しばらく駆けていくと、道が二手に分かれた。誘導員が示しているのは、平面になる道ではなく更に下る洞窟道。港の近くから続いているので、日に当てずに魚を運びたい時などに使われるものだ。出入口は最端同士で港のすぐそばと町の頂上付近。途中途中にこうして別の出入り口も作られており、レースではここから入り、少し先の出口から出ていくことになっている。

 ここには障害物が設置されるので見物客は入れないのだが、不満は上がらない。何故ならレースの状況は最初から最後まで、コースのあちこちに飛んだり待機したり、あるいは設置されている精霊、使い魔、魔法道具を通して町中に設置されている魔法の鏡に映し出されているから。何年か前に超巨大な魔法の鏡が作られゴール地点である町の頂点、海神の広場に設置された時は、町中が衝撃と感激に包まれたものだ。

 洞窟道に入ると視界は一気に暗くなる。明かりが焚かれていないわけではないのだが、太陽の強い光を浴びた後の目には圧倒的に光が足りな過ぎた。おぼつかない足取りになる人、立ち止まってしまう人、無理に駆けて壁に激突してしまう人、中にはあまり視界に変化がなかったらしく平然と駆け抜ける人もいる。

 私もそのひとりだ。ドワーフは元々洞窟で暮らしていた種族。暗さに目は慣れやすい。これに関してはドワーフの血が強い兄の方が優れているのだが、私も普通の人よりは早くに目が慣れた。

 洞窟の中の最初の障害は落とし穴。子供の頃友人たちと出場した際には、ここで私含めた何人かが落ち、引っ張り上げてもらうのにも他の人を引っ張り上げるのにも苦労した記憶がある。だからだろう、通り過ぎ様に落ちかけていた子供をついつい助けてしまったのは。

「気を付けてね」

 服の背中を鷲掴んで助けた、アルトと年の近そうな少年を安全な位置に下ろして、私は振り向かないまま先へと進んだ。背後からは少年と、お友達だろう子たちが声を揃えて「カッケー!」と興奮気味に叫んでいるのが聞こえてくる。

 落とし穴エリアを超えたら次は不安定な橋渡しだ。荷運びに使う道なのでもちろんしっかりした橋もかけられているのだが、そこから少し離れた位置にレース用の細い橋も架けられていた。下は川になっており、その先にある大きな地底湖に集まってから、水中にあるという穴を通って海に流れていくらしい。もちろんそこまで行くと危険なので、落ちてすぐの場所に何重もの柵が付けられ、さらに網も張られている。救出のために漁師をはじめとした海に慣れた人間、水棲の幻獣、水の精霊も待機しており、このレースで最も安全策が用意されている障害のひとつと言っていいだろう。

 そんな待機している人たちにお世話になることもなく先に進むと、今度は泥が大きく横たわっている場所にたどり着いた。私たちがいる側の端には「跳んでください」という立て札がいくつも立てられており、指示に従った人たちが次々にあちら側にジャンプしている。無事にたどり着きさらに先に進む人がいれば、落ちてしまい泥だらけになっている人もいた。

 泥の川は幅が変わっており、老若男女種族別でルートが決められている。自分が勧められたルートより下にはいけないが、上に行くのは問題ない。ときたら、ここは真っ直ぐ進める若年男性ルート一択だろう。私は速度を落とさないまま端に近付き、そのまま強く踏み込み勢いよく跳び出した。少々勢いをつけすぎて着地の際にバランスを崩してたたらを踏んでしまったが、無事に先に進めたのでよしとする。

 体勢を立て直してさらに進むと、待ち受けていたスタッフたちに貫頭衣かんとういを被らされた。

「この先の道で魔法人形たちから泥団子を投げられます。5発以上服に命中した場合都度3分待機となります」

 参加者たちが急いでいると分かっているのでスタッフの説明も早口だ。私は頷き了解を示してから再度駆けだす。件のエリアでは、先に入った者たちが必死に避けては進んでを繰り返していた。魔法人形は端にいるだろうから中央を突破すれば、と思っていたのだが、頭上にも翼を持った魔法人形が飛び回っている。背中に乗っているのは泥の精霊だろうか。地面に配置されている人形たちと違って地面から補給出来ないので手伝ってもらっているのかもしれない。

 状況を確認している間に前方から歓声が聞こえてきた。どうやら今駆け抜けきったらしい猫の獣人の少女が一発も当らずにクリアしたようだ。

「ぼっとしてらんないね」

 呼吸を整えてから、私は泥団子が飛び交う区間を駆けだす。とにかく走り、申し訳ないが危ない時は近くにいた人を盾にさせてもらった。その中に知っている顔もいたので、気付いた瞬間「あっ、エレンこの野郎!」と怒鳴られてしまう。ごめんなさい、と謝るだけはして先に急いだ。

 もう少し、と思ったその時、不意に隣に誰かが駆けこんでくる。え、と思う間もなく、脇腹辺りに泥団子を浴びてしまった。

「ごめんねエレンさん、折角だからノーミスで行きたかったの」

 舌をぺろりと出してウィンクを投げてきたのは顔見知りの冒険者の少女。身軽な彼女はさささと残りを駆け抜け、待っていたスタッフに綺麗なままの貫頭衣を投げ渡す。やられたことをやり返されてしまった私は、迂闊うかつだったと反省しつつ残りを抜け、同じように貫頭衣をスタッフのおじさんに投げ渡した。

 そこから更に進んだ先でようやく地上に出る。暗闇に慣れた目に太陽の光は恐ろしく凶悪だ。暗闇に慣れやすい私の目は、逆の状況には滅法弱い。痛みすら感じて涙が滲むのを必死に耐え、よろよろと先に進んだ。

 ようやく目が慣れた頃には光に目が慣れやすい人たちにどんどん追い抜かされてしまったが、幸いこの次は不本意ながら私向きの障害。重りを背負って駆け抜けるというものだ。

 ここでも老若男女種族で重りが分けられる。残念ながらハーフドワーフなことと重りの準備がこれまた顔見知りだったことから、全く迷いなく力自慢系成人男性用の重りを渡されてしまった。ずしりと両肩に重みを感じるが、これならまだ動ける。私は洞窟を出てからの遅れを取り戻すべく、よろよろと走る人たちの合間を縫って駆け出した。背後からは「もう少し重い方が良かったか」なんて言っているのが聞こえてきたが、冗談じゃない。確かに走れてはいるが、めちゃくちゃ全身の筋肉と肺を酷使しているのだ。普段の私ならこんなにはいけない。これも全ては愛のため。大好きなあの人に、高い所からこの想いを伝えるため。

 気を抜けば膝が崩れそうなのを懸命に堪えて走り続ける間に、重さに喘ぐ人たちを次々に追い抜くことが出来た。その途中くらいからまた左右に並び始めた人々の歓声の中、ようやく重りを下ろすポイントにたどり着く。見た目的には若い女の私が持っている物だから、と若いお姉さんが受け取りに来た。だが、彼女では恐らく無理だろう。私が一歩下がって地面に重りを置くと、重量をもろに反映した鈍い音と振動がお姉さんにも伝わったらしい。慌てて近くにいた大柄の男性を呼んでいた。

 その間に、私は軽くなった両肩を回し、前を走る参加者たちの姿を確認する。流石にこの種目を超えられる者となると体格の良い男性ばかりになっていた。中には細身の人もいるが、そこは特に驚くことはないだろう。細い、とは言い難いが、一見普通の女子に見える私がこうなのだから。

「おめでとうございます。クォーターチェックポイント4100位です。参加番号12331番だったのに凄いですね。残りも頑張ってください」

 重りが運ばれていく間に、お姉さんが木札の裏に順位を書き込んでくれる。この順位によっては、屋台は店舗などでサービスが受けられることもあるのだ。

 それにしても4100位か、あと3分の1で巻き返せるだろうか。この先はまず、海辺まで降りていく。そこでハーフチェックポイントを越えたら、折り返して今度は町の頂上海神の広場を目指していく。3番目のチェックポイントはその途中にあるスタート地点より高い場所だ。

「弱気は後! 行こう」

 駄目かもしれない、と思ってしまう考えを頬を打って追い払う。再度駆け出し、まだ近くにいた人たちを次々追い抜いた。疲れてはいる。けど、重りがなくなって体が軽い気がする。重りを持っている時よりもどんどん足が前に進んでいる気がした。この調子なら――。

「姉ちゃん速度出しすぎ! ペース作んないと後でへばるぞ!」

 声をかけられ、反射のように声の主を探して視線が動く。目が留まったのは、観客がコースに入らないように見張っている自警団の一人――というか、弟だ。何だか嬉しそうな笑みを浮かべているのは何なんだろう。

「ようやく外出たと思ったらいきなりレース参加とか、ホント姉ちゃんとんでもないな。頑張れよー!」

 脇を通り過ぎる間にも声をかけられ、私はこのレースが始まってから初めて後ろに視線をやった。笑顔で手を振る弟の姿を見て、自分がそれだけ弟にも心配をかけていたのだということをようやく認識する。

「ありがと! 頑張る!」

 大声で返してから、私はまた前を向き、今度こそ岩を担ぐ前のペースを維持した。私も体力を使う仕事だが、継続的に、という目的がある今は弟の言に従った方がいいだろう。疲れたら勝手に休憩出来る私と違って、弟は決められた時間・場所まで体力をたせなければいけない。その経験からのアドバイスは馬鹿に出来ないはずだ。


 そんな私の判断と弟の言葉が正しかったことは、それから十分ほどで顕著にコース上に表れる。私と同じように、解放感から速度を出しすぎた面々が次々にスピードを落とし、中にはコース脇で転がる人もいた。私は心の中で弟に礼を言い、そのまま先へと進んでいく。

 しばらく駆けていると、途中に給水ポイントが現れた。道の左右にあるだけなら、ほとんどの人がそこをスルーしただろう。けれどこの大豊穣祭は一味違う。左右にもあるが、参加者たちの頭上にも浮遊している。そちらを利用する場合は、掌を空に伸ばせばいい。そうすると、水の精霊たちが塩を溶かした小さな水球をいくつも掌に生成してくれるのだ。

 私も掌を上に向けた。すぐにそこには一口大の水球がいくつも作られる。ありがとう、と聞こえているか分からないがお礼を口にして水球をいくつか口に含めば、手で握っても壊れない不思議な水球は弾けて一気に口の中が水でいっぱいになった。ごくりと喉の奥に落とし込み、もうひとつ、と手を開く。

「あれ」

 水球増えてるよ。聞こえてたのねお礼……。嬉しかったらしい水の精霊のサービスに素直に感謝し、私はさらに先へと進んだ。

 やがて視界に写ったのは、やけに高い幅広の棒。が、何本も。その頂上には鐘が取り付けられているようだ。それだけでも、私は次の障害が何かを理解する。

 私が辿り着いた時、ちょうど若い男の人がハンマーを振り上げた瞬間だった。それを見て、私は予想が当たったことを確信する。棒の下部にはパッドが取り付けられており、そこにハンマーが打ち付けられると、小さな金具が棒に沿って上へと打ち上げられた。金具はぐんぐん頂上に上がっていき、最後に鐘を打ち鳴らす。カーン、という小気味いい音が響き渡った。男の人は「よっしゃあ!」とガッツポーズを取って先へと進んでいく。その隣の棒では、別の男の人が失敗して列の後ろに向かわされていた。なるほど、やっぱり鳴ったら合格か。

 回転が速いので、少し待つだけですぐに私の番が来た。回転が速かろうが、時間をロスしたくはない。私は右手を前の方に、左手を後ろの方にして柄を握る。そして、ひと呼吸おいてから、薪を割る要領でハンマーを叩き下ろした。ハンマーの面はしっかりとパッドを捉え、金具はどんどん頂上に上がっていく。そして、他の棒が奏でる音と共に、大きな音を立てた。

「合格です。どうぞ先にお進みください」

 スタッフさんに先を促され、私はさくさくと駆けだす。その時、集中が切れた私の耳にはようやく他の声が入ってきた。一応棒には高さが調整されているらしく、何人かが「おいあっちの棒の方が低いからあっち行こうぜ」と慌ただしく背後で駆け回っているようだ。ちらりと軽く振り返り、私は納得する。なるほど、回転が速いわけだ。短めの方の棒に人が集中していた。

 あの面々が全員終わるには時間がかかるだろう。今のうちにどんどん進もう。私は前を向き直り、先へと急いだ。

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