第1話


 彼女と出会ったのは大体半年前。行きつけの食堂・金のうさぎ亭に新しく入ったとおかみさんに紹介された。

「この子生まれつき喋れないらしいんだけどね、ほら、この魔法道具で会話は出来るから、よろしくしてやってちょうだい」

 大きな港町の食事処を経営しているだけに、このおかみさんは細かいことは気にしない性質たちだ。しっかり働いてくれるならどんな種族でもどんな過去があっても受け入れるので、従業員は多種多様。この女性も、どうやらその一員に仲間入りらしい。ハムスターの頬袋よろしく魚を含んでもぐもぐと口を動かしながら見上げると、女性がペンの形をした魔法道具を振る。遅れて空中に「よろしくお願いします」とつづられ、女性は明るく微笑んだ。花が咲いたように華やぐ空気に素直に「美人さんだなー」と呆けてから、私は魚を喉の奥に飲み落とす。

「ようこそ、海と精霊と生きる町ホルトレーアへ。私エレン・ダルトリー。おねーさんのお名前は?」

 町の口上を述べてにっと笑い返して右手を差し出すと、女性はペンを持ちかえてまず握手に応じてくれた。それから、再度ペンを振り空中に「ノーマ・サムウェル」と書き出す。

「ノーマさんっていうんだ。何か困ったことあったら言ってね、私力だけはあるから。よろしく」

 力こぶを作って見せると、女性――ノーマさんは嬉しそうに笑ってくれた。それが始まり。


 それから私たちは時々言葉と文字で話をするようになり、お互い色々なことを知った。たとえば、ノーマさんは22歳で、私より3歳年上。家族はお父さんとお母さんとお姉ちゃんが4人いるらしい。外の世界が見たい、と家を出て、この町に来たのだと言っていた。末っ子なのにしっかり者なことを褒めたら、お姉ちゃんたちが暴走しやすい性質だからその後始末に追われることが多かったんだと遠い目をして教えてくれた。

 私の話も彼女にしている。今年19歳になること、家族はおじいちゃんとおばあちゃんとお父さんとお母さんとお兄ちゃんと弟。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんはドワーフで、お母さんが人間なので、私たち兄弟の種族はハーフドワーフになる。そのことを話した時はびっくりされたけど、これは実はよくある。

 私はお母さん(人間)の血が強いので見た目は普通の人と変わらない。ただ、スタイルの良いノーマさんと比べると背は低くやや寸胴気味なので並んだ時はちょっとショックだったりする。唯一ノーマさんに勝てているのは胸の大きさくらいかな……。この話はおかみさんにされて、その時はノーマさんの方がショックを受けてたっけ。

 そんな感じに色々な話を交わしていき、私たちは日を追うごとに良い友達になっていった。



 私の感情が変わったのは、今から約2か月前。その日、私は生まれて初めて出来た彼氏に僅か3週間で振られた。理由は私の大雑把すぎる性格と余りまくる力のせいだ。「慣れてない感じが可愛いかと思ったけど、今はもう女として無理」とはっきり言われた時、耐え切れず涙が浮かんで、悔しくて、感情のまま彼が寄りかかっていた木を殴り倒してしまった。木には大変申し訳ないが、人体を殴らなかっただけの冷静さをその時残していたことを褒めてほしい。


 そんな感じで失恋した私はやけ食いのために金のうさぎ亭に行き、予定通りやけ食いを始めた。

「どうしたんだい、そんな馬鹿みたいに食って。子豚にでもなるつもりかい」

 呆れたようにそんなことを言いながら、70を超えるのにしゃっきりしている大おかみさんは注文した料理を次々に持ってくる。私がそれなりに稼いでいることを知っているので、「本当に払えるのか?」という心配はしていないらしい。その信頼はありがたいことだ。そんな茶々を入れられてやけ食いを邪魔されてはたまらない。

「やけ食いだよやけ食い! あんにゃろう言うに事欠いて『女として無理』とか! 私だって服とか髪とか頑張ってたじゃんか!」

 赤毛の首までの長さの髪は、彼に会うまでばさばさだった。海風に晒されいつでも紐で高く結っているのにまともなお手入れをしてこなったツケだろう。今でもまださらさらとは言い難いけど、それでも以前に比べればだいぶ柔らかくなっている。日に焼けた肌の手入れもするようになった。服だって兄や弟のおさがりじゃなくてちゃんとした女物を買うようになった。彼のために、頑張って「女の子らしさ」を磨いていたのに。それなのに。

「あーーーーーーっもう!! あんな奴のために使ってた時間がもったいないっ!!」

 悔しさは耐えがたく、叫ぶ言下に拳を机に叩き付けてしまう。その途端、大きな木を分厚く輪切りにして加工してある机が激しい音を立てて二つに割れた。乗っていた皿が次々に落下しては割れ、周囲には木の欠片が飛散する。同じテーブルの離れた所で食べていた海商のおじさんたちに怒鳴られて素直に謝るけど、涙が浮かんだ目は自然とおじさんたちを睨んでしまった。昔トレージャーハンターだったという母は怒りを発する時大男すら怯えさせる威圧感を出すのだが、男家族たちが言うには私もそこは似ているらしい。今おじさんたちが顔をひきつらせて後ずさったのはそのせいだろう。本当にごめんなさいでも今は無理です。

 割れた机の片方を両手で掴み、全身に力を入れて水平にする。それから少し引きずって、もう片方の上に被さるように置いた。きちんとした水平ではないが、まあこれで再度皿は置けるだろう。掃除に来たホブゴブリンたちに場所を開け、私は少しずれた場所に椅子を持っていき再度座り込んだ。その前に、心配そうなブラウニーたちが料理を置いて行ってくれる。良き家にこっそり居つくと言われる妖精たちがこうして堂々と手伝いに出るのだから、この金のうさぎ亭は大した店である。

「エレンー。あんたそれ皿と机の代金も請求するからね」

「ごめんなさいってば! 机は後で作って持ってくるよ!」

 客同士の喧嘩が日常茶飯事なお店だけに、大おかみさんは私の蛮行にも平然としていた。やけ食いを再開しながら答えればしゃあしゃあと「兄ちゃんに加工してもらいな」と上乗せしてくる。くそー、お兄ちゃんの家具作りの腕は一級品なんだぞ。この机6つ買えるぐらい高いのに……。

 商売人な大おかみさんに良いようにやられた気もするが、嫌だと言える立場ではない。私は帰ったら兄に頭を下げることを決めた。

 うちの家族は、祖父がガラス工、祖母が紙細工の職人、父が宝石の加工商で、母はそれらの販売担当、兄は家具職人、私は素材回収屋で、弟が自警団の団員をしている。子供の頃から兄にはべったりだったので私も基本的な家具の組み立ては出来るのだが、大おかみさんはそれでは不満らしい。――というより、元の机の代金で一級品の代物が手に入る機会を逃す気がないらしい。足元を見られた情けなさと、そんなことをしてまで兄の技術の結果が求められている嬉しさに何とも言えない複雑な気持ちになる。これはもう飲むしかない。

「おかみさーん、お酒ちょうだーい」

 大声で声をかけると、樽型ジョッキを両手で4つ抱えて歩いていたおかみさんは威勢よく返事をしてくれた。この国の成人は18歳。私ももう飲める年だ。

 お酒を待つ間持ってこられた料理を次々に口に運んでいると、大きなグラスジョッキを持ったまま縦にも横にもがっしりしたおじさんが近付いてくる。ドワーフのような口髭も蓄えているので、ドワーフが3倍ぐらい大きくなったらこんな感じかなと思えた。この人は知っている。この町でも一、二を争う有名な大工さんだ。確かエバートンさんだったかな。

「おうおう、姉ちゃん凄ぇ力だな。名前何てぇんだい?」

 酔っぱらっているエバートンさんは豪快に笑いながら隣の席に着く。ぎしっ、と小さな椅子が折れるのに耐えながらたわんだ。椅子の強度に感心しながら、私は口に物を入れたまま名乗る。すると、エバートンさんは「ああ」と得心がいったとばかりに膝を叩いた。

「おめぇがドラゴン殺しの回収屋か。女だとは聞いてたがこんなちっこい娘だったのかよ。おおい野郎ども、こっち来い、ドラゴン殺し様だぜ」

 エバートンさんが大声を出すと、呼ばれた部下の人たちだけではなく声が聞こえた関係ない人たちまで一斉に私の方を向いてくる。真面目にやめて欲しい。私はエバートンさんをじろりと睨み上げた。

「エバートンさんその『ドラゴン殺し』ってやめてくださいよ、人聞き悪い。追い払いはしたけど殺してないから」

 文句を言っている間に部下の人たちがぞろぞろ集まってくる。「あれが有名な」なんて言われるけど、全然嬉しくない。こんなの噂の独り歩きだ。しかもまた女らしくない方向の。

「あん? でも絵師先生の弟子坊主と道具屋のせがれが大騒ぎしてたぜ。お前さんが大谷の関所に居座ったドラゴンぶっ飛ばしたって」

 なぁ? と同意を求められ、周りに集まった筋骨隆々の男たちが次々に頷いていく。ああむさくるしいこの構図。いくら男に振られたからと言って誰彼構わず囲まれたいわけじゃない。いや、私を可愛らしい少女として愛でてくれる男性たちになら囲まれたいが、こんな雄々しい戦士を見るような視線をした連中に囲まれても嬉しくもなんともない。

「いや……確かに関所にいたドラゴンが邪魔で帰れなかったからどかしはしたけど……でもぶっ飛ばしたのと殺したのとじゃ違うじゃん!」

 生まれた時から腕力には恵まれてきたが、殺生は(無邪気な子供の頃に虫や魚にしてきたことを除けば)一度もしたことがない。この違いは重要だ。この棟梁が先ほどから言っているドラゴンの件だってそうだ。知能が低いタイプのドラゴンだったので口で言っても聞いてもらえなかったから、思い切り殴って怖がらせて追い払ったに過ぎない。それを見ていたらしい者たち――主に先ほど話題に上がった絵師の弟子と道具屋の倅――が英雄譚を語るがごとく言いふらした結果、大きな尾ひれ背びれがついてしまって今に至っている。

「ドラゴンを素手で追い払えるってだけでも十分称号にぴったりだと思うけどなぁ」

 集まった部下たちの誰かが言った言葉を受けて反射的にそちらを向き睨みつけると、ひぃっ、とその方面から悲鳴が多数上がった。背後ではエバートンさんががっはっはっと豪快な笑い声を上げて「まあそう怒んな」と背中を叩いてくる。

「それにしてもエレンよぉ、お前さん、そんだけの身体能力があるんなら大豊穣祭でもトップ狙えるんじゃねぇか? 参加したらどうだ。お前に賭ければ稼げそうだ」

 遠慮なく叩いてくる分厚い手を片腕で受け止めて、私はじと目でエバートンさんを見上げた。

「それ出るの男の人ばっかりだし、女の人だって出るのは腕に自慢のある現職冒険者とかその辺りじゃないですか。何で私が」

「そん中でも危険なダンジョンにひとりで入って素材をごっそり持って帰って来られる奴やドラゴンを素手で追い払える奴はそういねぇと思うぜ」

 笑いながら話を遮られる。ごきゅごきゅと喉を盛大に鳴らしてグラスを傾けるエバートンさんの頬はすっかり赤くなっていて、完全に酔っぱらっていることが察せられた。これだから酔っぱらいは……。私はため息をついて今話題に出された祭りについて思考を巡らせる。

 大豊穣祭。それは、海の実りと平穏を感謝し三日三晩行われる大規模なお祭りのこと。始まった頃はただの大きなお祭りだったが、ある時から「海の神にお見せする催し物」として生身で走る障害物付きのレースが開催されるようになったのだ。それは年々規模を増し、現在では多額の賞金が出る目玉のイベントとなっている。中にはそのレースのことを大豊穣祭だと思っている観光客もいるくらいだ。直前まで参加申し込みが出来るという門戸の開きぶりゆえに、毎回多くの観光客が記念にと参加している。おかげで、レースが開催される2日目は年々観光客が増加していた。

 一方で変わらないこともある。レースは今なお魔法や魔法道具の使用が一切禁止の生身による競い合い。「研鑚の結果だから参加出来ないのは不公平」との声も上がっているが、今の所その主張が通る予定はないらしい。何せどんなに娯楽色が強くなっても、レースはあくまでも「神様へ捧げる感謝」が大前提。人が自らの肉体で力を示すということは変えてはいけない指針だ――そうだ。

 そういう意味では、魔法も魔法道具も使っていない私は、確かに大豊穣祭のレースには有利だろう。けれど、私は別にそんな大金必要としていないし、生まれた場所だから今更記念にも何もない。何より、そんなイベントに参加したらまた余計に「女らしくない」と言われてしまう。しかもより多くの人の前で。そんなのはごめんだ。

「エレン、お前出ろって。俺が代わりに申し込みしといてやるからよ」

「知ってる奴らはあんたに賭けそうだが、知らない奴らも大勢いるから、こりゃ稼げそうだぜ」

「祭りが開催されるまでの2ヶ月の間休業したらどうだい? そうすりゃ他の連中の印象も少し薄れるかもしれねぇ」

 わいわいがやがやと、エバートンとその一派は私に勝手な意見を言い募る。いい加減イライラしてきて思わずフォークを持つ手に力が入った。ぴしり、と入ったひびが広がる前に、隣からふわりと芳香が漂う。思わず見上げれば、樽型ジョッキを手にしたノーマさんが立っていた。

 ノーマさんは目が合うとにこりと笑いジョッキを机に置いてくれる。お礼を言うとまた柔らかく微笑んでくれた。ああ、こんな女らしさが欲しかったな……。うっすらと涙が浮かんだ双眸で見上げていると、ノーマさんはこんな仕事をしているのにほんの少し荒れただけの白い指先で頬を撫でてくれる。それから、笑みを浮かべたまま顔を上げた。……うん? 今笑顔が変わった気がする。なんというか、その、怖い。

 本能で恐怖を感じ取り固まっていると、ノーマさんは大きくペンを振った。すると、まだ私の参加についてわいわい話しているエバートンさんたちの前にでかでかとした文字が現れる。

『本人が望まない話題で傷心中の乙女を囲まないでくださいね?』

 「傷心中の乙女」という単語に嬉しかったり恥ずかしかったり。同じところに目がいったエバートンさんたちは「こいつが乙女って柄か」という類のことを言って笑い出した。こいつら殴ってやろうか。怒りのままがたりと立ち上がろうとする。だが、実行には至らなかった。ノーマさんがもう一度ペンを振って、さっきよりも大きな「ね?」という文字を出すと、浮かべ続けられる笑顔の圧力も助けてか、男性たちは少しずつ笑顔をひきつらせはじめ声を落としていく。

 最終的には、エバートンさんがごっほんと咳払いをして立ち上がり、「野郎ども戻るぞー。傷心中の乙女の邪魔はしちゃならねぇ」と白々しい言葉を残して戻っていった。最後にちゃんと「悪かったな、でも期待してるぜ」と謝りつつも諦めない姿勢を見せていくところはいっそ天晴れだ。

 むさくるしい面々がいなくなると、場は一気に静かになる。とはいえ、周りの雑談の音は消えないので「比較的に」という話だが。

「ノーマさん、ありがとう」

 笑顔を向けると、ノーマさんもいつもの笑顔を返してくれた。それから、私の目の前で小さくペンを振る。

『どういたしまして。もしよければ、この後飲みに行かない? 私今日は後30分で上がりなの』

 お買い物に、というお誘いはよくされるしするが、外に飲みに行く、というのは初めてだ。どうかしら、と首を傾げるノーマさんの気遣いを感じて、私は笑顔で「行く」と返事をした。


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