第2話【リナ・セヴァリーの独白】

 大気圏から見上げる宇宙そらは、時の移ろいとともに様々な色を私たちに見せてくれる。

 目覚めを促す朝の白や、郷愁を誘う夕の薄黄色や濃い橙。宵にさしかかる狭間の薄紫を経て、私の幼い記憶を刺激する星空の踊る深藍ふかあいに染めあがる。


 航空宇宙局、メリーランド州にある宇宙飛行センターの一角。管制室が冷めやらぬ興奮に包まれていた。付近には、若手研究員から壮年のエンジニアまで、膨大な情報量が口頭で飛び交う慌ただしい人だかりができている。外の空気を吸おうとロビーに出ようものなら、主任研究員のひとりに数えられてしまっていた私は、瞬く間に取材班につかまってあることないことコメントを求められてしまうだろう。未だ冷める気配のない熱気からするりと抜け出し、ひと息つこうと自室に戻る道すがら、遠巻きにメディアルームに集う人だかりを見た。

 人々の視線は一点に熱く注がれている。モニターに表示された無骨でいびつな灰色の岩塊と、画面中央で揺らぐ金属のアームらしきもの。それが遠のいたり近づいたりするだけの動画を、人々が食い入るように眺めていた。


 皆が、遥か数億キロ離れた宇宙の向こうで接地タッチダウンを狙う、宇宙探査機我が子を見守っている。


 それを横目に、裏から外の空気を吸いに出た。

「我が子、か」

 開いたドアの先に立てば、舞う冷ややかな風が私の内側に篭るにわかな熱情に一寸の冷静さをもたらしてくれる。

「——ふぅ」

 白い壁によりかかり、遠くの暮れ行く中空を見つめた。

 こうしてそらを眺めていると、兄の姿がよぎる。兄のマット……マシュー・セヴァリー。今の私にとっては先輩研究者でもあり、かけがえのない兄だった。去年、病で倒れ、志半ばのままこの世を去ってしまった。

 どうしたものかな。

 今も昔も、兄の笑っている姿ばかりが浮かぶ。

 脳裏に浮かぶその姿が、あの日の記憶を呼び覚ました。


 ——いつか、私が連れていく。


 在りし日の幼い宣言がこだまする。胸の奥で、何かチリチリとした感情の澱のようなものが芽生えた。ふいに服のネックのあたりをにぎり、鳩尾みぞおちのあたりをさするようにして、握った手が小さく揺れ動く。

「やっと、ここまで来れた……」

 あの言葉は、まだ小さかった私にとって、振り絞った勇気がそのままカタチになったような、そんな想いのカタマリだった。兄のマットは嬉しそうに同意してくれて、その嬉しそうにする兄の様子が、私にかつてない充足感を与えてくれたのをよく覚えている。


 それが私をここまで連れてきた。

 なのに——。


 目の前で吐いたため息は白く、さらりと風にさらわれた。

「あなたも連れて行きたかった。兄さん」


 兄の目指した、人類の——自らの手による惑星探査。

 その夢を、私は兄に届けられなかった。

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