第39話

「天原さん、危ない!」

「天原、後ろ!」

 私たちが叫ぶも空しく奥本は天原さんが振り返るより先にテーブルの上にあったコップを掴むと彼の後頭部目がけて振り下ろした。

 直撃の瞬間、私は思わず目を背けた。ゴン、という鈍い音の後にドサリと人が倒れる音がした。

 視線を戻すとそこには頭を押さえながら倒れている天原さんとそれを怖い顔で見下ろす奥本がいた。

 奥本は天原さんの足元に落ちていたタオルに包まれた武器を拾い上げると中身を取り出した。そして中の物を見ると奥本は顔をみるみる赤くさせ怒鳴った。

「こんな物で俺を脅しやがって!」

 タオルの中から出てきた物、それは黄色いバナナだった。

 私が今まで武器だと思っていたものはタオルに包まれた一本のバナナだったのだ。

 ……え、天原さん。今までバナナで戦ってたの? というか何でバナナ?

 予想外の品の登場に拍子抜けしてしまった。隣にいる莉奈に顔を向けて説明を求める。

「うちの店の品」

 莉奈も察したようで一言で答えた。

 そういうことを訊きたかったわけじゃなかったけど、これ以上詳しく訊ける状況にない。それよりも天原さんを何とかしないと……。

 視線を天原さんに戻すと、奥本がバナナを天原さんに投げつけてお腹に蹴りを入れた。天原さんの口から呻き声が漏れる。

「天原さん!」

「おい! やめろ!」

 私たちの声を無視して奥本は何度も何度も天原さんを足蹴にした。

「俺の、ことを、馬鹿に、しやがって!」

 次第に天原さんの口から出る呻き声が小さくなっていく。そして彼が一切の抵抗をしなくなると奥本は満足そうにこちらを振り向いた。

「次はお前らだ」

 そう呟くとじわりじわりとこちらに近づいてくる。

 逃げなくちゃ……。でも奥本に睨みつけられるとさっきまでの恐怖が戻ってきて体が竦んで動けない。それに天原さんを置き去りになんてできない。

 そうこうしているうちに奥本はあと一メートルほどの距離まで詰めてきていた。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう……。

 私の恐怖と混乱がピークに達したとき、莉奈が一歩踏み出して私を守るように両手を広げた。

「莉奈……?」

「大丈夫だ。言っただろ? 絶対ここから連れ出すって」

 そう私に微笑みかけると締まった顔になって奥本を見据えた。

「おい、奥本。優月には指一本触れさせねぇからな!」

 莉奈が強い口調で言い放つと、奥本は何かに気づいたようにハッとした。それから目を細め少し前屈みになった。それはよく観察するような動作だった。

「お前……倉井か? 俺を殴って退学になった」

「あれは正当防衛だ。オマエのせいであたしの人生めちゃくちゃになったんだ!」

 すると奥本はフッと吹き出しだ。そして莉奈のことを頭から足の指のつま先まで値踏みするように見つめた。

「……みたいだな。髪も染めて言葉づかいだって不良のそれじゃないか。それで挙句の果てには強盗か。俺の目に狂いはなかったよ」

 奥本の口元が冷笑に歪む。その表情が、言葉が莉奈の逆鱗に触れたみたいで、彼女は堪えるように体を震わせている。

 奥本は極みつけの一言を放った。

「お前はクズだったんだ」

 莉奈は導火線に火がついたみたいに奥本に向かって飛び出した。拳を作って完全に戦闘態勢だ。

「なんだとコンニャロォォォ」

 しかし相手は大人の男だ。いくら見た目が尖ってようが莉奈は十八歳の少女。彼女が振るった渾身の一発はいともたやすく奥本に受け止められ、逆に弾き飛ばされてしまった。

「これはあの時のお返しだ」

 廊下に転がる莉奈に奥本は蹴りを入れた。蹴りは莉奈のお腹に当たり、彼女はグェッと呻き声をあげると体を丸めたまま動きを止めた。

「莉奈!」

「優月……にげ……て」

 天原さんに続き莉奈までやられてしまった。もうダメだ。恐怖に竦んだ私を守ってくれる人はいない。一人でなんとかしなければならないのだ。

「あとはお前だけだ。どうする? もう助けも来ないぞ?」

 奥本が気持ちの悪い視線で私を見た。視線が当たるだけでもゾワゾワと鳥肌が立つ。

 勝者の余裕なのか奥本はトン、トンとフローリングの床を一歩一歩もったいぶるように近づいて来る。

「俺を殺そうとしたことは許してやる。土下座して詫びろ。そしてこれから俺の言うことを一生聞くんだ」

「…………」

 私は奥本の言葉に答えずに後退った。

 味方がいないと思うと恐怖に支配されそうになる。体がガタガタ震えて、息も乱れている。逃げてしまおうか、どうしようか。

「早くしろ! それともこいつらと同じになりたいのか!」

 怒鳴りつけられてびくりとする。

 奥本は顔は動かさず、手だけで後ろの二人を指さした。天原さんと莉奈はボロボロになって倒れている。

 私のせいで二人はああなってしまった。私が捕まったから彼らは二人だけでここに乗り込んできた。私のために。それなのに私だけ逃げるなんて出来ない。それに私なら奥本に痛めつけられても殺されることはない。ならば私が!

「早く。早く! 早く!」

 ヒステリックに叫ぶ奥本に私は怒りに染まった目で睨みつけた。

 誰が土下座なんかするもんか! 誰がお前の言うことを聞くもんか! 天原さんを、莉奈を返せ!

「……そうか、分かった」

 無言の訴えが奥本に届いたのか、彼は私の目の前で立ち止まるとそう言った。そして私の胸ぐらを掴んで手を振り上げた。

「残念だよ──」

 私はすぐに来るだろう衝撃と痛みに備えて目を閉じた。しかし、数秒経ってもそれらは来なかった。代わりに「なにっ⁉︎」と言う奥本の驚いた声が聞こえた。

 恐る恐る目を開けると私は思わず声を出していた。

「天原さん!」

 目の前で奥本の振り上げた腕をボロボロの天原さんが掴んでいる。頭から流れた血がつぅーと筋になっていて痛々しい。

「なんで、まだ……」

 信じられないという顔の奥本に天原さんは言った。

「ホント、残念だったな。僕がまだ動けて」

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