第38話
あまりに唐突な出来事に私も奥本もぽっかり口を開けたまま見つめあっていた。一秒にも満たない時間がとても長く感じた。
あっと思った瞬間、肩を思いっきり突き飛ばされた。後ろによろけた私は、上がり框につまずいた拍子に尻餅をついてしまった。
──このままだと、また監禁される。
目の前には奥本が立っている。でもドアはまだ開いたままだ。このチャンスを逃す訳にはいかない。すがる思いで咄嗟に叫んだ。
「たす──」
「大きな声を出すんじゃない」
慌てて飛んで来た奥本がごつごつとした手で私の口を塞ぐ。奥本の後ろでは彼が動かしたドアがゆっくりと閉まっていくのが見えた。
私の叫びは封じられてしまった。終わった。私はここで奥本に酷い目に遭わされるんだ……。
恐怖と不安が一気に押し寄せて来て呼吸を乱す。まるでマラソンをしているみたいに息が苦しくて、心臓がバクバクしている。
奥本は私の口を塞いだまま、逆の手で持っていたレジ袋を掲げた。そして恩着せがましく言う。
「せっかくお前のために晩飯を買って来てやったのに!」
それから立ち上がると表情が抜け落ちた顔で私を見下ろした。
同時に口を覆っていた手が外され、息が楽になる。私は貪るように新鮮な空気を肺にいれた。
呼吸が落ち着くと視線を奥本の顔から下ろしてレジ袋に向けた。白いレジ袋に印字されているロゴは莉奈が勤めているコンビニと同じものだ。中にはうっすらとだが弁当と菓子パンらしきものが透けて見えている。奥本は本当に近所のコンビニに夕食を買いに行っていたようだ。しかし女子高生一人がこんなに食べられるはずない。たぶん弁当は自分の分だろう。
「お仕置きだ」
視界の外から声が降ってきたかと思うと、奥本は私の胸ぐらを掴んだ。繋がった両手で奥本を叩いたが相手はまったく怯む様子はない。
奥本はレジ袋を廊下の端に置くと両手で私を掴んだ。
私も必死に抵抗したが、それも虚しく、そのまま廊下をずるずる引きずられ、浴室まで連れ戻されてしまった。
手と足には粘着テープの他に新たにビニール紐での拘束が追加された。さらに変な液体を飲まされた挙句、口にはタオルで猿ぐつわまでつけられてしまった。
抗議の声を上げるが猿ぐつわのせいで唸り声になってしまう。それでもふんふん唸る私の頬を奥本は掴むと無理矢理視線を合わせた。
「今回は大目に見てやる。だが次はないぞ? 次やったら、俺はお前の脚を折らなくちゃいけなくなる。そんなむごいことしたくないんだ」
まるで野生の獣のような鋭い目つきで言う奥本に私は恐怖した。唸り声も喉の底で鳴りを潜める。この男なら本当にやりかねない。
その後、私は元いた浴槽に入れられた。奥本は蓋を閉めたあと、今度は簡単に逃げられないようにと蓋と浴槽の間を粘着テープで目張りをしてしまった。
万事休す。どうすることも出来ずにぼーっと倒れていると、だんだん意識がぼやけていくのを感じた。この感覚は二度目だ。一度目はもちろん奥本が出したお茶を飲んだときだ。そうなると、さっきの変な液体は睡眠薬の類だったのかもしれない。
こんな短時間で二度も服用していい品なのだろうか、そんな心配もしていたが、次第に意識が薄れてきてだんだんとどうでもよくなった。
強烈な眠気に抗うことも出来ず、私はそっとまぶたを閉じた。
「……みや! のみや! どこにいる!」
「ゆづきぃ、どこー! ゆづきぃー!」
大声がして目が覚めた。その声は男性と女性のもので私を呼んでいた。しかも聞いたことのある声だ。だけど、頭の中は霞がかかったようにぼんやりして思い出せない。誰の声だっけ……?
その時、私はハッとした。
──天原さんだ!
あのメールを読んだ天原さんが助けに来てくれたんだ!
それと女性の声は莉奈のもののように聞こえる。なぜ彼女がここに来ているのかは分からない。だがこの機を逃すわけにいかない。
私はめいいっぱい叫んだ。猿ぐつわをされているからほとんど言葉にはなっていなかったけど聞こえるだけで十分だ。
喉がはち切れるんじゃないかと言うほど叫んだ。すると誰かがこちらに駆けて来る音がした。天原さんたちだろうか、それとも──。
粘着テープが剥がされる音がして、ガタガタと風呂蓋が持ち上がる。光が差し込んで浴槽内が一瞬で明るくなった。
「優月!」
見上げると光の中に莉奈がいた。その目には涙が浮かんでいる。
莉奈は廊下に向かって「発見!」と叫ぶと私の体を抱き起こしくれた。さっきは浴槽の縁で見えなかったけど、なぜか莉奈はコンビニの制服を着ていた。しかもずぶ濡れだ。
「優月、助けに来たよ。今、自由にしてやるからな」
そう言うと莉奈は猿ぐつわを外してくれた。
「よし、これで口が利ける」
「……はぁ。苦しかった……。天原さんは?」
「ああ、あいつは今、奥の部屋で奥本を抑えている。……よっと、これでもう自由だ。それにしても酷いことしやがる」
足の拘束も解いてもらうと自由に動けるようになった。しかし拘束されていた部位が痛む。
「優月、生きててよかった」
莉奈に抱きつかれると、心を締めつけていたロープが緩むような安堵感がやって来た。
「……私は助かったんだ」
「そうだよ。あとはあたしたちに任して。絶対にここから連れ出すから!」
安心したからかふいに下瞼が熱くなって、鼻の奥が痛くなって、息が詰まった。 そしてそれらを堪える力を、失った。涙が溢れて、泣き声も抑えられなかった。
「莉奈ぁー。怖かったよ」
「もう大丈夫。大丈夫」
莉奈はそう繰り返しながら私の頭を撫でてくれた。
私は莉奈に抱きつきながら泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。
そして涙の波が引いた時、あることを思い出して心が切なく苦しくなった。
私のことをここまで大切に思ってくれる人が二人もいたのに、私は……。私はなんてことをしてしまったんだ。
「優月、天原に顔見せに行こう」
「……うん」
立ち上がるとまだ薬の影響が残っているのか、ふらついた。それに気づいた莉奈が即座に私を支えてくれた。
「ありがとう」
「いいって。気にするな」
莉奈に支えられて廊下まで出た。ちょうどキッチンで奥本に向かい合っている天原さんの後ろ姿が見える。ここからじゃ、よく見えないけど天原さんはタオルに包んだ武器のようなものを構えている。
「お、お前ら一体、何なんだよ! 野宮の仲間か? 銃なんか持ちやがって。ホント、何なんだよ!」
奥本が取り乱して喚く。首を縮こめ、ぶるぶると震えている。あんな見っともない姿の奥本は初めてだ。
「教えてやろうか僕は——」
その瞬間、天原さんは武器から手を放すと握り拳を作って腕を引いた。
「野宮のボディーガードだ!」
放たれた拳は吸い込まれるように奥本の頬にめり込んだ。
それは今まで見たことのない天原さんの姿だった。
殴られた奥本は数歩よろめきながら後ずさると無様に後ろにひっくり返ってしまった。
「天原さん!」
痛そうに手をぶらぶらさせる天原さんは私の声に振り返った。
彼は私の姿を見ると少し驚いたように目を広げてから頬を緩ませた。
「野宮、無事だったか。助けに──」
その時、天原さんの背後でゆらりと人影が立ち上がった。
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