東京イーヴルドゥーア〜公安部外事第四課・技術系国家機密保安係

NON

第1話

荒い息遣いが聴こえる。

夕陽に照らされた人気のない廃工場を駆ける足音。時折立ち止まり、自分の未来のある方を模索するように足踏みする。そして生き残れる可能性の高い方へ再び駆け出した。


『猿渡。マル被が見えているか?』


無線で犬養さんの声が飛んでくる。


「見えてまーす。どうします?やっちゃっていいすか?」

『いやまだ待て。他の仲間と合流する可能性もある』

「りょうかーい。待機しまーす、あ…」

『どうした?』

「一般人がいます。学生っすかね」

『こんな所にか』


サングラス型ゴーグルの表示倍率を上げる。目の前には制服姿で懸命に腰を振り快楽を貪る男女が映しだされる。その映像を指令室に送信する。


『…ホテルでヤれよ、まったく。マル被と接触して被害が出そうなら行動開始しろ』

「りょーかい!!…それまでセックス見てていいっすか?」

『馬鹿野郎。マル被を追え」


ニット帽にゴーグル。高い襟のコートで顔を隠した比較的小柄なマル被。階段登り、段々と交合いに夢中な男女に近づいて行く。

あー、こりゃマズいな。確実にそのヤリ部屋を通った先がマル被の目的地みたいだ。

俺は移動を開始した。向かいの俺がいる建物からヤリ部屋の建物まで10数メートル。助走をつけてバルコニーからジャンプする。一般人なら確実に失速し、墜落する距離を、俺は難なく飛び超えた。


「流石『筋力強化スーツ』様様だねぇ」


スーツ下に着込んだ、体に張り付く程薄手のスーツに感謝する。ヤリ部屋の1つ下の階に着いた俺は、サングラス型ゴーグルを『監視ドローンモード』に切り替えた。マル被の姿と現在位置が網膜に投影される。こちらに気づいている様子はなく、懸命に目的地と思われる地点に向って走っていた。

建物端の手すりから身を乗り出し、マル被がいるであろう階を見据える。もうすぐ接触しちまうな。馬鹿正直に階段を登ってる暇はなさそうだ。


「しょーがねーなー…」


手摺に立つ。そこから両腕を前後に振り、反動をつけて思い切り跳び上がる。強化スーツの効果で、俺の身体は軽々と上階の手摺を超えた。目にはマル被がこちらに駆けて来るのが映る。俺は身体を捻り、上階のフロアに着地した。マル被は突然出現した『スーツ姿で赤毛のサングラス』に特に動揺した素振りもなく、真っ向から突進してきた。その手にはマチェットと思しき、凶悪な刃渡りの獲物がいつしか両腕に握られていた。


「はいはーい、ストップ!!ストーップ!!」


両手のひらを突き出してマル被の前に立ちはだかる。

そして…。


「保安部だ!!」


そう叫んだ。

細かいことがわからない、組織の末端の構成員でも『保安部』と聞けば大体はコレで動きを止める。ハコに勤務してた時と同じ気持ちでそう言ったものの、マル秘は全く躊躇せず突っ込んできた。


「マジかー…」


マチェットが俺の側頭部を横薙ぎに狙ってきた。オーバーアクション気味な攻撃。俺は頭を低くして回避する。するとそこに予期せぬ突きが目の前に迫る。予期せぬと言うのはあくまで一般人の話。振り下ろして殺傷力を高める獲物のマチェットで突きが無いと思わせての突き。連撃が続くが、コレも丁寧に躱していく。するとその突きに合わせて死角の頭頂部から振り下ろされる一撃。マル被のゴーグルの奥がニヤリとした気がした。俺の頭蓋骨を真っ二つにするのに十分すぎる程の一撃が振り下ろされた。


ガキイイイイィン!!


激しい金属音と飛び散る火花。マチェットの一刀両断から身を守ったのは一本の棒だった。棒と言ってもコイツはただの棒じゃない。と言うよりそもそも棒じゃなかった。テープ状に巻かれた金属が振った時の反動を感知し、伸びてあたかも棒状になるのだ。振ると遠心力で伸びる紙の玩具があるだろう?要はアレと原理は一緒だった。だがコイツは強度が紙なんかと比べ物にならない。この『伸縮自在特殊警棒』はマチェットを受け止めるくらいの防御力と殺傷力を持ち合わせていた。マル被は跳び退き俺と間合いを取った。


「ビックリした!?なあビックリしたよな!?」


言葉が通じるかわからないが、とりあえずそうやって煽ってみた。コレでビビって引いてくれれば一般人を巻き込まずに済む。

でも、当の本人はやる気満々だった。明らかに先程とは違うオーラを放ち、俺に対して低く身構えてきた。

あ、こりゃやべーな。本気出させちゃったかも。足元狙って動きを止め、確実に俺を仕留める気だ。ジリジリと間合いが詰まっていく。タイミングを計る。狙うのは足首か?それとも膝か?だがその時、思いがけない声が響いた。


「うわぁ!!なんだよお前ら!!」


俺たちがヤリ合う音を聞きつけ、不審に思った一般人の男の方がヤリ部屋から顔を出した。


「あ、馬鹿!!出てくるんじゃねぇよ!!」


一般人に気を取られた次の瞬間、マチェットが俺めがけて飛んできた。黒いツヤ消しの刀身が空を切り迫る。特殊警棒を振りマチェットを払い落とす。一瞬の隙を突いてマル被は俺の頭上を飛び越し、ヤリ部屋へと向かった。


「ひっ!!ひいいいいい!!」


男は下半身を露出したまま、マル被に怯え硬直していた。


「おい!!やめろ!!無関係な一般人だぞ!!」


俺の言葉も虚しく、マチェットが男の頭部に振り下ろされる。スイカ割りのスイカのように真っ赤な液体を滴らせ、男は立ったまま絶命した。マル被にとって、出会ったものは『無関係な一般人』ではなく、すべて『排除対象』なのだ。

やっべ。もう一人女がいた。俺はマル被を追ってヤリ部屋に駆け込んだ。


「きゃああああああ!!」


まさにマチェットが半裸の女に振り下ろされる瞬間が目に飛び込んできた。

間に合え!!

俺は強化スーツのレベルを最大にし、マル被目がけて突進した。マチェットの一撃は空振りに終わり、俺とマル被は縺れて床に転がった。優位な体勢を得るために掴みあったまま身体を捻る。ちょうど俺がマル被の上になったのを見計らって、馬乗りになり肘を側頭部に叩き込む。だがマル被もソレを上手く受け流す。そこらのチンピラとはやはり訳が違う。感心してる場合じゃない。何度も何度も叩き込み、いいのが一発顎にヒットする。マル被の動きが鈍くなった。ヨシっ、拘束しちまえばこっちの勝ちだ。俺は焦って腰の拘束具に手を伸ばした。マル被はその一瞬を見逃さなかった。柔軟に脚を胸の前まで持ってきて、俺に蹴りを叩き込む。半裸の女の方に吹っ飛ぶ。吹っ飛びながらもマル被からは視線を離さない。攻撃の体勢は崩さなかった。マル被もすぐに体勢を整え、再びこちらに向かってきた。意地でも目撃者は排除するつもりらしい。やれやれ仕事熱心なこった。


「まあ落ち着けよ」


俺は手にしていた黒い球体を床に投げつけた。人の金切り声みたいな音と激しい閃光が部屋いっぱいに広がる。俺のサングラス型ゴーグルは武器の使用と連動しているから、この『スタンボール』の効果は無力化されていた。でもマル被はどうかな?両目を押さえているが完全には無力化できていないようだった。コイツで完全に鎮圧できるとは思っていない。少しだけ隙ができればいい。アレを使う準備ができれば。

眩しさと音から回復したマル被は、信じられないものを目の当たりにしていた。さっきの俺の登場や特殊警棒にはさほど驚きと言う感情の起伏は見られなかったが、今度は流石にそうはいかなかったようだ。

そりゃそうだろう。

目の前に『俺が二人いる』のだから。キョロキョロと左右の俺を見比べる。どちらもそれぞれ別の動きを見せる。右の俺は特殊警棒を槍のように肩に背負い、左の俺は剣のように両手で構えている。


「分身の術だぜ。そりゃ!!」


二人の俺が同時にマル被に襲いかかる。槍を突刺そうとする俺と剣を振りかぶる俺。マル被はマチェット持った右腕と空の左腕を伸ばし、どちらも受け止めるしかできなかった。その為、正面はガラ空きになっていた。


「もらったぜ…」


そのガラ空きになった正面から、もう一人の俺が現れる。マル被の胸骨の真ん中を目がけて特殊警棒を打ち込んだ。心臓に突然衝撃を与えると心室細動が起こる。マル被はその場に崩れ落ちていった。

大きくため息をつく。しかし左右の二人の俺は全く関心を見せなかった。それどころか、この俺は平面でしかも裏はない。タブレットが数基、宙に浮かんで俺の映像を映していたのだ。その正体は『ドローン型防御隠密用タブレット』だった。誰が付けたか通称『バキュラ』と呼ばれていた。


「おっと、処置しねーと」


このままマル被を放って置くと死んでしまうので、胸ポケットから大きめな絆創膏みたいな物を2枚取り出す。マル被のコートのボタンを外し、着ていたシャツを捲くり上げる。


「え、女だったのかよコイツ」


控えめだったが明らかに乳房は膨れていた。道理で小柄な訳だ。にしてもまだ子供じゃないのか?気にはなったが余計な詮索はしないことにした。誰であろうと犯罪者には変わりない。ソレも国際的な産業スパイ組織の構成員。躊躇なく人を殺める思考回路の持ち主だ。性別や年齢で情けをかければ自分の身に危険が及ぶ。国益たる技術的国家機密を強奪せんとする敵に対し、容赦なく対応する攻性の機関。ソレが俺たち『保安部』の職責なのだ。

とは言えコイツにはまだ利用価値がある。簡単に死なれちゃ困るんだよ。それぞれ右胸と左脇腹に絆創膏を貼り付けそれぞれのスイッチを押してシンクロさせる。そして『電気ショックを行います離れてください』と言う音声メッセージが聞こえた。10秒からのカウントダウンの後、ビクンとマル被の身体が痙攣した。


「ごふっ…」


どうやら息を吹き返したらしい。心室細動が起こったのにすぐ行動できるはずはない。俺はマル被を放って置いて、部屋の隅で震えている一般人の女に近づいていった。上半身はシャツがガッパリ開いてブラはなく胸が丸出し。下はスカートを履いていたが、踝に下着がまとわりついていた。恋人との逢瀬の最中にまさかこんなことになるなんて思いもよらなかったろうな。


「大丈夫?立てる?あ、俺、公安の人ね。わかる公安?」


内ポケットから手帳を取り出し写真とバッジを見せる。彼女は自分が助けられたことを理解したのかようやく怯えから安堵へ変わりそして涙した。


「うぇ、うぇえええええええええええええぇ…」

「あー、大丈夫大丈夫。もうすぐ救助が来るからねー。あ、犬養さん確保しました…。ただ一般人に被害が出ました。死亡1です」


指令室にそう無線を入れる。


『了解。仕方ない。不測の事態だ、気にするな。いま応援と救助を向かわせる。警戒し待機しろ』


少しだけ安堵する。そして足元で泣きじゃくる彼女を、しゃがんで頭を撫でてあげた。昔もこんなことした記憶があるな。ああ『アイツ』か。俺が『正義の味方』を目指す理由になった『アイツ』。生きているのかもわからない『アイツ』。いやきっと生きている。あの凄惨な殺害現場に、ただ一人死体がなかった。誰かが連れ去った。たったそれだけで何の確証もない。でも、生きている気がするんだ。

ようやく『正義の味方』になれたけど、相変わらず『アイツ』を見つける手がかりは一つもなかった。


「おーい、落ち着いたかな?そろそろ移動しようか?」


泣き声が鼻をすする音に変わってきた頃、俺は彼女をここから離れるように促した。俺に視線を移しコクリと頷いた時、彼女の顔色が変わった。何か幽霊でも見ているような顔。俺は後を振り返った。そこには動けないはずのマル被が、マチェットを振り下ろそうとしていた。

バキュラが俺とマル被に割って入る。マチェットは間一髪防がれたが、バキュラが1基オシャカになる。


「何で動けるんだよ!!」


特殊警棒を構える。分身の術はもう使えない。タネのバレた手品を披露するほど滑稽なものはないからな。まあ、あと2、3手は隠してあるから、応援がくるまでは持ちこたえられるだろう。

マル被はマチェットを構え俺に対峙する。ジリジリと間合いを詰める。一触即発。そんな緊迫感が漂っていた。その時、部屋の奥の窓から『何か』が飛び込んできた。ガシャンと言うガラスの割れる音。その『何か』は素早くマル被の背後に回り込んだ。マル被は動かない。そしてマル被の胸を貫き、銀色に輝く鋭い手刀が現れた。長く細い指先から、赤い液体が滴っていた。マル被は素早く『何か』に荷物を手渡した。


「お前、ソレ今回の!!」


『何か』はソレを受け取るとマル被を俺に突き出して、再び元の窓から出て行った。建物のこちら側には他の建物はない。飛行機やヘリの音もしなかった。


「ドローンか!!」


俺は窓に駆け寄った。そこにはスケートボードのようなドローンに乗って空中を滑空する奴の姿があった。そしてその姿は夕陽に染められた街の中に消えていった。

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