ちがう、そうじゃない

 男が突き立てたナイフの切っ先は、上着の表面に突き刺さってはいるが、俺の皮膚には届かない。


「な、なんだコイツ!? ナイフが通らねぇー!? か、固てぇーぞ?」


 どうやらの体が硬いと勘違いしているらしいが、これはナイフにかかる運動エネルギーの方向ベクトルを逆向きに変換することで、男の押す力とナイフが戻ろうとする力の釣り合いがとれているだけだ。

 だが、通常の人間にとってそんな理屈はどうでもいい。大事なのは目に見えている事実だけが重要なんだ。

 

「なに馬鹿なことを言ってんだ! そいつは荷物持ちすらまともにできずに追放された、ただのおっさんだろうが! どけ! 俺がる!」


 今度はスキンヘッドの厳つい顔をした男が大剣を振りかざす。

 ここは工場の影になり、街の住人の目が届きにくい場所とはいえ、こんな街中で騒動を起こせば冒険者といえどもただでは済まされない。

 ここは戦場ではないのだ。

 それを承知の上で、こいつらは俺を消そうとしている。


 カキィィィーン……

 

 金属音が工場の壁にこだまする。

 俺の首を切り落とす勢いで振り下ろされた大剣は、俺の短剣で受け止められていた。

 直線的な動きのナイフとは違い、弧を描くように振り下ろされる大剣に加わえられる運動エネルギーは複雑だから、安全マージンをとるために短剣を使ったのだ。


「お、俺の剣を受け止めただとッ!? そんな馬鹿なーッ!」


 何度も何度も斬り込んでくるスキンヘッドだが、それを俺は短剣でいなし、受け止め、弾き返す。


「荷物持ちのおっさんの分際でェェェー!」


「生意気なんだよォォォー!」


 他の男たちも加わり、俺を数の力でねじ伏せようとしてくる。

 たが、たった一人のおっさんを相手に、かすり傷の一つでも負わすことはできない。


「そ、そういや俺たちパーティが必死の思いで退却してきたルートを、このおっさんはたった一人で帰って来たんだよな?」


「おっさんは力を隠し持っていたということか?」


 男たちは剣を構えたまま、ジリジリと後ずさりを始める。


 良いタイミングだ。

 そろそろ俺の魔力マナも尽きかけているし。


「だとしたら……どうすんだい? 今は勇者パーティに所属しているとはいえ、お前たちはしょせん後から加わった下っ端グループだ。大将の命令に最後まで従って、ここで血の花を咲かせるか? それとも……」


 余裕ありげな表情を浮かべつつ、俺は視線を彷徨わせる。なんとか魔力を補充しようとするが、その供給元となるフレアは道ばたに咲いた花の周りを飛ぶ蝶に夢中のご様子だった。


「おいフレア! ちょっと力を貸してくれ!」

 俺は小声で声をかけた。


「んー? 分かったの」

 フレアは、すっくと立ち上がり、人差し指を空に向かってピンと立てる。


「消し炭に――」


「ちがーァァァ……」


 俺はその指に向かって飛びついた。


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