いただきますなの!

 匂い袋の中身を頭から浴びた効果は絶大だった。

 斬っても斬っても、森の奥から新たな魔獣が匂いを嗅ぎつけて集まって来る。

 終わりのない戦い。

 でも、これでいい。

 俺がこうして魔獣を引きつけている間に、セシルは安全に逃げられるのならば、これでいい。



 この死は無駄にはならない――


 

 とはいえ、首が三本生えている奴や、2本足で立って襲いかかってくる奴、地べたを這って長い舌を絡めてくる奴など、もはやここは魔獣の見本市みたいなこの状況だ。

 戦いに慣れていない俺の体はすでに悲鳴を上げ始め、剣の切れ味も落ちてきし、魔力マナが消失するタイムリミットも迫ってくる。


 これまでか……


 俺は腰のポケットから餞別せんべつに受け取った品を取り出す。

 金属の表面には花の柄が彫り込んであり、一見すると少し大きめのペンダントにも見えるが、これは歴とした自爆装置だ。

 所有の死あるいは絶望が起爆スイッチとなり、破裂魔法が炸裂するという魔道具なのだ。

 

 自爆装置を抱え込むようにして顔だけ上げると、俺に食らいつこうとする魔獣の口が迫ってきた。 


 だが、起爆スイッチは作動しなかった。

 

 不覚にも堅く目を閉じていた俺は、異様な雰囲気を察し、目をぱちくりさせて周りを見渡す。

 魔獣たちは皆、動きを止め、森の奥に視線を向けている。


 体中の皮膚がヒリヒリと張り詰めて痛むような、この感覚――


 何かが来た。

 森の中から膨大な魔力マナの光が見える。

 魔女だ。

 奴が来たんだ。

 この森の主、魔女フレアが――


「美味しそうな匂いがしたから来てみれば……」


 少女の声にハッとして視線を向けると、それは魔獣の足元に立っていた。

 まるで瞬間移動したように――


 見た目は10代半ばの少女。だが、人間の寿命を遙かに越える魔女には、見た目の年齢に意味はない。

 真っ黒いローブとは対照的に、長い髪が黄金色に輝く様子が目を惹く。


 魔女を見た男は一瞬で心を奪われるという。

 それは長い生涯でただ一人の、優秀な遺伝子を持つ男と出会い、確実に子孫を残すための戦略ともいわれている。


 その噂のとおり、魔女フレアは超絶可愛い顔をしていた。 


「それなのに……匂いの元はオジサンだったのーッ!? はぁああああーっ何なの! オジサン一人のために、魔獣この子たちは集まってきたというの?」


 そして俺は今、その超絶可愛い女の子にめちゃくちゃディスられている。


「オジサン一人の体じゃあ、魔獣この子たちにとっては腹の足しにもならないの! でも、まったく食べないよりかはマシなの……」


 グウー……


 魔女は腹を押さえて、視線を横に流した。

 まるで乙女の恥じらいのように。

 腹がよほど減っていたのか、二十歩ほど離れた俺の耳にも音が聞こえてきた。


「お、おい……お前、まさか俺を食べ――」 


「こんなに肉の山を築いて、あなたこれ全部食べるつもりなの? 人間はどこまで強欲で愚かなの?」


 俺の話など聞く耳持たないらしい。


 魔女は今、魔獣の死体を『肉』言った。

 つまり、こういうことか。

 彼女にとって、この森は食うか食われるかの、まさに弱肉強食の世界。




――魔女フレアにとって、相手が王国からの使者だろうが、自分を討伐するために来た敵だろうが、等しく狩りのライバルであり、狩りの対象でもあるということか!?――


 

 じゅるりとよだれを垂らしながら、フレアが指の先を俺に向けてきた。


「あたし、知ってるの。人間は食事をする前にこう言うの――」


 フレアは超絶可愛らしい顔で、にっこりと笑った。




「いただきますなの!」


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