第34話

 何も考えられず、ただその場に踞っていた。


 外は暗い。


 帰らないと。

 だが、もう動くのさえ億劫だ。


 怪我なんてしてないはずなのに、足が動かない。体が、動くことを拒否している。



「何やってんの?」


 不意に声が聞こえてきた。


「せ、ら?」


 見上げると、そこには、仏頂面の世良が立っていた。


「チラッと見えて、まさかと思ったけど。こんな所で何やってんのよ? って、怪我もしてるじゃない。大丈夫なの?」


 その顔を見た瞬間。

 あの光景がフラッシュバックする。


「世良!」


 飛び付くように世良を抱き寄せる。


「きゃ!」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 だが、そんなことなんて、気にしてられなかった。


 世良の体温を感じたい。

 ただ、それだけだった。


 驚いている本人を無視して、世良を抱き締める。


 温かい。生きている。


 世良は、生きている。


「ちょっ! い、いきなり何すんのよ!」


 世良は怒って、俺を引き剥がそうとする。

 それでも、俺は離れたくなかった。


 今、世良を離したら、また二度と会えなくなりそうで。


「何なのよ、本当に」


 しばらくそうしていると、世良から呆れたような声が漏れてきた。


「また、何か思い出したの?」


 世良の問いかけに、俺は無言で頷く。


「何を思い出したのよ?」


 俺は答えようと口を開いて、また閉じた。


 言えない。


 あの話は、世良にはできない。


 俺が思い出したことを話すには、あの話もしなければならない。


 世良が謎の組織に殺された、ということを。


 世良はまだ思い出していないだろう。


 だが、話せば、絶対に思い出す。

 思い出させる訳にはいかない。


 世良にそんな恐怖を思い出させたくない。


 俺は何も言えず、黙るしかなかった。


「そう」


 世良は、そう呟くと、俺の肩に手を置いて、グイッと、俺を押し退けた。


 そして。


「ぐっ!」


 いきなり、頭突きをかましてきた。


「いってぇ!」


 頭と頭の衝突。

 しかも、突然の攻撃に、俺は痛みでその場に尻餅をついた。


 世良を見ると、同じくらいのダメージを受けているようで、頭を押さえながら震えていた。


 しかし、その目は力強く、しっかりと俺に向けられていた。


「何を思い出したのか知らないけど、くよくよしてんじゃないわよ」


 世良は俺の胸ぐらを掴んで、起き上がらせる。


「まさか、また奈那先輩のこと、諦めた訳じゃないわよね?」


 世良は責めるような視線で言う。


 奈那先輩を、諦める。


「違うっ!」


 その問いに、俺は反射的に答えていた。

 考えるよりも先に言葉が出ていた。


 世良はそんな俺を見て、何も言わない。


 俺は、言葉を選びながら、少しだけ、話をした。



「思い出したんだ。奈那先輩が消えた原因を」

「っ! それって」


 世良は驚いている。


 当然か。

 俺たちはずっとそれを求めて進んできたんだから。


 なのに、その答えが。


「奈那先輩を消したのは、俺だったんだ」

「……どういう、こと?」


 世良は、目を見開いて、一瞬固まった。

 だが、すぐに表情は真剣なものに変わり、重い声音で問いかけてくる。


「詳しくは、言えない」


 ここまで来て、詳しく話せないなんて、本当にどうかしている。

 自分でもそう思う。


 だが、言えない。

 言う訳にはいかない。


 例え、どれだけ蔑まれようと、嫌われようと、世良にあのことを思い出させたくない。


 それだけは絶対にしたくなかった。


「どうして、言えないのよ」


 当然、世良は納得できないようだった。


「ごめん」


 だが、俺は謝ることしかできない。


「そんなに私が頼りない?」

「そういう訳じゃない」


 世良ほど頼りになる奴なんて、そうそういないだろう。


 でも、それでも、話せることなんてないんだ。


 少しのことでも、世良に思い出させる可能性があるから。


 お互い、何も言えず沈黙する。

 何を言えばいいのかわからなかった。


 世良は、何を思って沈黙しているのだろうか。

 俺にはわからない。


「よーく、わかったわ」


 世良が吐き捨てるように言う。


 そして、世良は何処かに行ってしまった。


 呆然とその背中を見て、また下を向く。


 呆れられたのだろう。

 見限られたのだろう。


 当たり前か。


 当たり前、だよな。


 こんな俺。

 駄目な奴だと、諦められて当然だ。



「よいっしょ、と」

「……え?」


 そう思っていたら、声が聞こえてきた。


 見ると、世良が何処からか持ってきた、椅子を、俺の前に置いてドシッと座り、俺を見下ろしていた。


「何、を」


 してんだ?

 その後の言葉が続かなかった。


 世良が不機嫌そうな顔で俺を見下ろしていたから。


「根気勝負でしょ? 負けるつもりはないわよ」

「何言って……」

「言うまで、ここから動かないから」


 世良の目は本気だった。


「何を思い出したのか、言うまで動かない」


 世良は腕を組んで、足を組んで、本当に動く気がないようだ。


 こんな暗い路地裏で。


「こんな場所、危ないだろ」


 奈那先輩がいない今、あの組織に狙われる可能性は低いはず。


 それでも、あの光景を見た後では、少しの危険にも、恐怖を感じる。


 それでも、世良は。


「あんたは帰ってもいいわよ。私がここを動かないだけだから」


 頑なな世良。

 世良はこう言ったら、テコでも動かない。

 それは昔からわかっている。


 それでも。


「本当に言えないんだよ」

「なら、私は一生、ここから動かない」

「ふざけんなっ!」


 そんなこと、許せる訳ないだろ。


「ふざけてない」

「だったら!」

「私と、あんたの仲よ。わからない訳ないでしょ」

「っ! な、にを」


 ドクン、と、心臓が震える。

 まずい、と頭の中で警報が鳴る。


 だが、世良は、そんな俺など無視して、強気な表情を見せた。


「私に隠したいことがあるんでしょ。そして、それは、私に思い出させたくないこと」

「やめろ!」


 それ以上考えるな。

 そう言っても、世良は止まらない。


「わかってる。薄々、そうなんじゃないかって、思ってたから」

「せ、ら?」


 世良は少し唇を震わせて、顔を上げた。


「私、殺されたんでしょ?」

「っ! どうして、それを」


 そう言う世良は、悲しげに笑っていた。


「たまに夢を見ていたの。すごく恐い夢。最初はただの悪夢だと思ってたけど、それにしてはやけにリアルで、最後はいつも、拳銃で撃たれて終わる」


 言いながら、世良は震えていた。


「でも、奈那先輩のことを思い出す時とは違うし、確信は持ててなかったんだけど、やっぱりそうなのね」


「……ああ」


 否定なんてできない。


 ここで否定したって無意味だから。

 ここで中途半端に隠す方が、世良に恐怖を与えるだけだから。


「大丈夫。話しなさいよ。あんたが、気にしてたのは、このことなんでしょ?」


「……わかった」


 それが正解なのかはわからない。


 それでも、俺は、俺が思い出したことをすべて、世良に話した。


 ◇◇◇◇◇◇


「なるほど、ね。だから、奈那先輩が」


 最後まで聞き終えた世良は、奈那先輩が消えた事実に対して考え込んでいるようだった。


 それは、自分のことなんて忘れてしまったかのように。


「世良は、恐くないのか?」


 また、あのことを思い出させるようで、本当は聞きたくない。

 が、聞かなくては、ここからの話を進められなかった。


「恐くないって言ったら、嘘ね」


 世良も正直に答えてくれる。


「今はまだ、はっきりと思い出せないの。多分、自分でも思い出さないようにしてるのかもしれない」


 世良はそう言って、曖昧に笑った。


「奈那先輩に関することで、はっきり思い出せなくてよかったと思ったのは初めてよ」


 本当に思い出していないのだろうか。

 もしかしたら、俺に気を使って。


 だが、その問いかけは。


「とにかく、その話は終わりよ。そんなことより、せっかく奈那先輩の重大なことがわかったんだから、明日にでもすぐにみんなに報告しましょう」


 世良はパンと手を打ち鳴らす。


 小さく笑う世良には、何処か影があって、その言葉が本心じゃないのは、明らかだった。


 こんな小さな体で、俺を気遣って。



 その時、不意に、奈那先輩の言葉が聞こえてきた。


「お願い。世良ちゃんを、助けて」


 そうだ。俺は馬鹿か。


 奈那先輩も言っていたじゃないか。


 俺が世良を守らなくちゃいけないんだ。


 あの時はできなかった。

 今度こそ俺は、奈那先輩と世良を、2人を助けたい。

 助けなくちゃいけないんだ。



 何をやってるんだ。

 こんな所で立ち止まって。


 俺がうじうじしているせいで、世良にまた恐い思いをさせてるじゃないか。


 咄嗟に体が動く。


 考えての行動なんてできない。

 それでも、俺は、動かずにはいられなかった。


 俺は世良の手を取る。

 勢いに任せて、顔を近付け過ぎてしまったが。


「い、一樹!」


 世良も驚いている。

 顔まで真っ赤にして、相当驚いている。


「世良。誓わせてくれ」

「は、は、はぁ?」


 世良が高い声を漏らした。

 だが、そんなことなど気にしてられない。


「俺は、絶対にお前を守る。もう、あんな思いはさせない」


 一度でも、あんな思いをさせて良い訳がない。

 俺は男として失格だ。


 最低だ。


 それでもまだ、償いができるというのなら。


「誓う。俺はあの時はできなかった、奈那先輩と世良を助ける方法を、今度こそ、今度こそ見つける」


 何もできなかった俺が、こんなことを言ったって信じてもらえないかもしれない。


 それでも、ここで誓う。


 誓わなければいけない。


 全員が幸せになれる方法を。

 絶対に見つけてみせると。



 俺の誓いに、世良はボーッと俺を見つめている。

 顔は赤らめて、心ここにあらずといった様子だ。


「世良?」


 少し心配になって名前を呼ぶ。


 すると、世良は少しハッとして、目をそらした。


「こ、告白かと思ったじゃない」

「え!」


 自分が言った言葉を思い出した。


「俺は、絶対にお前を守る。もう、あんな思いはさせない」


 確かに、途中までは愛の告白みたいなもんだ。

 それを今更ながら自覚して、俺まで恥ずかしくなってきた。


「いや、あの、違っ」


 しどろもどろ、とはこのことだろう。

 何を言っていいのかわからず、意味のない言葉を羅列していく。


 そんな俺に、世良がおかしそうに笑った。


 さっきまでの何かを隠すための笑みじゃない。

 本当の笑った顔。


「あんたは、それくらい真っ直ぐで良いのよ。そんなあんたが、私は好きなんだから」

「え、うえ!」


 それって、まさか。いや、そんなまさか。


「深く考えんじゃないわよ」


 世良がデコピンしてくる。


「大丈夫。確かに恐くないなんてことはない。でも、今はあんたの言葉を信じられる。だから、堪えられる。それでいいじゃない。それで十分でしょう?」


 世良の言葉に嘘や隠しはない、ような気がする。


 いや、すべてが本当の言葉ではないだろう。

 そんなことはわかってる。


 あの出来事は、そんな簡単に受け止められるものじゃない。


 それでも、世良はこうして笑ってくれる。

 その覚悟を、俺は無駄にしたくない。


「ありがとう」


 それだけ言った。

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