第32話

「どういう、ことですか?」

「そのままの意味だよ。君は今、何を願おうとしたのかな?」

「え? 世良を生き返らせてほしい、ですけど」


 俺の答えに、奈那先輩が首を振る。


「それじゃあ駄目なんだよ」

「な、何で?」

「彼らがいるから」


 奈那先輩が言う彼ら。

 それはつまり、さっきの謎の組織のやつらのことだろう。


「彼らは、私を狙っている。狙っている理由は、私が不死だから。だけど、殺したはずの世良ちゃんがもし、生き返ったら?」

「あ」


 やつらが、どういう組織なのか、そんなことはわからない。


 だが、奈那先輩が言うように、やつらが興味を持っているのが、不死についての情報だとしたら、世良が生き返ったなら、そっちにも興味が行くのは確実だ。


 奈那先輩の時のように、いきなり銃を撃ってくることだってあるだろう。


 かといって、世良まで不死の体にしては本末転倒だし、そもそもやつらに狙われるということについては、何も解決していない。


「じゃあ、どうしたら?」

「だから、さっき言った願い事をすればいいんだよ」


 奈那先輩の病気が治らなかったことにしてほしい。

 奈那先輩はそう言っていた。


「なんで、そうなるんですか?」


 奈那先輩の病気が治らなかったことにしてほしいという願いは、裏を返せば。


 俺は理解できずに尋ねる。

 訳がわからず、尋ねる。


「考えることを放棄しない」


 奈那先輩は、珍しく怒った顔で言う。

 俺の肩を掴んで、しっかりと目を見て、逃がさないとばかりに。


「まず、彼らが現れたのは、私が不死だから。そして、彼らが現れたから、世良ちゃんは殺された。なら、私が不死でなくなれば、彼らは現れなかったことになる」


「でも、それは難しいって話に……」

「それは、私が不死ではなく、普通に生きたいと思っていたからだよ」


 奈那先輩は、自虐的に微笑む。


「虫が良すぎる願いだと、わかってはいたけどね。でも、だから、方法が思い付かなかった」


 ちょっと待ってくれ。


「でも、不死でなくなるだけなら、方法は簡単なんだよ。病気が治らなかったことにすればいい。そうすれば、私が不死であることと矛盾が発生して、私は不死ではなくなる」

「でも、それなら、龍神様のルールに……」


 なんとなく、奈那先輩の答えはわかっていた。


「違反しないよ。だって、元々、私は病気だったんだから。その願い自体は私を殺すものではないからね」


 ただの自然の摂理だよ。

 奈那先輩が小さく呟く。


「でも、そこまで戻らなくても、そうだ、例えば、あいつらがあの時のことを見ていなかったことにすれば」

「彼らに情報を渡したのが、あの襲ってきた男だったら? 結果は変わらないよね」


 目撃者がいなくなっても、奈那先輩の秘密がばれる可能性がある。

 そう言いたいのだろう。


「じゃあ、あの襲ってきた男の記憶も消せば?」

「それは駄目」


 奈那先輩は、俺のおでこを軽く叩く。


「あの恐怖を忘れさせたら、彼らはまた襲ってくるよ。そんなことは、私が許さない」


 頑なな様子の奈那先輩は、1ミリたりとも譲ろうとはしなかった。


「じゃあ、そもそも、俺か襲われなかったことにすれば……」

「あの日君が襲われなくても、別の日に同じことが起きたかもしれないよね」


 俺の意見を、奈那先輩は淀みなく否定していく。

 それはまるで、そう言うであろうことを予期しているかのような。


 いや、実際、予期しているのだろう。


 俺が考えつくことなんて、奈那先輩はとっくの昔に思い付いてるんだ。


 その上でわかってるんだ。

 100%世良を助けられる方法は何かを。


 なら、あれは。なら、それは。

 その悉くを、奈那先輩は否定していく。


 そして、奈那先輩は俺の口を、人差し指で塞ぐ。曖昧な苦笑いを浮かべて。


「もしかしたら、君の作戦でも上手くいくのかもしれない。でもね。上手くいかないかもしれないんだ。その可能性が1%でもあるのなら、私はそれを否定するよ」


「でも、だからって」

「もう時間もないんだ」


 納得できない俺の言葉を遮って、奈那先輩が空を指差す。


 見れば、満月は消えかけていて、いや、もうすでに、ほとんど見えなくなっていた。


「もう、数分としないで満月は見えなくなる。そしたら、また次の満月まで願いはできなくなっちゃうんだよ」


 龍神様の条件は、満月の夜だ。

 確かに、もう時間はほとんどない。


「その間で、もっと良い案が浮かぶ? 次の満月まで待ってたら、彼らは何するかわからないよ?」


 人を平然と殺すやつらだ。時間があれば、他の人にも被害が及ぶかもしれない。


 でも、でも。


「奈那先輩を犠牲にするなんて」

「犠牲なんかじゃないよ」


 奈那先輩は俺に背を向けた。


「元々、私は子供の頃に死ぬはずだったんだから。それを無理矢理ねじ曲げたから、いや、違うね。私は子供の頃に死んでるんだ」


 奈那先輩は、閃いたとばかりにおどけて言う。


「こう考えればいいんじゃないかな。龍神様は望むがまま夢を見せてくれる存在。そして、今日、この日まで、今までの出来事は龍神様が見せてくれたただの夢。これは私が見ている夢で、君は、その夢に無理やり呼ばれただけなんだ」


 夢。

 これは、ただの夢。


 そんなの。


「そんな風に、割りきれる訳ないじゃないですか」

「そう? 案外簡単なものだよ。気にしなければ、そのうち忘れるから」


 奈那先輩はこちらを見ない。


 嘘つき。

 そっちだって、割りきれてないじゃないか。


「もう時間がないよ。この機を逃せば、多分、もう世良ちゃんとは会えない。それでもいいの?」


「それは……」


 嫌だ。こんな形で世良と会えなくなるなんて、絶対に嫌だ。


 でも、奈那先輩と会えなくなるのも嫌だ。


 どっちも嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。


 選べる訳がない。


 どちらを選んでも、俺は絶対に後悔する。

 こんな選択、どっちも間違えている。


 なのに、答えがわからない。

 馬鹿な俺には、答えがわからない。


 俺の手には奈那先輩からもらった青いペンダントが握られている。このペンダントを井戸に投げ入れれば、世良は助かる。


 だが、奈那先輩は助からない。

 いや、違う。俺が、俺が奈那先輩を殺すことになるんだ。


「違うよ。違う。私が消えるのは君とは関係ない。ただ、夢見る時間は終わりってだけ」


 奈那先輩は、まるで他人事のように言う。


「そんな訳……」

「いいや、そうだよ。そもそも、私なんかが君と一緒になれる訳なかったんだ。君と私の縁はここで切れる。それが、運命なんだよ」


 奈那先輩が振り向いた。

 いつもの不敵な笑みで。


「ここで、世良ちゃんを見捨てるような君なら、私は君を軽蔑するよ。それでもいいのかな?」

「卑怯、ですよ」

「今さら気付いたの? 私は卑怯で、最低な人間なんだよ」


 奈那先輩は、俺に近付き、俺の服を掴んだ。


「それでもまだ悩んでる、というのなら、もう、こうするしかないよね。後戻りはできないように」

「え?」


 そう言うと、奈那先輩は突然、俺を、投げ飛ばした。さながら、背負い投げのように。


「うわあぁぁぁ!」


 てか、なんて力だよ!

 俺を軽々と投げ飛ばすなんて、女の子としてあり得ないだろ。


 しかも、投げ飛ばされた先は井戸の中。


 見事に着水し、目の前が真っ青になった。


「君はそれで、もう二度と他の願いはできないよ。ごめんね」

「ぶぁ! ばばべんばい!」


 井戸の中に沈んでいくようだ。

 もがいてももがいても、どんどん沈んでいく。

 井戸の底に吸い込まれるように、沈んでいく。


 沈んでいく中、青い視界の先に、奈那先輩の顔が朧気に写る。

 奈那先輩は、こちらに手なんか振って笑っている。

 こんな時まで、いつもの笑顔で。


 どうして、こんな時まで笑っていられるんだよ。自分が消えるかもしれないんだぞ。


 そう叫んでも、水の中では何の意味もなくて、奈那先輩の耳には届いていないようだった。


 手を伸ばしても、奈那先輩は、手を伸ばしてくれない。


 くそっ。

 くそっ。

 どうして。

 どうして。


 どうして、こんなことで。

 奈那先輩に、会えなくなるなんて、そんなのふざけてる。


 必死にもがいて、あがいて、それでも抗えなくて、気が付くと、手に残る青いペンダントが微かに光っていた。


 視界が掠れる。


 そして、目の前に、青く、朧気で、しかし、美しい龍の姿が現れた。


「汝の願いを叶えてやろう」


 耳に響く声は、男とも、女とも、大人とも、子供とも、老人とも思える声だった。


「俺は」


 水の中だというのに、俺ははっきりと声を出すことができた。

 息もできる。沈んでいく感覚も、いつの間にかなくなっていた。


「俺は……」


 世良を、助けたい。

 でも、奈那先輩とも一緒にいたい。


 なのに、その2つを両立できる願いが思い付かない。


 下手な願いはできない。

 それは、全員を不幸にしてしまう可能性があるから。

 考えろ。その2つ両立できる願いを


 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。


 龍の姿はどんどんと消えていく。満月が消えるのと連動しているのかもしれない。

 龍の姿が消えれば、願いは叶わなくなるだろう。


「後輩くん」


 声が聞こえた気がして、透けている龍の先を見る。


「お願い。世良ちゃんを、助けて」


 龍のせいで、青く染まる視界。そこに残る面影は、奈那先輩の泣き顔だった。


「っ! 俺の願いは……」


 奈那先輩の覚悟は、俺なんかの比じゃない。


 奈那先輩がどれだけ考え抜いて、この方法を思い付いたのか、俺には想像もできない。


 でも、あの奈那先輩が、泣いてまで懇願することを、俺は否定なんて、できない。


「奈那先輩が子供の頃にかかっていた、不治の病が治らないようにしてほしい」


 一呼吸おいて、龍が答えた。


「願いを叶えよう」


 ◇◇◇◇◇◇


 薄れていく意識の中に、奈那先輩がいた。


「後輩くん。私はね、一度死んでるんだよ」


 先輩は、そう言って悲しそうに笑った。


「そこから先は、私にとってボーナスステージ。まさに夢のような時間だったんだ。でも、もうそれも時間切れ。ただそれだけなんだよ」


 その笑顔が見ていられなくて、俺はそれから目をそらす。


「でも、それでも、俺は奈那先輩と一緒にいたい」


 なけなしの勇気は、紙切れ一枚よりも薄っぺらくて、奈那先輩も苦笑いだ。

 子供のわがまま。いじっぱり。


 とにかく幼稚で、そんな言葉が響く訳もなく、奈那先輩は俺の頭をポンポンと叩く。

 優しく、慈しむように。


「その言葉だけで、私は嬉しいよ」


 そんな訳ないのに。

 奈那先輩が望んでいるのは、こんな言葉ではないはずなのに。


 奈那先輩は、そんな、上っ面だけの、根拠のない、気休めなんて求めていない。


 それでも、笑っていてくれるのは、俺がただ、奈那先輩の優しさにすがっているからだ。


 泣くな。泣いていいのは、俺じゃなく、奈那先輩なんだから。

 そういい聞かせても、俺の目からは涙が零れてしまう。


「いいよ。我慢しなくても。君は、もう、十分、私を救ってくれたんだから」


 奈那先輩が俺に顔を近づける。

 吐息がかかるほどに。


 唇が微かに触れた頬。

 俺がハッとして奈那先輩を見ると、奈那先輩は、少しだけ顔を赤くして、目を細めていた。


「それじゃ、さよなら」


 そう言って、先輩は姿を消した。


 もう、先輩の名前も顔も思い出せない。


 いつの間にか、手に残っていた青いペンダントも、なくなっていた。

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