第4話

「遅い」

「いや、お前が早すぎるんだろ。まだ30分はあるぞ?」


 土曜日。

 先に待ち合わせ場所に来ていた世良は、開口一番そんなことを言ってきた。


 今は待ち合わせ時間の30分前。普通に考えれば早すぎるぐらいだ。

 だというのに、世良はかなりご立腹な様子で俺のことを睨んでくる。


「言い訳なんて見苦しい話よ」

「いや、言い訳っていうか」


 遅刻をした訳でもないのに、と理不尽に思っていると、不意に世良の顔に汗が滴っているのに気付いた。


 早くから待っていたというのは本当らしい。


 にしても早すぎるのだが。


「いつから来てたんだよ?」

「30分前くらいから」

「早すぎだろ!」


 つまり、待ち合わせ時間の1時間前から待っていたということか。

 流石にそれは、無理があるだろ。


「冗談よ。本当は5分前くらい」

「何で、そんな嘘を。そもそも、現地集合じゃなくても、家が近いんだから、家から一緒でもよかっただろ」


 と口にしたところで、世良の顔が耳まで赤くなっていることに気付いた。


「後輩くん。それだけ君とのデートが楽しみだったってことだよ。察してあげなきゃ」

「デ、デート!」

「え! デ、デート!」


 俺の言葉に、世良が驚く。

 というか、俺も驚く。

 ついでに、突然叫びだした2人に、周りの通行人も驚く。


 収拾がつかなくなりそうだったので、俺は世良の手を掴んで、すぐにその場を離れた。


 ◇◇◇◇◇◇


「ほら。飲み物」

「あ、ありがと」


 とりあえず、さっきの場所を離れた俺たちは、適当に空いていたベンチに座った。

 ちょうど自販機もあったので、世良の分も含めてジュースを買う。


 結構、汗をかいているようだったので、熱中症にでもなったら、大変だからな。


 案の定、喉が乾いていたようで、渡した飲み物を世良はすぐに飲み干してしまった。


「いくらだった?」

「ん? 別に良いよ。待たせた詫びだ」

「……そう。ありがと」


 なんとなく、気まずい空気が流れる。

 やはり、さっきの発言が問題だ。


 デートなんて、したこともないのに。

 それが世良となんて。いや、まあ、世間一般的には、これはデートに分類されるのか。


 彼女がいたことがないからわからないな。

 悲しいことだが。


 いや、それは世良にも言えることか。

 俺の記憶では、世良が今までに誰かと付き合ったという話は聞いたことがない。


 俺と違って、世良はそれなりにモテるはずなのだが、告白をされてもすべて断っているのだと司から教えてもらったことがある。


 まあ、確かに、世良は客観的に見れば、可愛い部類に入ると思う。

 傍若無人な態度を知っている俺としては、あまり素直にそうは思えないが。


 今日の服装も、流行を取り入れたおしゃれな服装で、小さく可愛らしい見た目もあって、周りの注目を集めている。


 道行く男たちがチラチラとこちらを見ているのがその証拠だ。


 そんな女の子と一緒にいる男となれば、確かに傍目からはデートに見えても仕方ないのかもしれない。


 だが、これはデートではない。と思う。


 いや、やっぱりわからない。


「デートだよ。明らかにね。まあ、でも、そんなに深刻に考える必要はないよ。ただ遊んでるだけだしね」


 はっきりと告げてくる声。

 その声は面白がっているのか、含み笑いが聞こえてくる。

 もう、にやけ顔だって想像できてしまう程に。


「と、とりあえず、クレープ屋さんに行くか」


 そんなからかいを無視して、俺は立ち上がった。

 気にしていない風を装おうために、意識的に声を低くしようとしたのだが、むしろ声が裏返ってしまう。


「そ、そうね」


 だが、世良も何か気になることでもあるのか、気付いた様子はなく、素直についてきた。


 そのまま無言で歩き続ける俺たち。

 世良と2人でいるのがこんなに気まずいなんて、思ったこともないのに。


 クレープ屋さんまでは、バスですぐに着く。

 と言っても、バス停までは少しあるので、それまでこの気まずい空気が続くのかと思うと、少し憂鬱だ。


「あの、さ」

 そんな時、おもむろに世良が口を開いた。

 いつもの勢いがない、しおらしい声だ。


 振り向くと、世良は真剣な顔でこちらを見ている。

 俺は立ち止まり、世良の話を聞くことにした。


「どうかしたのか?」

「さっきの、デ、デート発言のことなんだけど」

「あ、ああ」


 恥ずかしそうに言う世良のせいで、俺まで恥ずかしくなってきた。


 だが、雰囲気は真剣なものなので、なんとか耐えて話を聞く。


「やっぱり、あれも、誰かにからかわれた気がするのよね。これも、デジャブみたいな感じなんだけど」

「世良も?」


 どうやら、世良もデートに対して、誰かに何かを言われたという記憶は残っているらしい。


 俺は、同じような記憶を俺も持っていると、世良に伝える。すると、世良は思案するように口元に手を触れた。


「やっぱり。何か……」


 キュルルルル。

 世良が、何かを言おうとしたタイミングで、世良のお腹の辺りから可愛らしい音が聞こえてきた。


 クレープ屋さんに行く予定だったので、まだ昼も食べていない。お腹が空くのも仕方がないだろう。


 だが、俺もそこまで空気の読めない男ではない。


 あたかも聞こえていなかったかのように、俺は表情を変えずに話を続けた。


「何か気になることでもあるのか?」

「え? えっと、少しだけね」


 俺の意図を汲んでくれたらしい世良は、そのまま続きを口にした。

 が、そんなフォローを無視するように。


 ググググググ。

 盛大な腹の虫の音が聞こえてきた。

 しかも、さっきよりも大きめな。


 世良は顔を真っ赤にして、フルフルと震えている。相当恥ずかしいんだな。


「あー、えーっと、先にクレープ屋さんに行こうか」

「……うん」


 ◇◇◇◇◇◇


「んー! 美味しい!」

 幸せそうな笑顔で、世良がクレープを頬張る。


 あれから程なくして辿り着いたクレープ屋さんは、噂の通り大盛況で、長い行列ができていた。


 それでも回転が早いようで、比較的待たずに、注文をすることができた。


 今は近くのベンチに座ってクレープを食べているのだが、これは人気が出るのもわかる。


 甘いのはあまり得意じゃないのだが、そんな俺でも、このクレープは美味しいと思えた。


 世良が頼んだのは、イチゴジェラートが乗っているフルーツ盛りだくさんのクレープで、俺は甘さ控えめの生クリームが使われたシンプルなクレープを頼んでいる。


 他にも美味しそうなクレープはあったが、1つ1つが結構なボリュームで、何個も食べるのは流石にきつい。



「じゃあ、私はこれとこれとこれとこれ。あ、あと、これも食べてみようかな。あー、でも、これも美味しそうだし、これも頼んじゃおっか」


 いや、どんだけ食べるんだよ。


 もはや、突然聞こえてくる誰のともわからない声に驚くというよりも、その声の行動に驚かされている気がする。


 そう思って、ふと隣を見ると、そこに見えた女性に、俺は固まってしまった。


 青い帽子に、青いパーカー。そして、超が付く程に短いパンツ。


 細く健康的な脚を惜しみなく晒している。

 髪は黒いのに光が当たると淡い青に染まったように見える。


 綺麗な美女、いや、美少女、か。

 どちらの表現でも間違いはない。そんな不思議な魅力のある女性だった。


 その女性は、クレープを見て、世良以上に幸せそうな笑みを浮かべていた。


 普段のクールな印象からは程遠い。


 普段の?


 俺はこの女性を知らない。見たことないはず。

 だが、久しぶりに見た。そんな気がした。


 いや、違う。

 やっぱり、俺はこの人を知っている。


 帽子に隠れて顔が見えない。口を開いているのに声が聞こえない。

 だが、想像はできる。


「私は燃費が悪いんだ。これくらい食べないと動けないんだよ」


 限度があるだろ、と俺は言った。ような気がする。


 いつも飄々としていて、のらりくらりと生きている。何でもできる天才なのに、真面目にやろうとしない。でも、何でもできてしまう。


 文武両道にして、才色兼備。

 学校一の人気者。


 そのくせ、普段の姿を知っている人はほとんどいなくて、猫みたいに自由で、気まぐれで、可愛らしい。


「ふふ。後輩くんとの会話は面白いね。ボケのしがいがあるよ」


 勘弁してくださいよ、……先輩。


 そう、だ。先輩だ。

 名前は、あと少し、あと少しで出そうなのに。


「一樹?」


 急に黙った俺を心配するように、世良が声をかけてくる。

 その声に世良の方を見ると、不意に、声が聞こえてきた。


「後輩くん。私が言うのもなんだけど、先輩だけだと、誰のことかわからないよ。私の名前も呼んでほしいな。私の名前は、覚えてるよね」


 奈良の菜と、那覇の那で?


 そう言う先輩は、からかうように笑っていた。

 俺が先輩の名前を呼ぶのが恥ずかしがっていると知っていたんだろうな。


「世良。この前の話。世良に屋上のことを教えてくれたのって、先輩だったんだよな?」

「え? え、ええ。でも、ただの記憶違いかも」


「それって、奈那なな先輩のことじゃないか?」


「え? 奈那、先輩?」

 世良はハッと目を見開く。


「奈那先輩。聞いたことが、ある。知って、る? 私、奈那先輩を知ってる」


 それから、急に世界が光った気がした。

 今までの断片的な記憶が、パズルのように一気に組み立てられていく感覚。


 走馬灯のように、奈那先輩との出来事が、頭の中を駆け巡る。

 そして、収まったかと思うと、辺りはさっきまでと変わらない、街の風景に戻っていた。


「今のって。それに、私、どうして、先輩を」

 世良が俺の方を見る。どうやら俺と同じような体験をしたようだ。

 だが、俺だって訳がわからない。


 とりあえず俺たちは近くの喫茶店に入って、状況を整理することにした。

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