異形のいる日本の原風景

 頭部の形状が空っぽのインク瓶である『私』が、電車でちょっと居眠りした隙に、その頭に生きた金魚を入れられて困り果てるお話。
 ファンタジーです。現代日本を舞台にしたローファンタジーで、異能や異形がもりもり登場するのですが、でもアクション的な派手さはないタイプの物語。
 特筆すべきはやはり設定面の豪華さ、「付喪神(異形頭)」「幻想師」などの設定の独特さです。ファンタジーならではの、そしてアクの強い不思議を用意した上で、でも描かれているのはあくまで日常の小さな事件。これだけの存在を配置しながら、でも戦いや惨劇のようなものがどこにもない、その平和さがとても魅力的でした。
 厳密には平和であることそのものではなく、平和なお話だからこそクローズアップされる(できる)物事。ちょっと語弊のある表現かもしれないのですが、描き出される情景やそこに出てくる道具立ての、その外連味がもう気持ちいくらいバシバシ趣味に刺さるんです。この辺もう冒頭から全開なのでわかりやすいと思うのですけれど、花火大会に夏の終わりのお祭り、その描き出す情景からどんどん滲む、この胸の奥がキューってなるような郷愁の念! ノスタルジーというのかセンチメンタルというのか、とにかくたまらないものがありました。味付けの巧みさはもとより、その方向性がはっきりしているような感覚。
 お話の筋は非常にストレートというか、金魚の元の持ち主(=勝手にインク瓶の中に入れた犯人)を見つけるお話です。とはいえミステリ的な犯人探しではなく、どちらかと言えば『私』自身の変化を描いたドラマであると思います。面白いのはこのお話の連作的な雰囲気、というか実質的な主人公が『幻想師』(=『私』が相談を持ちかけた相手)の方であるところ。
 インク瓶の付喪神である『私』は、あくまで視点保持者、言えても「この事件の当事者」という意味においての主人公です。探偵ものに例えるなら、探偵役は『幻想師』、『私』は依頼者と助手を兼任するような感じ。つまり活躍を見せるのは『幻想師』の方で、そして好きなのは「でも本作はあくまで『私』の物語である」という点。
 この先はネタバレを含みます。
 『私』の持つ役回り。派手な活躍はなくとも、でも彼の担う変化や成長といった部分、つまり物語の主題がとても好きです。もともとが空っぽのインク瓶、それも主人を亡くしてなお在り続ける付喪神。本文から引くなら「なぜ私はいまだにこうして姿を保ち続けているのであろうか」という疑問、つまり存在意義の喪失に対して、でもその隙間を埋めるように満たされた答え。いや金魚そのものは始まってすぐ投入されているのですけれど、でもただの『不可解な事件』でしかなかったそれが、彼を満たす答えになること。とても素直で、なにより真っ直ぐなテーマ性を持った、不思議ながらも実直な物語でした。