幕間 第二話「試練の始まり」

 その翌日。

 ……いよいよ明日から大会となる、六月一日の水曜日。

 放課後の部室で賑やかに荷物を準備してると、扉が開いて巨大な影が現れた。


 それは見間違えるはずもない、五竜校長先生の姿。

 ……おおよそ一カ月ぶりの来訪だった。


「ふむ。ずいぶんと楽しそうだが、素晴らしい成果を出すための準備は十分ってことかい?」


「五竜……校長……」


 いつもは明るいほたか先輩も、さすがに委縮いしゅくしたように身をこわばらせる。

 千景さんはいつの間にか寝袋をかぶって身を潜め、剱さんも険しい表情で身構えている。

 ……当然、小心者の私はほたか先輩と剱さんの背中に隠れて震えていた。


「あの……今日は、どんな御用でしょうか……?」


 ほたか先輩が恐る恐る問いかけると、校長先生はノートパソコンをテーブルの上に開いた。


「大会前の激励に決まっている……と言いたいところだけどね。

 まあ、これを見るがいいさ」


 ノートパソコンの画面には、何やら高校生らしき人たちの映像が収められていた。


「ライバル校のイメージも持てずに大会に出るつもりなんじゃないかと思って、心配してたんだよ。

 ……これは松江まつえ国引くにびき高校の女子山岳部の練習風景。

 常にインターハイ予選で勝利をおさめている、我が校のライバルさ」


 校長先生によると、この映像は松江国引高校の顧問から送られてきた物らしい。

 レベルの差を思い知らせるための明らかな挑発だ……と校長先生は険しい顔で言っていた。



 映像を見ると、本当に絶望しかないと思えてくる。

 異様な大きさの荷物を背負っての階段トレーニング、一分一秒を競うテント設営、そして一流の教師を呼んでのテスト対策などなど。

 部員も余るほどで、私たち八重やえがき高校とは全く異なるスパルタな練習方法だった。

 この特訓を耐え抜いた選手は、それはもう弱いわけがない。


「君たちはこの一カ月で頑張ってきたようだが、これを超えることはできるかい?」


 校長先生は遥か上から見下ろすように、私たちを見回す。


「アタシは今まで選手の自主性を重んじてきたけどねぇ。

 この部は何年も実績が出せていないのだよ。

 このまま次の県大会で成果が出せなければ……」


 その校長先生の言葉をさえぎるように、ほたか先輩は一歩を踏み出した。


「絶対に結果を残します!

 ……だからお願いなので、みんなをムキムキにはしないでぇ……」


「ふむ。梓川君……、その言葉は本当だな?」


「はい! この身を賭ける覚悟です!」


 必死な先輩の言葉に納得してくれたのか、校長先生の口元にはようやく笑みがこぼれた。


「……ふむ。その意気や良し! 素晴らしい成果を期待している!」


 そして、身をひるがえして去っていった。



 △ ▲ △



 ……校長先生の嵐のような来訪が終わり、「ぶふーっ」と剱さんが息を吐いた。


「くそ。動けなかった……。校長はバケモンか……?」


「美嶺ちゃん、無理して動かなくって良かったよぉ……。

 五竜校長は本気を出せば眼力で人を気絶させられるってお話だから……」


「うぇぇ……。マジでバケモンじゃないっすか……」


 それがほんとかどうかわからないけど、ひとまず負ければ松江国引高校のスパルタ特訓並みの練習になるのは想像できる。

 ……イメージするだけでゲンナリしてきた。


「そういえばムキムキになるのって、ほたか先輩としては望むところじゃないんですか?」


「お姉さんはもちろんいいけど……。

 でも、千景ちゃんとましろちゃんがムキムキになるのは絶対に見たくないのぉ!」


「そ……そうだったんですか?

 てっきり先輩は、私をムキムキにしようとしてるのかと……」


「違うよぉ! ましろちゃんは、そのふわふわな所も魅力なのっ!」


 そんなに強く宣言されると、恥ずかしくなってしまう……。

 すると、剱さんが自分を指さした。


「あの……アタシはムキムキでいいんすか?」


「……うん。美嶺ちゃんはお姉さんといっしょで、筋肉の道を行くつもりなんだよね?」


「あぅぅ~! ほたか先輩はこれ以上、ムキムキにならないでくださいよ~」


 ほたか先輩は今ぐらいの肉体美が最高にきれいなので、鍛えすぎないでいただきたい!


「空木……。アタシはいいのかよ?」


「うん。剱さんはたくましい体がすごく素敵だから、止めないよ!」


「うぐぐ……。なんかアタシだけ仲間外れみたいじゃんかよー」


 剱さんは唇を尖らせてふてくされる。

 ようやく緊迫感が和らぎ、部室にはいつもの笑いがあふれるようになってきた。



 千景さんも寝袋から顔を出す。


「……ほたか。せっかくだから、部長として……何か抱負でも」


「えっ……。えっと……。急にふられると、困っちゃうなっ」


 千景さんに話を振られ、ほたか先輩は慌て始める。

 そしてしばらく考え込んだ後、微笑んだ。


「みんな、怪我せずお山を楽しもうねっ!」


 それはほたか先輩らしい、とても穏やかな抱負だった。


「……勝利って言わなくていいんすか?」


「あ、そっか。

 負けるとましろちゃんと千景ちゃんがムキムキになっちゃうもんね……」


 ほたか先輩はあらためて声を張り上げた。


「じゃ、じゃあ。勝利を目指して頑張ろ~っ」


 大会直前の掛け声だというのに、とてものんびりした声だ。

 でも、ほたか先輩らしい。


「はいっ。頑張りましょ~」


 私も応えるように手を振り上げる。



 この素敵なみんなをムキムキマッチョにしないためにも、頑張ろうと心に誓う。

 さあ、いよいよ県大会の開始です!




 幕間「試練の始まり」 完

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