Monte Carlo -1-
201X.11.26.16:55 p.m.
モナコ・モンテカルロ
アルドゴール銀行裏口
―――目眩がしそうだ。
そのピン札の匂いは、世界中のどんな煙草よりも良い香りで、そして中毒性が高い。
麻薬のようなそれが充満した車内に、覆面を被り、サブマシンガンを手にした相棒……リズが息を切らせながら飛び込む。
「やぁ。ご苦労だったね、リズ」
「うるせぇランディー! さっさと出せ!!」
「はいはい、分かってる」
あらかじめギアをローに入れてアクセルを踏んでおけば、ランディー・ミゴール……彼がしたのはクラッチを繋ぐことだけだった。
ガリガリ、というクラッチがミッションを鷲掴む音。
キャァアア、というタイヤが路面を引っ掻く音。
その発進は発車というよりも、もはや発射だった。
ポルシェ・718 ケイマン。
伝統ある流線型のボディーが纏うのは、コンテンポラリーな艶のある赤のグロス塗装。
犯行用に盗んだ車だが、そのステアリングはまるで自らの手のように馴染んでくる。
「リズ、フリードとサンチェスは? まだ中かい?」
「あの二人は正面からGT500で出た。二手に分かれて追っ手を撒く。ランディー、道を下って海岸に出ろ。このポルシェなら逃げ切れるぞ」
「了解だ。応戦頼むよ」
ルームミラーに赤と青の煌めき。
今日は早いね、モンテカルロ市警。
嗚呼、 この緊張感、たまらない。
何度経験しても、たまらない。
リズは助手席の窓から身を乗り出し、背後のパトカーへの射撃を開始した。
ギアはトップへ。
タコメーターをジワジワと駆け上がるエンジンの回転数は、同時に彼が放出するアドレナリンのようにも見えた。
海に日が沈んでゆく。
彼はこの風景が大嫌いだった。
太陽はモンテカルロに定住するブルジョア風情の自家用クルーザーに隠され、沈みゆくその姿さえ見られない。
それを見るたび、なんとかという高級ホテルの裏で野垂れ死んだ父親を思い出した。
その青い海に停泊するクルーザーに爆弾を仕掛けて、一斉に沈めてやりたい。
「余所見してんじゃねぇよバカ! 前見ろ前!」
「ははっ、分かってるよ」
しかもその不愉快な風景すら、ゆっくりと眺める暇はない。
連続的に聞こえるさざ波の音を掻き消すのは、濁音が断続するサブマシンガンの銃声。
リズは上手い。
それは運転でも、そして銃の腕前でも言えることだ。
今日は試しにマシンガンを持たせてみたが、市警相手に応戦できている。
キャァアアァぁァアぁあアッッ!!!!!!!
仕留めた。
リズの放つ9ミリパラベラム弾は吸い込まれるようにしてパトカーのドライバーへ。
操縦士を失ったパトカーはコントロールを失い、悲鳴のようなスキール音を掻き鳴らしながら路肩の椰子の木に突っ込む。
「よっしゃあ!」というリズの閧。
まだパトカーは二台残っているが、リズの余裕ぶりを見るに、殲滅するのも時間の問題だ。
あとは、ヤツらの存在。
パトカーより少し遅れてやってくる、あの緑色の集団。
「……ん? ランディー、来たぞ」
「うん?」
視線はルームミラーへ。
パトカー二台は減速、そしてまるで道を空けるようにして路肩へと寄せた。
彼が見ているのはその後ろ。
遠方より迫る、夕焼けを反射する緑色の体。
嗚呼、来やがったか、ヤツら。
「ああ、リズ。僕も見えた」
「だがおかしいぞ」
「どうしたんだい?」
「……一台だけだ」
つい2年か3年ほど前までは、僕たちと同じゴロツキの集団だと思っていたのに。
いつの間にかヤツらは市警の飼い犬となった。
僕たちのような、またはかつてのヤツらのような、モンテカルロに居座る犯罪集団を駆逐する正義の味方気取り。
“アゲラトス”。
“不老不死”を名乗る緑色のトランスポーターグループは、複数台で一台ずつ潰しにかかる戦法を採る。
しかし、今日はなんだ?
一台だけ?
「車種は? いつものベントレーかい?」
「まだ見えねぇが、スピードが出てる割にはコンパクトだ。恐らく初めて見る車種だな」
「ふーん、新入りってとこかな。新入り一台だけを送り込んでくるっていうのは、僕もナメられ、て……」
「ヒィィイイイイイイヤッホォォォオオオオオオオオオオオウッッ!!!!!!!」
……なんだ、ヤツは。
あの加速の鋭さと、それを完全に制御する運転技術。
彼がその車の恐ろしさを感じ取ったのは、思考よりも本能が先だった。
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