第5話 圧

 ハナは穴をあけるように、私達の書いたモノを読んだ。

 当時、私の書いた記録は、今ほど長くない。自分の私情は書かれていない 純然たる記録だ。それほど時間を要して読むようなものではなかったはずだ。

 ケンの詩も、それほど長いものではない。これも 、なら あまり時間はかからないはずだ。

 しかし、ハナは真剣に 非常に重要な契約書を吟実するように時間をかけて読んでいた。

 若い頃、契約書は時間をかけて読む物だと思っていた。


 私はそんなハナを邪魔をしないよう、そっと ハナの前にオレンジジュースを出す。


 下校途中。私の部屋。

 ケンとハナは通学の途中、休憩するのに丁度良い距離にある 私の家に立ち寄る事が多かった。

 先程までケンも居たが、ハナにノートを渡そうとしたら帰ってしまったのだ。


「ヒサの分は、後で1人でゆっくり読むから、それまで楽しみは取っておく」


 そう言い捨てられて、引き止めるのも間に合わなかった。



 ハナと2人きりになり、沈黙が流れる。

 ハナは私と弟が使っている 低い勉強机の前に女の子座りをしてノートを読み、私は窓のサッシの上に座り、暮れるのが早くなって 黒く平たく塗り潰された初冬の森を見ていた。


「ありがとう」


 やっと、開いたハナの口から出た言葉は、詩の感想の言葉ではなかった。


 振り向くと、ハナがオレンジジュースを軽く上げていたので、おもむろな言葉の意味が、オレンジジュースに対するお礼であると伝わった。


「部屋、いつも綺麗だよね」


 続くハナの言葉も、感想とはかけ離れていた。

 関係ないことを言って立ち上がり、私にノート返してくる。


「そう?」

 私は不思議そうにハナを見返していたと思う。

 

 私には友達がいないので自分の部屋しか知らない、だから 綺麗かどうか比べることが出来ない。女の子であるハナの部屋に行ったことが無いのはもちろん、ケンの部屋にも行ったことがない。


(綺麗なのか?)

 自分の部屋が綺麗かどうか不思議に思ったが、不思議そうな顔をした理由は ハナがノートを返して来たからだ。


 弟と一緒の部屋なので、弟の物はそこら辺に散乱している。


(これを綺麗と言うのか)

 そう思いながら、ハナからノートを受け取る。

 ノートを受け取る時に触れたハナの指は冷たかった。けれど、あまり気にせず 私は部屋を見回しながら、「綺麗な状態」をインストール、もしくはアップデートしていた。


「ふふ」


 そんな私の様子が可笑しいのか、ハナが くすぐったそうな笑い声をもらす。


 私は返されたノートをペラペラさせながら、敢えて もう一つの推測を口にする。


「なんか面白いことが書いてあった?」


「違うよ。分からないんでしょ?自分の部屋が綺麗かどうか」

 

 そう言って、私の部屋を見回した。

 私もつられて、もう一度 自分の部屋を見回してから、こくりと頷いて、


「見たことが無いんだ……他の子の、部屋を」


 ハナは笑ってから、


「そか、見たこと無ければ イメージできないよね」


 そう言って、しばらく思案した。

 しばらくと言うには長い時間 思案したあと、


「ちょっと、寒いかも」


 細い肩をさすりながら、気の利かない私を責めることもなく呟く。


「あ、あぁ、ごめん ごめん」

 

 ハナの部屋に誘われたら、どう断れば良いだろうとドキドキしていた私は、自分の先走った考えを恥じて、動揺が行動に顕れた。


(さっき、指が冷たいのに気がついたのに…)


 そんな思いも、動揺を誘う。

 私は窓を閉め切らない内に、鍵をかけてしまい、ガチャガチャと何度も開け閉めを繰り返した。


「ふふふっ 誘われるかと思った? 私の部屋に」


 驚いてハナのことを見る。


 –––– 小さな頃から一緒にいるから、キミの考えていることは お見通しだよ。––––

 ハナはそんな顔をして微笑んでいる。


 その顔は 長いあいだ一緒に居るので見慣れているが 端正で、微笑みは美しさを更に際立たせていた。幼なじみと言う幸運がなければ、この美しい笑みが私に向けられる事などなかっただろう。

 私は大慌てで首を横に振るが、振り終わった後にハナと目が合い、観念して、今度は一度だけ縦に振った。

 それを見届けたハナが、チラリと満足そうな顔を見せてから、


「ねぇ、ヒィ?」


 2人でいる時に ハナは私の事を「ヒサ」と呼ばない。


 まだ私が手に持っていたノートを指差しながら、ズイッと詰め寄り、


「ケンの気持ちが分かる?」

 

 息がかかるくらいの距離で、そう私に尋ねた。

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