19

 漁港近くの海を、一匹の海生物が跳ねていた。

 『ネンブツダイ』である。三百年前の人類には、可食部の少なさと料理の手間などから食用としてあまり好まれていない魚だった彼等は、今でも立派な外道として生きていた。

 海生物化によって体長は一メートル近くまで巨大化しており、一体何を食べてそこまで増えたのか、普段から数百匹ほどの群れで行動する。海生物なので一応電磁フィールドは纏っているが、ないよりマシな程度でしかない。あまりにも弱過ぎて、四十センチ砲どころか十センチ砲ですら、直撃させたら全身が吹き飛ぶほどだ。かといって普通の網なら噛み千切るぐらいには獰猛なため、網での漁獲も無理。一応機銃で眉間を撃ち抜くというのが正攻法とされているが、海生物の癖に臆病さは三百年前と大差なく、エンジン音を轟かせる漁船で接近するとそそくさと逃げてしまう。頑張って捕まえても、皮と骨ばかりで食べる場所があまりない。一応味は悪くないが、悪くないだけで特別美味くもない。何処を取っても努力に見合うものがないのだ。

 結果相当な資源量がある ― 計算上は余裕で現在の全人類を持続的に養えるほどだとか ― にも関わらず、今でも食用として利用されていない種だ。強いて良いところを上げるとすれば、赤々とした身体が綺麗なので目の保養になるところ、ぐらいか。


「はぁ……『ネンブツダイ』は可愛いなぁ」


 アカネは、そんな『ネンブツダイ』が大好きであった。

 対してアカネの隣で彼女の独り言を聞いていたアオイは、跳ねる『ネンブツダイ』の姿を見て眉間に皺を寄せていた。


「……ただの外道じゃん。他の海生物からしたら餌だからやたら獰猛なのを連れてくる事があって、お陰で群れが来たらこっちが進路を譲る羽目になるし。頑張って捕まえても食べるところないし」


「可愛いは正義よ。というかあんな可愛いのを食べるなんてとんでもない。あー、可食部少なくて良かったわねぇ」


「食べられない海生物の何が良いのやら……」


 手すりに寄り掛かりながら呆れるようにぼやき、アオイはじっと『ネンブツダイ』を見つめる。アカネもその隣で、『ネンブツダイ』がまた跳ねるのを待った。

 二人は今、漁港に停泊する『わだつみ』の甲板の上に居る。

 『マッコウクジラ』との激戦により、危うく沈没するところだった『わだつみ』は、今では再び新品のような輝きを取り戻していた。跡形もなく破壊された六十センチ砲はキラキラと金属の輝きを放ち、四十センチ砲が船体側面にずらりと並ぶ。エンジンは新品で、アオイが不平を漏らすぐらい静かな音を奏でる。装甲も傷一つないものだ。

 無論これは『わだつみ』が修理を受けた結果である。今日はその修理が終わり、ようやくアカネ達の元に『わだつみ』が戻ってきた日だ。アカネとアオイは船内を見て回り、不具合がないかを確かめている。

 そして修理に必要な費用と人材を用意してくれた人物に、お礼を言おうとも考えていた。


「気に入ってもらえた、と判断しても良さそうだな」


 なので今度はその人物を探そうと考えていたアカネだったが、向こうの方から来てくれたようだ。

 アカネが振り向いた先には、マキナが居た。眼帯が片目を多い、右手に持った杖を突きながら歩き……左腕の入っていない袖がぷらぷらと揺れている。

 彼女は『マッコウクジラ』の攻撃により、左腕を失っていた。なんでも飛んできた破片によって、付け根から切られてしまったらしい。かつての人類は優れた義手の技術を持っていたが、現代ではすっかり失われている。彼女の左腕はもう戻らない。

 しかしマキナがそれを気にしているかというと、どうやらそうでもないらしい。


「……腕の傷はどう?」


「ん? ああ、今じゃあすっかり痛みもない。むしろ軍人として一層箔が付いたな。軍の老人共を威圧するには丁度良い」


 アカネが尋ねると、マキナは自身の健在ぶりをアピールするように不遜に笑う。強がりのようにも聞こえるその言葉だが、影一つない表情を見る限り、割と本気で自慢をしているらしい。

 傷は男の勲章、と大昔の人間は言っていたようなので、その手の考え方をマキナも持っているのだろうとアカネは納得した……一応彼女は女性の筈だが、なんとなく納得出来た。


「無駄話をしている場合ではないな。船の方に問題なかったか?」


 やがてマキナは自力で我に返り、アカネ達に尋ねてきた。アカネもその質問の答えがまだだったと、正直に感じた事を伝える。


「問題ないわ。むしろこの前より快調なぐらいね。技術者達にお礼を伝えといて」


「ふん、先日同じ修理をしたぐらいだ。そうでなくては困る。礼など不要だ」


「なんでアンタは身内にそんな厳しいのよ……」


「甘やかされた身内ほど信用ならんものはないからだ……それはそうと、もう一つ確認したい」


「? 確認?」


「万一また『マッコウクジラ』が現れても勝てそうか?」


 マキナからの問いに、アカネは口を閉ざす。

 『マッコウクジラ』との戦いに勝利してから、今日で二ヶ月が経っている。

 当時は勝てた事、両親の仇を討てた事、人の世を守れた事……様々な喜びで頭がいっぱいだった。お世辞にも冷静だったとは言い難い。あれから時間が経った今なら、様々な事を俯瞰的に見られる。

 故に、アカネはマキナの問いに即座に「Yes」とは答えられなかった。


「……一つ、訊きたいのだけど。あの『マッコウクジラ』について、何か分かった?」


 代わりにアカネは、今度は自分の疑問をマキナにぶつける。

 討伐した『マッコウクジラ』は、戦闘後マキナ達によって回収されている。調査をするとの事だった。アカネ達としても食べられるかどうかも分からない、つまり金になるかも分からないものを引き取る気にはならず、素直に任せた。

 マキナ達は死骸を存分に調べ、様々な事を知っただろう。良い事も、悪い事も。

 マキナの複雑な、或いは強張った表情が、アカネの予想が当たっている事を物語る。


「まず、悲しい知らせだ。我々が四百名以上の仲間と七十八隻の船を失ってようやく倒せたアイツは、生後十年に満たない子供だと判明した」


「こ……!? う、噓!? だって……」


「残念ながら解剖によって得られた知見、そして過去のマッコウクジラの生体データから導き出したのだ。生殖器も未熟で、繁殖能力がない。成体になるには、あと十五年は掛かるそうだ」


「つまり、私達はガキンチョ相手に弄ばれていた訳ね」


 動揺し、言葉を失うアオイに対し、アカネはマキナの言葉をすんなりと受け入れる。

 正直なところ、予感はしていた。

 アカネが考えていた通り、あの『マッコウクジラ』が『沖』での戦いに負けて追い出された存在だとしたら、最も力の強い青年~成人相当の個体だとは思えない。それらが追い出される状況なら、大人より弱い個体がたくさん近海に現れていなければおかしいのだから。

 そのため考えられる『マッコウクジラ』の年齢は二通り。若い幼体か、或いは老衰した高齢個体か、である。

 しかし高齢個体はあり得ないとアカネは考えていた。理由は簡単――――あの『マッコウクジラ』が、あまりにも鹿である。奇襲してきた時は頭が回ると思ったが、逆に言えば賢く思えたのはその時だけ。攻撃をすれば簡単に釣られ、包囲網が形成されるまで気付かず、いざ危機が迫ると取り乱す。それでいて砲撃が正確なあたり頭自体はしっかり働いていると思えた。単純に思慮が浅い、経験不足のガキというのが一番しっくりきたのである。

 これらはあくまで印象からの憶測であり、なんの証拠もなかった。それでも予め可能性を閃いておけば、心の準備というのは出来るものだ。例えそれが、どんな過酷な現実を突き付けていようとも。


「成体となった『マッコウクジラ』の体長は推定千六メートル。体重は幼体の八倍となる計算だ。電磁フィールドの出力は体内の細菌量に大きく依存している事から、成体の電磁フィールド出力は恐らく幼体の八倍近いものだろう」


「……『わだつみ』の主砲は勿論、体当たりすら効くか怪しいわね」


「強化されるのは電磁フィールドだけではない。生体砲弾も体格に合わせて巨大化するとすれば、爆発のエネルギー量も八倍近くなるだろう。射程も伸びる筈だ。そして何より問題なのは……」


「幼体より経験を積んでいる分、賢い」


 こくりと、マキナは頷く。

 懸念は他にもある。

 『沖』の海生物は『マッコウクジラ』以外にも多数存在する。それらの中には、『マッコウクジラ』すら襲って食べるような怪物がいるかも知れない。そんな怪物が近海にやってきたり、或いは怪物に追われた成体の『マッコウクジラ』が何十体と近海に流れ込んでくる可能性もゼロではないのだ。

 そんな事になれば近海の海生物は壊滅し、近海の海生物に依存している人類も滅ぶ。

 人類が今も生きていられるのは、ほんの小さな奇跡や幸運が続いているお陰かも知れない。しかし奇跡と幸運は、何時の日か終わる。

 人類は、何時か必ず滅びるのだ。

 だが――――


「『沖』の生物が如何に強大で、恐ろしいかが分かった。勝ち目はないように思える……だが、知らなければ抗う事すら叶わない」


 少なくともマキナは、それを黙って受け入れる気はなかった。


「『わだつみ』を直してくれたのは、また『マッコウクジラ』が、もしくはそれに匹敵する何かが現れた時に戦ってほしいから?」


「そうだ。再び奴等が現れた時、対抗出来るのはこの船、そしてその操縦に慣れているお前達の力が必要になる。勿論我等も準備を進めるが、時間が必要だ。だからこの船を修理した」


 一切のお世辞もなく告げられた、マキナの意思。アカネはそれを受け止めると、にたりと笑みを浮かべる。

 マキナはハッキリとは言っていない。しかし言外に……新たな『沖』の海生物が現れたら戦えと強要している。こちらの意思などお構いなしだ。或いは自分の考え方をよく分かっていると言うべきかも知れない、とアカネは考える。

 受けた恩は返さねばならない。アカネは、そう考えるタイプだった。


「良いわ、やってやろうじゃない。あんなデカブツ、何度来ても返り討ちにしてやるわ」


「頼もしい言葉だ。期待しているのだから、裏切らないでくれよ……さて、我はそろそろ帰るとしよう。もしも今になって問題点に気付いたら、此処に一報入れてくれ」


 マキナは懐から一枚の紙を渡し、アカネはそれを受け取る。書かれていた数字や記号の長さ・配列からして、彼女達軍の港がある座標を示す値だろう。


「分かったわ。変な欠陥があったらカチコミに行くから」


「それは怖いな。基地の防壁を強化しておくとしよう。では、長生きしてくれ」


 軽口を叩き合ってから、マキナはアカネ達の前から去った。しばしアカネはその背中を目だけで追い、見えなくなったのを確かめる。

 それからすぐに、アカネは自分の隣に居る妹の方へと振り向いた。先程の威勢の良さをすっかりなくして、おどおどしながら。


「え、えっと……アオイ……勝手に決めちゃったけど……」


「決めちゃったね。お姉ちゃんったら、相変わらず自分勝手なんだから」


「ご、ごめん……」


 そっぽを向いて怒るアオイを見て、アカネは肩を落とす。売り言葉に買い言葉、という訳ではないが、ついヒートアップしてマキナの望むがままの事を言ってしまった。アオイの意見も訊かずに。

 また暴走してしまったと反省するアカネだったが、ふとアオイはそっぽを向いていた顔をアカネの方へと戻した。顔には笑みが浮かんでいて、怒っている様子はこれっぽっちもない。


「冗談だよ。怒ってないから」


 そして態度だけでなく、言葉でもそれを教えてくれた。


「ほ、ほんと? 本当に怒ってない?」


「こんな事で嘘吐いてもしょうがないでしょ。それに本当に嫌なら話の途中で割り込んででも止めるよ。お姉ちゃんを止めるのが、妹である私の役目なんだから」


 アオイはそう言うと、アカネの手を強く握ってくる。

 ほんのりと冷たい、妹の手。

 頭の中の熱がすっと引いていくような感覚に、アカネも頬を弛ませる。向かい合ったアオイと、自然に笑顔を見せ合う。

 恥ずかしいような、嬉しいような。なんとも不思議な気持ちを感じながら、アカネはもうこの冷たい手を放すまいと強く握り締めた――――


【はーっはっはっはーっ! 僕達は帰ってきたぞぉーっ!】


 直後に大海原から聞こえてきた声に驚き、ぱっとアカネはアオイの手を放す。

 殆ど無意識に、アカネは声がした方へと振り返る。すると港の出口の向こう側……地平線の近くに、小さな船の姿があった。人間の視力では輪郭もよく分からないほど小さなそれを見たアカネは、驚きで目を見開き、喘ぐように口をパクパクと空回りさせる。思わずアオイの方を見れば彼女も足を止め、自身を見ているアカネと目を合わせる。

 忘れるものか。あんな別れを忘れる方がどうかしている。

 だからこそ信じられない。あの別れから、生き残るなんて。

 『彼』は『マッコウクジラ』の気を引くために、その命を賭けたのだ。あの『マッコウクジラ』から生還するなんて、あり得ない。


【漆黒船団の帰還だぁ!】


 されど大海原に浮かぶ船からの通信が、全ての疑念を打ち砕く。

 あの船には、コウが乗っているのだと。


「あ、アオイ! 操舵室に戻るわよ! 通信機でこっちの声を届ける!」


「う、うん!」


 アカネとアオイは駆け足で船内へと戻り、操舵室でコンソールを操作する。普段通りの早さで通信機の起動を知らせるランプが点いたが、それが焦れったく思える。


「コウ! 無事だったのね!?」


 身を乗り出し、アカネは大きな声で叫んでいた。


【おお! アカネ! やはりその船は『わだつみ』だったんだね!】


「ええ、そうよ! それよりもコウ! アンタ一体どうやって『マッコウクジラ』……あの海生物から逃げ切れたの!?」


【ははっ! なぁに、確かに強敵だったが、少々頭が弱かったようでね! 船を三隻、バラバラの方向に自動操縦で突撃させたらそっちに夢中になってね。僕達の船はその隙に可能な限り遠くまで逃げたのさ】


「は、はぁっ!? え、そんだけ!?」


【いやー、まさか上手くいくとは思わなかったよ。本当にアイツの頭が弱くて助かった】


 驚くアカネを余所に、コウは心底安堵したようにぼやく。どうやら冗談抜きに今し方語った方法で乗り切ったらしい。

 確かに簡単に包囲を許すなどアホだとは思っていたが、まさか目の前の囮に簡単に釣られるとは……自分達の苦労が馬鹿らしく思えてきたが、前向きに考えれば幼体相手ならそうした手が通用するという確たる証拠だ。呆れるばかりでなく、しかと知見として記憶しておく。

 それに、だからこそコウは無事に戻ってこれたのだ。なら、文句を言うなどどうして出来よう。


「……本当に、良かった」


 ぽつりと零れ落ちたこの言葉が、アカネの本心だった。

 自然と目が潤み、アカネは自らの目許を擦る。


【……アカネ。戻ってきた事だ、早速始めよう】


 そんな仕草の最中に、コウはそう提案してきた。

 涙を拭っていた事で一瞬反応が遅れたアカネは、手を下ろしてからこてんと首を傾げる。コウは何かを始めようとしているようだが、はて、特に思い当たる節もない。


「えっと、始めるって、何を?」


 分からなかったのでアカネはすぐに訊き返し、


【当然僕達の結婚式だよ!】


 コウは即座に答えてくれた。答えてくれたが、アカネは反対方向に首を再度傾げる。

 けっこん?

 ケッコン?

 ……結婚?


「うええええええええっ!? な、何言ってんのよアンタ!?」


【ははははっ! 条件反射で否定しているようだけど、今回はそうはいかないよ! 何しろ言質があるからね!】


「はぁっ!? 言質って何を」


【『次会ったら、結婚してあげるから! だから、だから必ず生きて帰って!』】


 反射的に反論しようとするアカネだったが、コウ側の通信機から聞こえた『女』の声を聞いた途端、言葉が出なくなった。

 次いで、ギギギと音が聞こえそうなぐらいぎこちない動きで、アカネはアオイの方へと振り返る。

 アオイは心底呆れ返った苦笑いを浮かべていた。


「……何コレ。え、何時の話?」


「……えと、その……『マッコウクジラ』の攻撃を受けて、アオイが死にかけた時の話……」


「……ああ、あの時か。発破を掛ける感じに言ったの? で、コウさんが帰ってきたと」


「いや、でもほら、あれはなんというかその場のノリというか……ね?」


「ノリでもなんでも約束は約束でしょー」


「……………」


 アオイからの至極真っ当な指摘に、いよいよアカネは黙りこくる。全く以て言う通り。自分が約束した事が発端であり、コウはその約束を信じているだけ。全面的に自分が悪い。

 悪いのだが、しかし――――

 乙女心というものは、複雑なのである。


「……出発」


「え?」


「出発! 全速前進で港を出て!」


「えぇー……流石にそれはどん引きなんだけど。というかもうそこまでいったら普通に恋愛だと思うし、コウさんが白馬の王子様で良いじゃん。幸せにしてくれるよ、きっと」


「良いから早く!」


 渋るアオイをアカネは急かし、アオイは渋々、されど途中からにやりと笑みを浮かべながら船のエンジンを起動する。

 最先端の技術が集められたエンジンが唸りを上げる。船全体が震え、パワーが満ちていく。重さ五十万トンを超える巨体が、今すぐにでも動き出せる状態となった。


「追ってくるのは駆逐艦級。試運転には丁度良いかな」


「ええい、なんとか策を考えて振り切らないと……速さでは勝ち目がないから……」


 ぶつぶつと呟くアカネの顔にも、笑みが戻る。

 姉妹は揃って大笑い。


「さぁ! 出発進行! 行く先は、海のどっかだぁ!」


「あいあいさー!」


 そして姉妹の掛け声に合わせて、『わだつみ』はエンジンを唸らせ動き出す。

 大海原に、姉妹の楽しげな笑い声が何処までも響き渡るのだった。 

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バトルシップ・シスターズ 彼岸花 @Star_SIX_778

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