第22話 かみさまに会いに③

 住吉津は海岸線が見えるような場所かと思っていたが、現在は埋め立てで大阪湾から2キロ離れている。

 昔は大陸との交易・航海を守護する港だった。参拝道には600もの灯籠とうろうが並ぶ。海上守護祈願に人々が寄進してきたもので、迫力だ。


 早朝の静かな石畳を歩いて境内に入るとすぐに重厚な石鳥居と狛犬がある。


(狛犬でかっ!顔も怖っ!)


 ボクらはそそくさと2体の間を歩いて鳥居をくぐり、お椀をひっくり返したような形の橋を登った。怖いけどユンジュンの為だ。運動神経の悪いボクは苦労して橋を渡った。

 そして目の前に広がる風景に呆然とした。


 狐や狸、鯉などの生き物の顔をした異形のモノが歩き回っている。首から下は人間の身体で皆着物姿だ。

 高音でぴよぽよ言っている。まったく聞いたことのない言葉で、宇宙人の言語みたいだ。


「に、兄ちゃん…ここは…」


「…さっき鳥居をくぐった時に空気が歪んで人が消えて、橋を渡った時に幕をくぐり抜けたような感じがした。あれは周りが消えたんじゃなくて」


「ボクらが消えたってこと?」


 兄は冷静に「多分そうだ。オレらがここに紛れ込んだんだ」と頷いた。


(ヤバいよ!ボクらは元の世界に戻れるの?)


 でも考えてみたらかみさまに会おうとしていることがありえないし普通ではない。ありえないのがユンジュンという存在だし、ありえないことをしないとボクらは彼を失ってしまう。


「行こう、兄ちゃん。門戸が開いたんだ。かみさまに会わないと」


 どうせ前にしか進めない。

 ボクが決心してそう言うと、兄も強く頷いた。


「そうだな」


 


 歩いていると、周りにじろじろ見られる。


 服が違うし、人間だ。ボクらがそれらしい場所を探して歩き回っていると、小さなころころと良く太った毬のような犬が2匹寄ってきて、ズボンの裾を引っ張った。

 ボクは動物が苦手、というより触ったことがないので怖くて固まった。近所の犬でさえ近寄れないのだ。


「付いて行けばいいの?」


 動物好きな兄が耳がとんがっている方の犬に聞くと、元気に「ワウン!」と尻尾を千切れそうなほど振り、白砂利の参道を先導し始めた。ボクらは大人しく付いて行く。

 2匹の犬の後姿は丸い毛玉が転がっているようで可愛い。ボクらは耳がとんがっているほうを『とんがり』、垂れている方を『まる』と名付けた。

 2匹の後を歩いていくと、あでやかな朱色の建物の前に着いた。


「こんにちは、誰かいませんか?」「お願い事があるのですが」


 ボクらが入口で声を張り上げると、中からユンジュンに負けず劣らずの美しい大柄の女性がはらはらと服をなびかせながら現れた。


「なにじゃり?ありゃ、ガキンチョじゃりか!おかしいわい、今日はいい男が来る予感がするからおめかししてたじゃりに…損じゃり!」


 彼女はボクらを見て怒り始めた。


(失礼なおばさんだな)


「おば…おねえさん、この壺に入ってるユンジュンを助けて下さい!」

「彼が住んでいた壺が割れてしまったんです!お願い、何でもしますから!」


 ボクらがお願いすると、壺からぐったりしたユンジュンがずるりと出てきた。


「大丈夫?」「かみさまに会えたから元気だして!」


「まあ、美しい男じゃり!おぬしを待ってたり。さ、こっちへ来るり、わらわがしっかり治してやるじゃり」


 打って変わって機嫌がよくなった女性はボクらに目もくれずにユンジュンをふわありと抱きかかえた。力持ちだ。

 ボクは嫌な予感がして焦った。変態かもしれない。


「おばさん、彼をどこに連れてくの?困るよ、大切な人なんだ!」


 振り返った女性は『おばさん』呼ばわりに大層むっとしたようだが、当然のように言い放った。


「わらわがを気に入ったりから、わらわのものにするり。助けて欲しいんじゃり?んん?」


「ユンジュンがおばさんと居たいというならいい。でも、これじゃあ人さらいじゃないか!」

「ま、待てよ、このおばさん怖いからもうおばさんおばさん言うな!」


 ボクがあまりにおばさんを連呼するから慌てた兄が止めたがもう遅かった。


「もう遅いわ!おばさんって言うなじゃり!!」


 彼女が目をくわっと見開くと、建物の奥から突風が吹いてボクらは吹き飛ばされ庭に転がった。


「い、痛てて…」

「大丈夫か、タカシ」と兄が心配してボクの背中をさすった。


「だ、大丈夫…」


 ユンジュンを抱っこしたおばさんは、「ではチャンスをやるり。そこに犬が転がっておるじゃり?」とニヤニヤしながら言った。


 彼女が顎で示した先の巨木の根元に犬がうずくまっていた。さっきのとんがり達と同じくらいの大きさだ。


「ではおまえ達、その犬のうみを吸い出し、うじを食べるじゃり。したらこの美々しき男を治して返すじゃり」


 ボクらは恐る恐る近づいた。犬は額が割れてどろりとした膿が出、腹からは蛆虫がき出ている。


(まだ生きている…いや、この世界では死ねないのか。こんな姿で死ねずに生きていくなんて辛いよ)


「どうだ、できないじゃりか?ん?」と勝ち誇ったようにおばさんが言ったので、ボクはブチ切れた。


 ボクは小学校で6年間いじめに我慢してきた。今のボクなら死ぬ気になれば出来る気がした。そして、この意地悪なババアを見返すのだ!


「やるさっ!見てろ、おばさんっ!!」


 ボクは犬の頭に顔を近づけて目を閉じ、黄色く粘っこい膿をストローでタピオカを吸い込む様に口をすぼめて吸い込んだ。喉をどろりとした液体が通るのを感じてオエっとなったが、味がしないおかげで飲み込めた。


(あれ、どっちかと言うと美味しい…?)


 ボクが目を開けると、兄は犬の腹に湧いた蛆を口に含んで飲み込んだところだった。蛆は動くから難易度が高い。流石ボクの兄だ。もちろん眼を閉じて食べた兄もオエっとなっていたが、次の瞬間不思議そうに眼を見開いた。


「あれ?」「もしかして美味しかった?」「うん…」


 ボクらは不思議に思っていると、犬が大きくなって鳥居の前にいた狛犬の大きさになった。


「おいおい、負けたじゃねいか。仕方ねいでその男を治してやるんだに。ワイはその壺を治しておいてやるに」


 狛犬は境内がゆれるでかい声で彼女に言った。どことなくニヤニヤと笑っているように見える。


「ひゃっ、狛犬がしゃべった?!」


 ボクと兄が驚いていると、


「おう、ワイはこの神社に祀られてる海の神、住吉三神の長男だに。男をおまえらから取り上げるために一芝居打ったねいが…おい、ユンジュン!元気そう…じゃねいな?そのおばさんに気を分けてもらったらすぐに元気になるだに、安心せい」と優し気にボクらとユンジュンに言った。


 おばさんより話がわかる。


「ちぇ、仕方ない。この美男はおまえらに返してやるじゃり。もったいない…」


 彼女はぐったりしたユンジュンにぶちゅーっと口づけをした。その間にさっきの「とんがり」と「まる」も来て、狛犬と同じ大きさになったあと、「自分たちは住吉の神の次男と三男だに」と大声で自己紹介してからぺろぺろと壺を舐め始めた。不思議なことに継ぎ目は消えて壺は治り、その上一回り小さくなった。


「ふー、ご馳走様じゃり。ユンジュンとやら、そなたが望むなら私のそばにいてもいいじゃりよ。未来永劫大事にしてやるり」


 ユンジュンをやっと放したおばさんはそう言ったが、ユンジュンが慇懃にお礼を言ってすぐにボクらのそばに来たのでがっかりしている。


(へん!ユンジュンを助けてくれたのはありがたいけど、ちょっとざまあだな)

 

「おお、小さくなったからこれで持ち運びが楽だな。これで中国に行ける」とユンジュンが壺を見て言うと、


「おまえ、里帰りしてねいのか?ガキたちの望む形にしたのだが、まだこの壺は接着が完全でねいので渡せぬ。もう二度と壊れぬようにしてやるねい。待つ間に大陸に遊びに行けるぞい?ちょうど大陸の女媧じょかに仕える神龍が長期休暇で倭国に物見遊山に来てるからぬ」


 ユンジュンが珍しく迷った表情でいたので、兄が言った。


「ユンジュン、行っておいでよ!子孫を見つけるのは難しいかもしれないけど、故郷の様子が気になるだろ?」


 ボクも同意見だったので力強く頷いた。彼が、ボクの調べる中国の資料を後ろから興味深げに読んでいたのを知っていたのだ。


「では、7日後にここで会おうぬ、玄理くろまろの子孫よ」


 3匹の狛犬がべろべろとボクらの顔を舐めると、意識が途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る