第27話 ホットケーキと『一人ぼっちの少女と秘密のお花畑』.1

「……であるからして、ラクーシャ王国の古代期における文学史においては、先程説明した部分が重要となるので、しっかりと復習しておくように。

 むっ、もう時間じゃな。本日の講義はこれまでとする。中間考査も近いので、そろそろ試験勉強にも力を入れるように。以上」


「「「ありがとうございました!」」」


 2講目の講義を終え、オルバスは教室を後にする。

 廊下に出ると、お昼時ということもあり、学生食堂に向かう者、中庭の芝生やベンチに座って持参した食事を食べようと外へ足を向けている者等、午前中の講義から解放されて昼食にありつける時間を楽しみにしている様子が見てとれた。

 王立アイルベン大学。

 王都にある大きな大学とは違い、キャンパスの規模も小さく、生徒数も少ない地方都市の田舎大学だが、学歴に箔を付ける為だけに入学してきたような学習意欲のない貴族や商人の子供達や、研究資金の援助を狙う学者と研究成果を独占しようと目論む貴族達との癒着や出し抜き合いが常の権謀術数ひしめく魔窟である王都の大学に比べれば、面倒なしがらみもなく貴族達にヘコヘコする必要もないこの大学での生活は中々良いものだ。

 年がら年中腹の探り合いばかりの職場に嫌気が差し、齢も65になり丁度良い区切りかと長年勤め上げた王都の大学教授を辞めて、新天地で自身の専攻分野であるラクーシャ王国の文学史や歴史学等を穏やかに研究しながら教鞭を振るって生活出来ればと思い、このアイルベンにやってきたのだが、今のところは成功と言える。


「さてと、儂も研究室に資料を置いてから飯にするかのう」


 口元にたっぷりと蓄えられた白髭をいじりながら、廊下の窓から外の様子を窺う。

 眼下には数多くの学生が空腹を満たそうと、学生食堂の入った棟に蟻の行列のように列をなして屋内に吸い込まれており、中は随分とごった返しているだろうと容易に推察出来た。


「あの様子では、食事にありつけるのは随分と先になりそうじゃのう」


 学生食堂は基本的には学生専用の施設ではあるが、学内で勤務する教員や職員も自由に利用することが出来る。

 オルバスも赴任直後はよく利用していたが、昼時のあの大混雑の中での食事はあまり落ち着かない気分になってしまい、しばらく足が遠のいてしまっていた。

 教師だからといって行列に割って入るような真似は許されないし、さてさてどこで食べるべきか……。

 

「学生食堂以外だと学内にある購買部で何か出来合いの物でも買うしかないのじゃが、あそこのラインナップは全て制覇してしまったしのう。

 ……たまには外で食べてみるかのう」


 都合が良いことに3講目の講義は今日はどの学年も入っていない為、昼休みと空いた3講目の空き時間を使えば大学の外にあるレストランなりで食事をして戻って来てもたっぷりと時間は余る。

 ついでに、通勤で通る以外の道を散策して都市の地理を把握しておくのも良いかもしれん。

 オルバスは今日の食事を学外で済ませることに決めて、講義で使用した資料を自分の研究室に戻すと、意気揚々と街へと繰り出していった。






「……ふむ、随分と奥まで来てしもうたのう」


 人の往来が途切れることのない大通りから外れた裏通りを通りながら、目ぼしい成果を得ることが出来なかったオルバスは落胆を表情に滲ませる。


「やはりあの通りを外れず、素直に表通りに残っておいた方が吉じゃったかのう?」


 ほとんど人通りのない裏通りをトボトボと歩きながら、オルバスは遅すぎる後悔を含んだ声を漏らす。

 アイルベンの大通りには様々な飲食店が軒を連ねているが、そこを外れた別の通りでは隠れ家的なレストランやバーが店を構えている所も存在している。

 今回は気分を変えて、まだ誰も見つけていないような店がないかと大通りを外れた路地を歩き回っていたのだが、それらしい店は中々見つからず、運が悪いのか見つかっても深夜営業のバーが陽が沈むのを待って店を閉じているばかりだった。


「仕方ない。ここは素直に大通りの店に向かおうかのう」


 この都市に網目のように張り巡らされた路地はかなり迷いやすい造りになってはいるが、フィールドワークで遺跡調査を行うこともある為、地形の把握能力は必須となてくる。

 なので、地形や建物の構造や未知の順路等は既に頭に入っている。

 迷子になることなく、大通りに戻る自信はある。

 ここまで歩き回った努力が徒労に終わるのは口惜しいが、都市の構造を知るという面ではここまでの道のりは決して無駄にはならないだろう。

 オルバスは致し方ないと来た道をもう一度戻ろうときびすを返すが、ふと足元に何やら見慣れぬ物が落ちていることに気が付いた。


「なんじゃ、これは?」


 その場に屈みこんで、指先で摘まめる程の大きさのそれを摘み上げる。


「花びらか? しかし、この花びらの形状……それに、このように見事なピンク色の花は見たことがないのう」


 生憎と植物学には疎い為、この見たことのない花の正体に思い至ることが出来ない。

 数年前に病で死んだ妻は園芸が趣味で、地方に群生している花の種も花屋で取り寄せて栽培していた。

 王都で暮らしていた庭には妻自慢の色とりどりの花々が丁寧に手入れをされて咲き乱れていたが、花卉かきの研究者になったらどうだと冗談を言った程の花好きの彼女のコレクションと化した花壇にもこのような花はなかった筈だ。

 ふと視線を上げると、その花弁は今自分のいる通りにもちらほらと落ちていて、どうやら奥の通りから風に吹かれてこの辺りに飛ばされてきているらしい。


「……ふむ、どうするか」


 大通りに戻れば美味い食事は手に入る。

 しかし、この謎を放置したままで果たして満足のいく食事が出来るであろうか。

 答えは否だ。

 未知への探求心。

 これを失わぬことは学者である上で必須の要素だ。


「食事はこの際、帰り道の市場で果物でも適当に買うことにするかのう」


 掌の上に謎の花の花弁を載せたまま、オルバスはここに妻がいればさぞや興奮して自分の手を引っ張って突っ走っていただろうにと僅かな寂寥感を感じながら、通りの奥へと足を向けた。









「おおっ! なんとこれは……。良い物に巡り合えたもんじゃわい」


 天に向かって伸びる枝に豊富に咲いているピンクの花弁。

 まるで樹一本自体が巨大な花束のように感じる程、美しい花が密集して咲いているその不思議な樹の美しさに目が釘付けになる。

 石畳の通りに落ちた花びらを追って来てみれば、2階建ての瀟洒な建物の庭にこのような見事な樹が芸術作品のような花を満開にさせているのだから、仰天してしまうのも無理からぬことではなかろうか。


「このように美麗な樹を植えておるところを見ると名のある芸術家のアトリエか、貴族の別邸なのか……」


 目の前に広がるどこか別世界のような光景に目を奪われたままそう呟いていると、建物の玄関近くに置かれた折り畳み式の黒板が目に留まる。

 何か書かれているのかと思い、黒板の前に立つと、白いチョークで書かれた丸文字が目に入った。


「『ようこそ異世界レストラン「サクラ亭」へ』……。ここはレストランじゃったのか!?」


 こんな商売っ気のない裏路地で店を開く等、通常では考えられないが、あの不思議な花を見た後では、あのような摩訶不思議な植物を育てているこのレストランのことが気になってしまう。

 それに、レストランの前に付いた異世界という単語も気になるし、ここは一つ冒険に出てみるのも一興かもしれんのう。


「異世界レストラン。その謎を解き明かしてみるとしようかのう」


 見知らぬ場所に現れた謎の詰まった飲食店。

 こんなに面白そうな場所に背を向けて帰るという選択肢は存在しなかった。

 オルバスは、まるで何十歳も若返った子供のようなワクワクとした面持ちでレストランの扉のノブに手を伸ばした。

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