第26話 サクラ亭の『サクラ』

「あっ、今日もちゃんと届いてますね!」


 私が庭に出ることが出来る木戸を開けると、もう見慣れた物がいつものように置かれていました。

 毎度のことで今は別段驚きはしないのですが、やはり何度も見てもこの摩訶不思議な現象は凄いものです。

 澄んだ青空が広がる晴天の朝陽の温もりと、程良い勢いで足元の芝をそよがせる風に心地良さを感じながら、私は『サクラ亭』の庭にそびえるサクラの樹まで足を進め、枝葉と綺麗に咲いている花々を空に届かせようとしているかのように枝を大きく伸ばすピンク色の天蓋を見上げます。


「やっぱり、何度見ても綺麗ですね……」


 自分の髪の色と同じ色をしたこの樹は私のお気に入りです。

 このラクーシャ王国では見たことのない樹木で、旦那様の故郷に咲いているものらしいのですが、旦那様は自らの過去に関することはあまり口になさろうとはしません。

 以前、興味本位で旦那様の昔話をせがんだことがあるのですが、旦那様はまるでもう二度と行くことの出来ない場所を思い出すようにどこか遠くを見るような目をして、


『う~ん、そうですね……。……実は私はもう帰ることの出来ない遠い場所からこの世界に呼ばれたんです。

 以前いた場所に未練がないと言えば嘘になりますが、私を呼んでくれた女神様には感謝していますし、あんなに素敵な一年中咲き続ける魔法のサクラまで開店祝いに贈って頂いたので、今の生活に大きな不安はありませんね。

 それになりより、貴女と出会えてこうして大好きな本と大好きな料理を振る舞うことが出来るお店をオープン出来たので、今が一番幸せなのかもしれません』


 そう言ってニッコリと微笑んでくれた旦那様の不思議な話は、あまり頭の良くない私には完全に理解出来たわけではないけれど、今のこの生活を幸福だと感じているのなら幸いだと思った。

 旦那様と一緒に切り盛りするこのお店での生活は私も大好きです。

 奴隷として闇市で売り飛ばされる寸前だった私を、ただ偶然通りかかっただけなのに有り金全てをはたいて解放してくれた日から、私の日々は色鮮やかに塗り変えられた。

 私を助ける為に、自分の夢であったレストランの開店資金が底をついてしまい、資金繰りに数年もの時間がかかってしまったことは申し訳なかった。

 本来ならアイルベンよりももっと大きな都市の大通りで店を構えることの出来るだけの資金があったのに、数年がかりで集めたお金ではアイルベンの裏通りにひっそりと佇むこの物件しか見つからなかったのだ。

 だけど、私が申し訳なさそうに所在なさげにいると旦那様は、


『隠れ家レストランみたいで良いですね。

 それに、人通りの激しい華やかな大通りよりもこういった立地の方が沢山お客さんが来すぎないので、のんびり穏やかに営業できそうですし、問題ありませんね』


 と飄々ひょうひょうとした様子で笑いながらお話しされるので、私を買い取る為に多額のお金を使わせてしまったことに対する負い目を感じつつも、私があまりそのことで謝罪しようという空気にはさせないのだから、旦那様は気遣い上手な策士なのだと思う。


「はっ! いけないいけない。早くお届け物を厨房に運ばないと」


 サクラの花を見上げているうちに昔のことを思い出してしまって、肝心のお届け物を前に棒立ちになってしまっていた。

 視線を前に戻し、眼前に置かれたお届け物を確認する。

 サクラの樹の根本には6つの藤籠が置かれている。

 籠の中には私が今まで見たことのなかったような様々な食材がぎっしりと詰まっていて、本当にこのサクラの樹は魔法の樹なんだとこれを見る度に実感する。

 旦那様が女神様から贈られたのだと言っていたこのサクラの樹は、ここでお店をやると決めた日の翌日に突如庭に植えられていた物で、初めて見たときはその美しさと唐突に現れた謎の樹に困惑したものだ。

 旦那様がお店で使用している食材は王国内では見たことのない物も多いのだけれど、食材が足りなくなりそうな頃になるとマスターは適当な紙にサラサラと食材の名前を綴って、


『これをサクラの樹の枝に紐で結んでおいてくれませんか。そうすれば、女神様が素敵な贈り物をして下さいますので』


 と私に小さなおつかいを命じるのだ。

 最初は半信半疑だったけれども、こうして紙に書いていた物が翌日の朝には樹の根元に過不足なく置かれているのだから、信じることしか出来なかった(ちなみに雨の日は、食材が濡れないように藤籠が律儀にも樹の幹に寄せられ、サクラの絵が描かれた大きな布までかかっていて、実はこの布を集めてお部屋に飾るのが私の趣味の一つになっているので、雨の日はバンザーイ!と喜んでしまうのは内緒です)。

 女神様へのお願いをしたためた紙を枝に結び、女神様の贈り物を大好きな旦那様の聖域である厨房へと運ぶ。

 まるで神殿に仕える巫女にでもなったような、不思議な高揚感に包まれる。


「ええっと、お醤油とオリーブオイルもちゃんとありますね。

 こっちの籠にはメロンにマンゴーにマスカット……ああもう! つまみ食いしたくなるくらい美味しそうです!」


 昨日枝に結んでおいた紙に書かれていた食材が漏れなく籠の中に入っているのかを確認するのもお仕事のうちなので、瑞々しい果実の誘惑にお腹の虫を刺激されながらも確認作業を行う。

 しかし、今まで頼んでいた食材が足りなかったり、必要以上に多く入っていたことはないので、この確認作業も形式的なものになりがちになってしまっている。

 本日も注文数が過不足なく合致したことを確認すると、私はずっしりと重たい藤籠を持ち上げ、落とさないように両腕で抱えながら、開けっ放しにしてきた木戸から家の中に入って厨房の隅にそれを置くと、再び庭に出て同じ作業を繰り返します。

 そして、最後の一つを運び終えた私はふう~と一息つくと、荷物を運び終わった厨房からまた庭に出てサクラの樹の前に立ちます。

 この樹に宿っているのか、それとも大空の上から私達を見下ろしているのかは分からないけれど、私はいつもと同じように両手を合わせ、旦那様に教えて頂いた神様へのご挨拶を行います。


 ペコリペコリ。

 パンパンッ。

 ペコリ。


 二礼二拍手一礼というらしい、この不思議な儀式を行って、


「女神様。今日も素敵な食材を本当にありがとうございます。このサクラ亭に来て下さるお客様に笑顔をお届け出来るのは、旦那様と女神様のおかげです。

 もし出来ることなら、是非女神様もサクラ亭にいらして下さい。精一杯おもてなしさせて頂きます」


 女神様への感謝の言葉を告げてから、顔を上げると、一陣の風が吹き渡り、秀麗に咲き誇ったサクラの花弁が風に舞い上げられて空に向かって散っていき、その幻想的な光景に目を奪われてしまいます。

 ヒラヒラと風に吹かれて私の髪にくっついた可愛らしい花弁に目を細めて口元が綻び、なんだか幸せな気持ちになっていると、庭先で立つ私に気付いたらしい旦那様が木戸の方から手を振ってくれました。



さ~ん。朝食の用意が出来ましたよ」


「は~い、今行きます!」


 サクラ。

 私の大好きなこのお花の名前。

 そして、名無しの奴隷だった私の新しい名前。

 君の髪は自分の故郷に咲いている花に似て、とても美しいといって付けてくれた自慢の名前。

 大好きなお花と、大切な人から贈られた最高のプレゼント。

 私の名前は沢山の幸せの詰まった、素敵な宝物なのです。

 私は掌に自分と同じ名前を載せたまま、大好きな旦那様と、旦那様の作ってくれた美味しいに決まっている出来たての朝食に向かって足を踏み出しました。

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