#29 学校に行きたい

――夢を追う少年の心を忘れない彼はずっと漫画一筋で打ち込んでいた。しかし学生時代の友人は定職につき、結婚し、家庭を作っていく中、彼の夢は何年経っても一歩も前に進まなかった。

――そして二十代の中頃、彼は漫画を描くのをやめた。その後は就職し、恋人を作り、今は新婚生活真っ只中だよ。


 眠る直前にあんな話をしたせいだろうか? こんな夢を見たのは。

 気付くと夜宵は真っ白な部屋にいた。

 清潔感のある白い壁と天井。部屋の中央を通る通路の左右には客席が並び、正装の男女が集まっている。

 室内に流れる厳かな空気。夜宵の知識によれば、ここはチャペルと呼ばれる場所だ。


「皆さん、今日は僕達の結婚式に集まっていただき、ありがとうございます」


 声の方向に目を向ければ、部屋の最奥に二人の人物が立っていた。

 華やかなウェディングドレスに身を包んだ新婦とタキシード姿の新郎。

 二人の姿を見て、夜宵は呆然と呟く。


「ヒナに、水零?」


 新郎と新婦は夜宵の記憶にある姿よりも大人へと成長したヒナと水零だった。

 夜宵が客席で我を失っている間にも新郎のスピーチは続く。

 新郎のヒナが、新婦との馴れ初めを語っている。


 夜宵は自分の姿を見下ろす。高校の制服姿だった。

 あれっ、なんで?

 ああ、そっか。結婚式だもんね。学生の正装は制服だから、間違ってない。

 いや、ちがう。ヒナと水零はあんなに大人っぽくなってるのに、どうして私はあの頃と同じ制服姿なの?

 ああ、そうか、留年したんだ。考えてみれば当然か。

 一体あのあと何年留年したのだろうか。

 自分の時が高校生こどものまま止まっている間、友人達はどんどん前に進み成長していったのだ。

 そしてその先に、今日という晴れの日を迎えた。

 夜宵は彼らを祝福しないといけない、そう頭では理解している筈なのに。


 気付けば、彼女は立ち上がっていた。

 呼吸が苦しい。目の前の世界を認めたくない。

 瞳から熱いものが溢れてくる。

 スピーチが続く中、新郎と新婦のいる場所に向かって夜宵はバージンロードを駆ける。


「嫌だ! 嫌だよ! ヒナ! 水零! 私をおいていかないで!」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 反射的に上半身を起こす。

 そこで夜宵は、自分がベッドで寝ていたことを思い出した。

 自分の顔に触れる。頬に涙の跡があるのがわかった。

 たった今見た夢を、自分の中でどう処理すればいいのかわからない。

 友達の晴れ舞台を素直に喜べないなんて、ひょっとして自分の心は醜いのだろうか?

 部屋の時計を見る。時刻は既に十七時近かった。

 しかし七月の陽は長い。外はまだまだ明るいようだ。

 夜宵は部屋を出て、洗面所で顔を洗う。

 そうして廊下を進み、リビングの扉を開けながら言葉を吐き出す。


「お母さん、お腹すいたー」


 そしてそこでソファに座っていた人物を見て固まった。


「よう。おはよう、で合ってるか? 夜宵」


 さきほど夢で見た少年が、朗らかな笑みと共に挨拶をしてきた。


「ヒ、ヒナ!」


 この時間ならとっくに母が帰っているだろうとは思っていたが、母が客人を迎え入れている可能性までは考えていなかった。

 夜宵は動揺し、廊下に飛び出しドアを閉める。


「ヒナ! み、見た? 見たの?」

「お、おう。見たって何を?」

「わ、私のパジャマ姿を」


 寝起きの無防備なパジャマ姿を男子に見られたなんて、恥ずかしくて消えてしまいたかった。


「ああ、ピンクの可愛いパジャマだったな。半袖短パンなのも夏らしくていいんじゃないか」

「ヒナの馬鹿! 消して! 記憶を消して! 餅つきセットで頭を粉砕して記憶を抹消して!」

「あー、ごめん夜宵。餅つきはちょっと季節じゃないからご遠慮したいかな」

「そうだね。七月だもんね。じゃあスイカ割りで許してあげるから、頭叩き割っておいて!」

「いや、夏と言えば流しそうめんだろう! ああ、今流れた! 俺の記憶はそうめんと一緒に綺麗さっぱり流れて消えた! 夜宵は一歩も部屋に入らなかったし、俺も夜宵の姿は見てない! これでいいか?」


 なんとか記憶の消去は約束してもらえたようだ。

 扉越しに夜宵は声をかける。


「うん、ちゃんと忘れてくれた?」

「おう、忘れたよ。いやー、早く夜宵に会いたいなー。今日はまだ夜宵の顔を見れてないんだよなー」


 白々しいが、忘れる努力をしているなら不問に付すことにした。


「着替えてくるから、待ってて」


 そうして夜宵は一度自室へ戻り私服に着替える。

 その後、再度リビングに戻り、扉を開けた。

 ヒナの姿を改めて見る。

 半袖のワイシャツにスラックスの制服姿。

 初めて家に来た時は冬服だったのに、今や夏服に変わっている。

 そんなところでも時間の経過を感じるのだった。

 まだ夜宵の脳裏には先程夢で見た光景が消えずに残っていた。

 大人になったヒナ。水零と結婚式を挙げているヒナ。

 それを認めたくない自分がいた。


「どうした夜宵?」


 部屋に入ったところで棒立ちしている彼女にヒナが声をかける。

 夜宵はそれに言葉を返した。


「外の空気が吸いたい」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 公園の遊具が夕日を浴びて赤く染まる。

 ブランコに座りながら夜宵は沈黙を守っていた。

 着替えてからずっとローテンションで、今も口を閉ざしている夜宵を心配に思ったのだろう。

 隣に立つヒナは沈黙を破るように声をかけてきた。


「思い出すな、この公園。俺達が初めて会った場所だ」

「そうだね。突然知らない男の子に、ヴァンピィさんですよね、って訊かれてびっくりした。インターネットって怖いね」

「ほんとその節はごめんなさい。そりゃ驚くよな」


 彼に話しかけられ、夜宵の気持ちがほぐれた。

 夜宵はヒナの顔を見上げる。

 優しくて、頼もしくて、カッコいい男の子だ。

 きっと学校では女の子にもモテるんだろうな。


 例えば水零とか。

 水零とヒナはお似合いだと思う。夢で見た結婚式がいつか現実のものになる日だって来るのかもしれない。

 そう思うとなんだかとても寂しくて、やるせなくて、目の前の少年を困らせたくなった。


「ねえ、ヒナ」

「おう、なんだ」


 ようやく夜宵の方から口を開いたことで、ヒナは嬉しそうに先を促す。


「私のお願い、聞いてくれる?」

「おう、なんでも言ってみろ」


 そう言われたからには夜宵も遠慮なく言葉をぶつける。


「リア充は私の敵だから。だからヒナもこれから先、絶対リア充になっちゃ駄目だよ。約束できる?」


 少しは困った顔が見れると思った。無茶な要望を受け、答えに詰まると思った。

 けど、ヒナは間髪入れず返事をした。


「おう、いいぜ」


 予想外の答えに夜宵は声を荒げる。


「どうして? わかってるの? これから先ずっと恋人とか作っちゃいけないって言ってるんだよ!」


 夜宵の反応に驚きながらも、ヒナは困ったように答える。


「どうしてって言われると、夜宵が寂しそうだったからかな。そんな顔されたら我が儘の一つくらい聞いてあげたいっていうかさ」


 そんな、優しい理由を語ってくれた。

 夜宵の体が震える。自分はそんな優しくされるような価値のある人間だろうか?


「私は子供なんだよ。私と同い年の子達が恋をして、青春して、自分を磨いている時に、家でゲームばかりしてる子供で、恋だってしたことなくて、だから」


 いつの間にか涙声になっていた。

 それでも夜宵は、自分の醜さも劣等感も全て吐き出す。


「だから、ヒナにも自分と同類でいて欲しいって! どうしようもない我が儘言ってるだけの子供なんだよ!」


 視界が滲む。

 自分で自分を貶め、蔑み、言ってて悲しくなる。

 もうヒナの顔が見れない。夜宵は俯きながら言葉を紡ぐ。


「ずっと学校にも行かず、家に引きこもってるダメ人間なんだよ」

「夜宵」


 優しい声が、夜宵の言葉を遮る。


「俺はお前をダメ人間なんて思ったことは一度もないよ。

 魔法人形マドールで世界の頂点目指してたお前は最高にカッコいいし、お前の頑張ってる姿はツイッターで昔から見てきた。常に高いレベルに挑戦し続けるお前を見る度に俺はエネルギーを貰ってきたんだ」


 夜宵の涙が止まる。

 いつの間にかヒナは夜宵の正面まで来ていた。

 ブランコに座り、俯いている夜宵には彼の足元しか見えないけど。


「何かを一生懸命頑張ってる人間ってのはさ、周りの人にも活力を与えてくれるんだ。お前は自分で思ってるよりずっと魅力的な人間だよ」

「じゃあ」


 夜宵はフラフラとブランコから立ち上がる。

 そしてヒナのワイシャツを掴み、彼の顔を見上げた。


「じゃあ、もし私が魔法人形マドールをやめるって言ったら、ヒナはそれでも友達でいてくれる?」


 それを聞くヒナの顔は穏やかだ。

 彼は夜宵の言葉を予期していたように問いかける。


魔法人形マドールをやめて、お前は何をしたい?」

「私は、私は」


 夜宵が言い淀む。

 ずっと言いたかった言葉を、彼なら受け止めてくれると信じて吐き出す。


「学校に行きたい! 普通の子と同じように学校に通って、友達を作って、『普通』に追いつきたい!」

「そっか」


 それを聞き届け、ヒナは優しく頷いた。


「ねえ、ヒナ。私が『普通』に追いつくまで、待っててくれる? 先にリア充になっちゃやだよ」

「ああ、待つよ。大事な親友であるお前を、いつまでも待ってる」


 彼の言葉が胸に染みる。

 夜宵は彼の胸にしがみつき、くしゃくしゃの泣き顔を隠すように下を向いた。


「大丈夫だ、夜宵。魔法人形マドールを頑張れたお前なら、きっと他のことだって頑張れる。お前は強い子だから」


 赤く染まった夕暮れの公園。

 夜宵が泣き止むまで、二人はしばらくそのままでいた。

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