第四課 あしたのために その2

 その日から新一は毎日のように通ってきた。

 彼が日課を真面目にこなしているのは、見ただけですぐに分かる。

 五時半起床、洗面、歯磨き、鏡とにらめっこ。それから30分のランニング、腹筋10回、腕立て10回。その後飯を喰い、そして登校。

 ああ、付け加えるのを忘れていた。

 彼には出来る限りエレベーターやエスカレーターも使わず、階段を使う事。走れるところは走り、速足で移動できるところは速足にしろと言っておいた。


 そして、放課後、彼はまっすぐ俺の事務所にやってくる。

 彼によれば、いじめは相変わらずだったが、少しづつ変化は出てきたという。

 

 例えばいつもなら、昼休み・・・・


『おい、関、ちょっと売店でパン買ってきてくれよ。』

『悪いけど僕、他にやらなきゃならないことあるから』

『お前俺達に逆らうのか?』

 そう言って肩を掴み、無理矢理立たせようとした時、いじめっ子の顔をまっすぐに睨む。

『何いきがってんだよ!』と来て、その後はご存じの通りのメニューが来たのに、最近では彼の目を見ると、誰もがビビるようになってきた。


 生徒だけじゃない。

 今まで彼のおどおどした態度を馬鹿にしていた教師せんこう達も、彼のこの『ひと睨み』に圧倒されるようになってきたという。


『先生(新一は俺の事をこう呼ぶ。やめてくれと何度言っても聞かないんだ)が、僕に毎日鏡を見続けろと言ったのはこれだったんですね』と、やけに目を輝かせて言った。

 人間は人の目を恐れる。

 人間だけじゃない。

 動物だって同じだ。

 昔読んだ動物小説に、東北の山の中で熊狩りを専門にしていた猟師マタギが、山の中で熊に出くわした時、腹に力を入れて真正面から熊を睨みつけると、熊の方から目をそらして退散したという逸話があった。


 彼は目がおどおどしていた。

 そうした態度は視線に現れる。

 毎朝鏡に映った自分の顔、そして目、それを毎日真正面に見ることによって目力を鍛える。

 目を逸らさないようにしなければ、相手に負けることはない。

 俺はそう考えたのである。


 事務所オフィスにやって来た彼には、毎日一階から五階の最上階まで、走って上がることを課した。

 足腰というのは人間の基本だ。

 これを鍛えれば、目だけでなく、身体にも自信がつく。

 喧嘩をするにもまず体力だからな。


『君は、本を読むのが好きか?』 

 階段の上り下りを5セットやらせた後で、俺は新一に訊ねた。

『え、ええと、勉強はそれほど嫌いじゃないですけど、本はあまり読みません。漫画をたまに読むくらいで・・・・』

 そういう彼に、俺は、かの剣聖、宮本武蔵が著したところの『五輪書』を貸してやった。

『こいつを毎日少しづつでもいいから読め。確かに書いてあることは難しい。俺だって全部理解出来たわけじゃない。しかし君が逃げずに戦うという道をえらんだなら、この本に書いてあることは必ず生きてくる。それに本を読むというのは、集中力を鍛える事にもなるからな』


 彼はあまり信じていなかったようだが、しかし約束をしたんだ。

『俺の言葉には疑問や質問は一切挟まない』ってな。


 次の日から、俺の所に来る彼は、明らかに変わって来た。

 当り前だが、俺は学校に行ったわけじゃない。

従って学校での様子は新一の言葉から判断するしかないのだが、彼は自慢するでもなく、気負う訳でもなく、淡々と話してくれた。


”パシリ”が無くなったのは、前にも話した通りだが、呼び出しとやらを喰らってもはっきりと、

『嫌だ』と断ると、それ以上何もしてこなくなったという。

『これも先生のお陰です』彼が感謝の言葉を述べようとすると、

『頼むから、その”先生”ってのは止してくれ。俺は君に雇われているだけであって、子弟の契りを結んだわけじゃないぜ。じゃ、今日も始めようか。まだまだ始まったばかりだぜ』

 そう言って苦笑しながらいつもの日課に入った。





 

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