思考の旅

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思考の旅

 編集部から送られてきたメールを開いて、私は朝から仕事にかかる。

秋の特別号の巻頭に掲載される旅紀行文の作成だ。


 紀行文というと、実際に現地に飛んで写真を撮影しながら

道中の様子を文にまとめるルポライティングの仕事が多いが、

当編集部にはそのようなスタイルは望まれず、

カメラマンとディレクター、そして専属女性モデルが

現地で撮影してきた記録を元に、遠く離れた自宅のパソコン部屋で

さもモデル本人が書いたかのような文章を書いて雑誌に掲載している。


 毎度毎度ディレクターの曖昧な雑誌の方向性、そしてモデルが書いた

意味不明な謎の日記もどき、そしてカメラマンによる数十枚の写真だけを

手がかりに、私は頭の中で現地の情景を文章にまとめる。


 今回は穴場の観光地を廻って、寂れた温泉宿や、昭和の時代には

繁盛していたであろう景勝地の風情を楽しむ企画となっていて、

モデルがローカル列車に乗って各地を巡る旅になっている。

実際はカメラマンが出した車に乗って移動していて、

駅で車両の写真数枚を撮影した後は、最短ルートで各地を回る強行軍だ。


 編集部も金をケチっているものだから、旅館で出された豪華な料理も一人分。

夜は居酒屋で専属のメイクさんを入れた4人ご飯を食べるという貧乏旅行だ。

まあモデルは30代後半の少し歳を食っているとはいえ、

美人さんには違いないのだから、例えば私のように自宅のパソコンの前から

一歩も動かずに仕事している貧乏ライターからすれば

美人と旅行などとは羨ましい限りではあるのだが。


 かくいう私は将来的には小説家になりたいと考えていて、

単に仕事をするというよりも、少しでも文章を書いて生計を立てたいと思って

始めたゴーストライターではあるが、

日々の仕事に追われて自作小説の筆は進まないし、

このまま業界の隅っこにぶら下がって定年を迎えるのかもしれない。


 こういう仕事は夢を食べながら生活する程度の職業であるのだから、

気分だけでも旅行した気になって、私は日本各地を廻る旅人と

いえないこともない。原稿料も雀の涙ほどだから、

私はほとんど趣味で仕事をしているようなものだ。

そんな自嘲に近い感慨を持ちながら、今日も私は写真に目を通した。


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 山間部の小さな木造の駅に停車した特別列車。

観光用なので、内部では軽食も給事される立派な車両だ。

wikiで駅周辺のストリートビューを確認し、

写真に写っていない小さな路地裏の様子などを文章に組み込みながら

淡々と文章を書き進める。


 メールで送られてきたデータの中には、ディレクターが厳選した

写真の他に、別フォルダで雑多な写真が数十枚送られてきている。

ボツになった写真の中にも、時々面白い風景が写り込んでいたりして

採用された写真よりも多くの情報を私に与えてくれる。


 一応私はこのモデルになりきって書かなければいけないのだが、

ボツ写真の中に気になるものを見つけた。

帽子の縁を指で掴み、山を見上げる彼女の手首にかすかな傷を見つけたのだ。

写真への指示には「手首、傷ケス」と、デザイナーへの指示が書かれており

その場所から推測するに、これはリストカットの後であろうと思った。


 そういえば先日編集部にお邪魔した際、デザイナーの一人から聞いた事だったが

彼女はモデルになりたくて長い間苦労していたようで、

人に言えぬ悩みもあるのだろう。

確か彼女のモデル料もせいぜい2日で2万円くらいだったと思う。

彼女もまた、私と同じように夢を食べて生きているのだな。


 そんな親近感を覚えた時から、写真に写る彼女の表情に何かしらの苦悩を

感じ取り始めたのは不思議なものだ。

パソコンで彼女の表情を拡大してみたら、それまでは5つくらい歳上の

30代後半だと思っていたモデルが、実はおそらく自分と同じくらいなのではないかとの疑問が浮かんできた。これはシワではない、睡眠不足のクマだ。

化粧で誤魔化してはいるが、あまりいい日常を過ごしてはいないのだろう。


 もちろん掲載される写真の顔は画像修正で目のクマも消えてしまって

若々しくも大人びた女性として雑誌を飾るわけではあるが、

舞台裏を覗くようなこの仕事も因果な商売ではある。


 旅も中盤に差し掛かると、流石に西陽が各写真に差し掛かってきていて、

モデルが温泉で入浴するシーンの向こうに美しい夕陽が周囲を赤く染めている。

私は懸命にその情景を思い浮かべ、彼女の中を通して夕陽をみる。


『山々の間に沈みゆく夕陽が湯面に反射して、

都会の四角い空では味わうことのない幻想的な風情に、

私はこの旅で出会った人々や自然に改めて深い感謝を覚えた』


 ありきたりではあるが、キャプションとしてはまずまずな文を書き終えた。

この後旅館では豪華な刺身料理などが出てくるのだが、

海のないこの地方に海の魚を料理するとして、

果たしてどの程度のものなのか非常に怪しいものだが、

彼女は美味しそうな表情を浮かべて料理を堪能しているように見える。


『美しい料理の中に細やかな心遣いが感じられるラグジュアリーな夕べ』


 私はこの『ラグジュアリー』などという怪しい言葉が嫌いであるが、

編集長がこの手の不可解な単語を大変気に入っており、

毎回必ず使うようにしている。果たしてこんな言葉が

読者の胸に響くものなのか疑問であるが、仕事だから仕方がない。

モデルもまた、さして美味くもない料理をさも美味そうに食べているではないか。

彼女もまた仕事と割り切ってたくさんの事を飲み込んでいるのだろう。

写真には「料理もっと美味しそうな色に、赤味足す」と書かれていた。


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 翌日は近隣の美術館でガラス細工の見学や、ガラス工房での制作体験などを

記事にまとめる。涼しい顔をしているが、モデルさんが立っているその部屋は

摂氏35℃の非常に暑苦しいところなのだ。

涼やかな顔のいたるところに流れる汗が痛々しい。


 そういえば去年の「山歩き特集」では、涼しげな服装で撮影が行われていたが

写真に書かれたディレクターの指示書には「トリハダヲケス」と書かれていた。

モデルの仕事といえば聞こえはいいけれど、実情はこんなものなのだろう。


 私も初めて自分の記事が雑誌に掲載された時、その雑誌を買って実家の家族に

見せてとても喜ばれたが、彼女もまた「私はモデルをやっている」と言う

矜持のために、こんなきつい仕事をやっているのかもしれない。


モデルもカメラマンもライターもデザイナーも、ある意味肉体労働者なのだ。

皆一様に夢だけを支えにこの仕事を続けている。

いつか芽が出ることを夢見て戦っているんだろう。


 次の写真では、できたばかりのグラスにレモネードが注がれて

山々の見えるテラスでモデルさんがくつろいでいる。

何気ない写真であるが、先程までの熱気を考えると、

このレモネードがさぞ心地よく喉を潤しただろうと想像し、

彼女の笑みに少し安らいだ表情を汲み取れた。


 恐らくはこの自然な表情は意図してできたものでは無いだろうが

その一瞬の安らぎを捉えたのはカメラマンの腕によるものだろう。

事情を知らない読者であってもこの写真には惹かれるだろうなと思ったら

この写真がそのまま表紙写真に選ばれることになっていた。

前日のどの写真よりも、彼女が輝いて見える最高のショットと言える。


 旅の終わりに湖畔を歩くモデルさんが写っている。

私はこの「思考の旅」の締めくくりに

『歩こう、追憶のほとりを』とのコピーを付け加えた。

こうして私の『旅』は終わりを告げる。

そして来月はまた別の場所へ「思考の旅」を巡らすのだ。


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 久々に編集部へ足を運ぶ。

担当デザイナーの吉岡さんとカメラマンの内田さん。

ディレクターの亀山さんと4人で顔を合わせる。


 吉岡さんは席に着くなり、

「早川さん。先月号の僕の編集後記見ましたよ。ひどくないすか」と

笑いながらも不満を鳴らした。


 実は雑誌の巻末にある編集後記で、各編集者の一言メッセージが毎号掲載されているのだが、あまりに作業が多くて各編集者が一言メッセージを書く余裕がなく、

締め切り前の連日の徹夜で疲労困憊の編集部を哀れに思った私が

「私が代わりにみんなの編集後記代筆しましょうか」と名乗り出たわけだ。


『先月号の映画特集の大作を映画館で見てきました。

 今度は誰かと一緒に行きたいな(涙)』


『仕事が忙しくて帰れなくなり、3日間パンツはいたままです。

 休みの日は爆睡のたかちゃんです』


『先輩から飯を奢ってもらいました。三杯お代わりしたら先輩がプルプル

震えながら笑っていました。来月僕が消えていたらお察しください』


 などなど毎号複数人の代筆を書いているうちに面白くなって

色々なキャラクターになりきって書いていたのだから

吉岡さんも心外に思ったのだろう。


 吉岡さんは22歳、専門学校を卒業したてというけれど、

早くもメインのデザイナーになっている才能豊かな若い男の子だ。

別にお姉さんぶっているわけではないけれど、

家にも帰れず職場で何日も寝泊まりしている若い男の子をみると

からかってあげたい気分になったのも事実だ。


「あー。先々月にほら、自宅に帰れなくて洗濯物が濡れたまま

洗濯機の中ですごい匂いになってたって言ってたんでつい・・・」

私が弁明するとみんなが苦笑する。


 ディレクターが「先月のファッションアカデミー特集は良かったよ。

編集長も早川さんにお願いしてよかったって大喜びで」と話題を変える。


 それは先月号に掲載されたファッションアカデミーという

若いモデル志望の女の子が書いた何語かわからない文字の羅列を

それなりに読める文章に編集した仕事だった。

ほとんど8割方私が書いたので、原文はほぼ消滅しているのだけれど。


「ところで今から編集部で先月号の懸賞の当選発表やるんですけど

二人とも良かったら参加しませんか」唐突にディレクターがいう。

雑誌に掲載されたお店やブランドショップから、毎号いくつかの

プレゼントが提供されているのだが、読者が少ない雑誌だけに

応募が少なく、毎回ブランド品の懸賞が余るのだという。


 そう広くもない編集室で編集長が大声で叫ぶ。

「では次のこのドルチェアンドガッバーナの香水をかけてじゃんけんしまーす」

編集部全員と私たちゲストも参加して編集部でみんなが片手をあげて

じゃんけんを始める。なかなか滑稽な瞬間だ。


 この香水は最近歌に歌われている関係で、

私がさもイタリアに取材したかのような特集記事を掲載しているが、

全部ネットで調べて適当に書き加えた無茶苦茶な記事だったと思う。

写真も有料サイトから購入した写真で構成されて

見た目にはイタリア取材したと言わんばかりのふざけた仕事だった。


 結局香水は20歳の先日入社したばかりというデザイナーの男の子がゲットし、

私はグランドホテルディナーのペア食事券を手に入れることになった。

個人的にはバッグがもうボロボロだったから、バレンシアガの

ハンドバッグが欲しかったのだけど、最初じゃんけんですぐさま敗退したので、

まだしばらくはブランド雑誌の景品でもらった帆布のバッグで

我慢することになるだろう。


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 懸賞品をかけてのお祭り騒ぎがひと段落し、

次の仕事の打ち合わせが始まった。

毎回若手のお笑い芸人たちによる突撃取材の文章を編集する仕事だ。

「この芸人さんの二人、まだ私知らないんですけどなんて名前なんですか」

私が聞くと、デザイナーは首をかしげる。


「実は僕もこの芸人知らないんですよね。多分売れない芸人をまた

 社長が無理やり引っ張ってきてタダ働きさせてるんですよ」


「え。タダなんですか。報酬はあげないの・・・」


「ええ、まあ社長が言うには『お前ら芸人は顔が売れてナンボだろうが。

タダで使ってやるんだからむしろ金はこっちがもらいたいくらいだ』とか

言ってて・・・」


 まあよく聞く話だけれど、実際にそう言うことを聞いて

あまり気持ちいいはずもない。

なんだかんだでこう言う社長が世の中をデフレに突入させてるんだろうなと

少し彼らに同情してしまった。確かに彼らの書いた文章は稚拙なのだけれど

彼らもまた「夢を食べて生きている人種」なのだろう。


 いろんな人たちの夢を吸い上げながら、この雑誌は出来上がる。

とはいえ、果たしてこの雑誌にはそれだけの価値があるのか、正直自信はない。

願わくば、購読した読者たちの中に、

その幻想を共有してくれる人がいることを望みたい。

今この編集部にいる誰もが、自分の夢を食いつぶしながら

この雑誌を生み出しているのだから。


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「あ、そういえばこないだもらった写真の中に一枚だけ

どこにも説明のない写真が紛れ込んでたんですけど」

私はそう言ってスマホでその画像をみんなに見せた。


「これは・・・・ええ。 どこで撮ったのかなこれ」

カメラマンも首をかしげる。


 ボツ写真フォルダに入っていたオフショット写真なのだが、

ディレクターもカメラマンも覚えがないらしく、

「恐らくは前にどこかで撮影した写真が一枚残っていたんじゃないすかね」

というカメラマンの一言で話は終わってしまった。


 しかし、このどこで撮影されたのかわからない写真に私はとても興味が湧いた。

写っているのはモデルとメイクさんが談笑しながらメイクを行っている場面だが、

その後ろに広がる山々の間に、紅葉で赤く彩られた小山が写っていて、

まるでそこだけ燃えるような鮮やかさだった。


 オフショットは毎回巻末の編集後記に挿入されるために撮影されるのだが、

今回は名物の草団子を頬張るモデルさんのキュートな笑顔が採用されていて

この写真の行き場は無くなっている。


 ただ、この景色に目を向けているモデルさんの表情が、いつもより優しげで

私はいい写真だという感想を持った。


 そういえばここ数年遠出というものをしていない私だったが、

都内から電車で3時間というこの温泉街に、少し惹かれていたのかもしれない。

この仕事がひと段落したら、少し出かけてみよう。

うまくいけば、この景色に出会えるかもしれないから。(終わり)

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思考の旅 あん @josuian

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