第2話「充電中」

 受けた仕打ちを何倍にもして返す銀行員のドラマが最終回を迎えてほっとした。


 銀行って本当にあんな組織なのかと何回も訊かれるし、関連会社に出向中の自分に向けられるのが、まだ若い女の子なのに何をやらかして飛ばされたんだろうという好奇の目ばかりに思えて仕方がなかったから。


 今週から忙しくなりそうだったので、仕事に集中する為のタイミングとしてはちょうどよかった。


 そんなことを思っていると、朝、エレベータの前で岩戸さんに会った。


「おはようございます」


「おはよ」


 法務畑一筋の岩戸さんは父親ほどの年齢。人当りの柔らかい温厚な人だ。経験の浅いわたしにも嫌な顔をせず丁寧に教えてくれる。何かと理屈ばかりこねて身体を動かすことをいとう法務課員が多い中にあって、徹底した実務派であることもありがたい。


 ここは銀行の建物ではない。一般の会社がいくつか入居しているテナントビルだで、その7階と8階の2フロアを占めるサービサーが今のわたしの勤務先だ。3年前に入行した銀行の100%子会社で、従業員はほぼ銀行OBと銀行からの出向者で占められている。


 業務は親会社である銀行からの受託債権の管理回収業務が大半だが、一部で外部債権の買い取りや受託も行なっている。


 わたしのいる営業第一部は親会社の銀行債権を取り扱う部署だ。


 他社の人もいたエレベータを7階で降りたところで、やっと案件の話ができた。


「あの件、そろそろですよね」


 賃貸マンション建築資金の返済が長く滞っている案件だ。債務者が折衝の席に着かない為、やむなく競売の前段階として賃料差押に踏み切った。昨日までに四十戸ほどの入居者全員にその通知が届いているはずだ。簡単に言えば家賃を大家ではなく銀行に払えという内容である。我が身に降り掛かって来たと考えるとけっこう面倒な話だろう。


「今日あたり、受け取った入居者から電話が架かって来るかもね」


 私のIDで扉を開けて、そう言う岩戸さんを先に通した。


「どう対応すればいいですか」


「そもそもは延滞した大家が悪いんだけど、入居者を面倒に巻き込んだのは銀行うちでもある。だから、申し訳ございません、ご面倒おかけします、宜しくお願いします。そういう対応がいいと思うよ」


「分かりました。何かあったらまた相談させて下さい」


「頑張って」


 債権回収会社のことをサービサーと呼ぶことさえ知らなかったというのに、銀行の法人営業部からサービサーへ出向の辞令を受けて半年が経った。


 何で私がと驚愕の人事だったけれど、同期の菜緒から「あんたが部長の誘いを断ったからだ」と言われた方が驚きだった。全く身に覚えがない。「あんたはいつもそう。天然で平和だよね。それじゃセクハラでもパワハラでも訴えられないじゃん」と呆れられた。


 席に着くなり、電話が鳴った。

 外線を率先して取るのは、サービサー こ こ で断トツに若手の私の役目でもある。


『西片っておるか』


 私だ。きっと例の案件だ。


 問題の物件は老朽化が進み、競合物件も増えた為に入居率が低迷。賃料値上げは論外だし、入居を募る為に賃料を下げれば、既存の入居者からも下げろと迫られる。不動産鑑定によれば物件を売却しても借金が相当残ってしまう。正に二進にっち三進さっちもいかない状況だ。せめて競売を避けて任意売却した方が高く売れるはずだが、話を聞こうとしない大家は恐らく思考停止状態だ。賃料差押は競売ありきではなく、任意売却に同意させる狙いがあった。


 私が担当者だと分かると電話の主、河本さんは声を荒げた。


『どういうことや!』


 関西出身らしい。


「実は」


 説明しようとしたがさえぎられた。


『読んだら分かることはええねん。何でそっちの言いなりに家賃を振り込まなあかんのや』


 岩戸さんのアドバイスを思い出して言葉を選ぶ。しかし。


「ご面倒をおかけ、」


 最後まで言わせてもらえない。


『だから、何でそんなことせなあかねん言うてんねん。わしはちゃんと家賃はろてるんや。何も悪いことしてないのに何で面倒なことをせなあかんのや!』


 こんな場合どう対応すべきなのかも聞いておくんだったと後悔が芽生えたとき、相手の方から選択肢が提示された。


『お前が取りに来るんが筋とちゃうんか』


 なるほど。


「上の者と相談いたしますので、お時間をいただけますか」


 折り返し電話をするということにして一旦置いた受話器を、またすぐに取って内線で岩戸さんを呼び出した。


『受け取りに行くしかないね。かたが付くまで毎月伺いますって』


「分かりました」


『一人で行っちゃだめだよ。誰か先輩に一緒に行ってもらうこと』


「課長と話してみます」


 結果、課長が法務課と話をつけてくれて、何か言われてもすぐ対応ができるよう、初回は岩戸さんが一緒に行っていただけることになった。


「この度は」


 玄関先で頭を下げると、河本さんは意外にも優しかった。


「ご苦労さん。あんたらも大変やな。借金返さへん大家が悪いのに、面倒なおっさんの相手せなあかんのやから」


 入居者の多くは銀行よりも大家の方に苦情を言ったようで、大家はあっさり任意売却に同意した。


「意地っ張りで悪いけど、来月からも集金に来てや」


「あらかじめ電話をさせて頂きます」


「そうして。ほなな、お嬢ちゃん」


 帰り道、岩戸さんにも頭を下げた。


「お忙しいのにご面倒をおかけしてすみませんでした」


「僕は外の空気が吸えて良かったよ」


「ありがとうございます」


 若い女の子はそれだけで得だと言われる。男ならそんなに優しくしては貰えないと。そうかもしれない。でも、そんなことで申し訳なく思ったり卑屈になったりはしない。男は男で、男だからこそ得をしている部分が沢山あると思うから。


 本件は特に良い経験になった。知識も増えた。少しだけ度胸もついた。いつまでも若い女の子ではいられない。本当の武器は知識と経験と度胸。早くそれぞれのパワーゲージをMAXに近づけられるように頑張って、岩戸さんや課長に恩返しをしよう。そんなことを思った。



第2話「充電中」 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

債権回収というお仕事 西乃狐 @WesternFox

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ