60.シャングリラ

 冬も深まってペルレアルの街も、毎朝の雪掻きが日課になった。

 ここよりも北の王都では身の丈以上の雪が毎日積もって大変らしいと、馴染みの店主が教えてくれた。相変わらずティラミス推しらしいけれど、今日は温かいココアを買う事にした。

 ラザフ平原に向かう道を歩くわたしの隣では、ラルもカップを傾けている。そのカップからは、コーヒーの香りが雪の降る空へのぼっていった。


「やっぱり冬になると採取も中々出来ないね。ラルのおかげで冬の間は働かなくても済むけど、働かないで怠けているのも嫌だなぁって感じ」

「魔獣討伐の依頼は多いみたいだけどねぇ。こうしてのんびりした仕事でもいいんじゃない?」

「その分、春から頑張ればいっかぁ」


 それもそうだと頷いたわたしは、薄曇りの空に両手を向けて大きく伸びをした。


 今日はギルドから依頼されての採取任務だ。

 染色に使う実が不足しているらしい。その実は通年採れるものだから滅多に不足しないんだけど、何でもその鮮やかな紅色が社交界の間で流行っているらしい。舞踏会では皆揃って紅色のドレスを着ているらしいけれど……うぅん、それもどうなの。



 やって来たラザフ平原もすっかりと雪景色。

 真っ白な雪の上に、動物の可愛らしい足音が刻まれている。その足音を目で追いかけるとその先の木の上で灰褐色のリスが駆け回っている。


「ベニソヨの実を集めるんだよね?」

「そうそう。集められるだけ集めてほしいって言われてるけど、そんなにあるかなぁ」

「出来るだけ探してみるしかないねぇ」


 そう言いながら、ラルは早速見つけたようだ。木の下で、雪を避けるようにして葉っぱを広げる緑が見える。葉っぱの縁が波打った独特の形に、ピンポン玉くらいの大きさもある真っ赤な実。


「のんびり探そうって言いたいところだけど、早く帰ろう」

「何かあったっけ?」

「何もないけど、あまり寒いところにアヤオを居させたくないんだよねぇ」

「過保護め」

「大事だから仕方がないでしょ」


 軽口を返すけれど、そう言われて嬉しくないわけがない。緩む頬を誤魔化すようにマフラーを鼻の上まで引っ張った。

 さてさて、わたしも探しますか。



 平原からその隣の森まで足を伸ばす。

 手にした袋はもういっぱいになったけれど、ラルの袋はそれ以上にぱんぱんに膨らんでいる。しかもそれを三つも持っているものだから、わたしは何だか笑ってしまった。


「ラル、もうそろそろいいんじゃない?」

「そうだねぇ。ちょっと取りすぎたかな」

「ギルドは大喜びだと思うよ」

「じゃあ明日はゆっくり休めるねぇ」


 赤くなった鼻先を手の甲で擦ったラルから袋を受けとる。マジックバッグにそれをしまうと、空いた手はラルに捕まってしまう。手袋をしていて温もりは伝わらないけれど、指を絡めて繋ぐだけで胸の奥が暖かくなるのだから不思議なものだ。


 遠くで三つの鐘が聞こえた。

 夕方にはまだ早いけれど、日が沈むのはとても早い。今から帰らないと、街に戻る頃には暗くなってしまうだろう。


 採取に夢中になっている間に、雪は止んで晴れ間も見えていたらしい。

 見上げた空は金色と群青色、流れる雲は薄紅色に染まっていてとても綺麗。


 わたし達はその空の下を歩き出した。手を繋いだまま、のんびりと。



「オレさ、里をこれからどうしていくべきか考えてて」

「うん」


 わたし達の影が雪の上で青く伸びる中、不意にラルが言葉を紡いだ。


「守るべき民もいない、名ばかりの族長だけど。それでもこの指輪を受け継いだ者として、里をあのままにしてはおけないと思うんだ」


 穏やかだけど力強い声。ラルに顔を向けると、お揃いのピアスが夕陽に煌めいているのが見える。


「あの里には命を落とした皆が眠っている。その遺体を弔う事は出来ないけれど、皆の魂が少しでも安らぐように……あの里をひとつの墓にしようと思うんだ。瓦礫をよけて、あの里を花で満たして、結界を張って。何にも荒らされず、守っていきたいと思ってる」

「……うん、いいと思う」


 そう話すラルの横顔は、決意に満ちていた。

 ラルはこれからの事をしっかりと考えている。それなら、わたしは? わたしはこれから何をするべきなんだろう。


「これから、か……」


 小さく呟くと、手をぎゅっと強く握られる。青藍の瞳に見つめられて、胸がぎゅっと締め付けられた。

 これから何をすべきなんて、きっと心は決まってる。それを認めるか、認めないかだけなんだ。


「わたしは……もう元の世界には戻れない」

「……うん」

「元の世界に戻れないし、元気でやっている事を伝える事も叶わない。家族がもしかしたら苦しんでいるかもしれない中で、わたしだけこっちで幸せになるのはいけない事だって思ってた」

「それは――」


 目を瞬き、きっと否定の言葉をくれるだろうラルの声を、わたしは首を横に振る事で遮った。


「でもきっと、家族はわたしに無事でいてほしいと思っているよね。わたしも、家族には幸せであって欲しいと思ってる。忘れて欲しいわけじゃないけど、幸せで笑っていてほしいって」


 足を止めたわたしにつられて、ラルも歩みを止める。ラルと向かい合って、わたしはその頬に手を伸ばした。指先で目元の泣きぼくろに触れても、ラルはわたしの好きなようにさせてくれる。


「ラルと一緒に、この世界で生きていきたい」


 そう思えたのは、ラルと出会えたから。ラルが居てくれたから、この世界で生きる覚悟が出来たんだ。


 くしゃりと泣きそうに顔を歪めたラルは、わたしの腕を強く引っ張って抱き締めた。ぎゅうぎゅうに抱き締められて苦しいのに、心が満たされていく。


「オレはアヤオを絶対に離さない。幸せにするって、誰でもなくキミに誓うよ」


 それじゃまるでプロポーズだ。そう言って笑いたいのに、溢れてくるのは涙ばかりで言葉にならない。だから何度も頷いた。しがみつくように抱き着いた。


 少し体を離したラルが、手袋をした指先でわたしの涙を拭っていく。


「里を花で満たすのと一緒にやっていきたい事もあるんだ」

「なに?」

「アヤオは家を建てたいんでしょ? 任せてよ」


 どうしてそれを知っているのか。

 でもそれは……自分の確かな居場所シャングリラが欲しかっただけ。わたしは鼻を啜ってから少し笑った。


「ラルが一緒に居てくれるなら、家を建てなくてもいいんだ。わたしは、自分の居場所が欲しかっただけだから」

「……何でそんなに可愛い事言うの。無理、ちょっと早く帰りたい」


 溜息をついたラルの瞳が色を濃くしていく。何がと問い質すよりも早く、わたしの体はラルによって横抱きされていた。その背中には大きな翼が現れている。


「掴まって」

「飛んでいくつもり? だめだよ、目立っちゃう」

「街の側でしまうから大丈夫」


 そう言うとラルは勢いよく飛び立ってしまう。わたしは慌ててラルの首に両腕を絡めた。



 薄く月が輝き始めた空と同じ、青い瞳。地平を染める太陽のように赤い髪。

 美しい夕暮れ空はまるでラルそのもののよう。わたしはラルの首元に顔を埋めるとベルガモットの香りを大きく吸い込んだ。


「大好きだよ」


 囁き声が聞こえていたのか、ラルの腕に力が籠る。

 首元から顔を上げたわたしは、青藍の瞳に囚われてしまった。


「愛してるよ」


 睦言に恋心は深まるばかりで、今にも溺れてしまいそう。



 この世界で生きていく。

 諦めでもなく、そう選んだ時から、この世界が輝いて見えた。

 様々な世界が集う場所で、この美しい空の下で、わたしは彼と生きていく。


 空が夜へと色を変えていく。空に近い場所でその色を眺めながら、愛しさに包まれているのを感じていた。

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空翔ぶシャングリラ 花散ここ @rainless

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