34.名前
深呼吸を何度か繰り返したラルは、わたしの手をぎゅっと握る。神父様の前でする事ではないかもしれないけれど、大目に見てもらおう。
「この二人は、自分の祖父母です。祖父はザームート・エクリプス・フォン・ルプス。祖母はデルハンナ・フォン・ルプス」
テーブルに身を乗り出したラルは、二枚の紙を指で示す。神父様はその紙に、ラルが告げた名前を記していった。
「この双子は……この、目が青い方がアザレア。緑の方がカルミア。この男性はユージム。こっちの男性がグレイリー。女性はスージット」
「分かりました。すぐに手配をして、名前を残しましょう」
「ありがとうございます」
一気に名前を告げたラルが、ふぅと大きく息を吐いた。冷めてしまったお茶に手を伸ばし、カップに口をつける。わたしも同じようにお茶を頂く事にした。どことなくスパイシーな香りが鼻から抜けていく。口に残る仄かな甘味は蜂蜜だろうか。
書類をひとつに纏めて、テーブルで端を揃えた神父様が気遣わしげに眉を下げている。
「辛い思いをしましたね」
「いえ……自分はその時の記憶がないものですから。それより、祖父母らを弔って下さって感謝しています」
「この世界に生きる全ての者は女神の子。彼らの魂が女神の元に在るよう、これからも祈り続けましょう」
神父様は胸に手をあて、祈りの言葉を捧げている。
詠唱にも似た文言は美しい響きをしていた。
「皆さんは裏手の墓地に眠っておられます。参られますか?」
ラルがわたしを伺い見る。頷くとほっとしたように目を細めた。
何を心配しているのは知らないけれど、もちろんついていくつもりだった。寄り添うと決めたのだから。
神父様に案内されて裏手に向かう道すがら、わたしは腰に下げていた空間収納のポーチにそっと手をやっていた。
今にも雨が降りだしそうに、雲が厚くなっている。濃灰色の低い空は流れる事もなく、雨を落とすタイミングを測っているかのようだった。
「こちらからグレイリー殿、スージット殿、ザームート殿、デルハンナ殿、アザレア殿、カルミア殿、ユージム殿の墓になります」
神父様が手元の書類を見ながら教えてくれる。
七つ並んだお墓は変哲もない石造りのもの。装飾も名前もない。
神父様は胸に手をあて一礼するとその場から去っていった。
ラルはお墓の前に片膝をつくと、胸に手をあてた。その瞳が悲しみに揺れている。
「ラル、あの……これ」
わたしは収納ポーチから、花冠を取り出した。両手に乗るくらいの小さなものを、七つ。キリアさんに相談して、用意しておいたお供え用の花冠だ。
「……用意してくれていたの?」
「うん……ラルに言わないでいたのは、ちょっと申し訳なかったんだけど」
一応用意をしておいた方がいいかと思ったのだ。お墓参りの前に、お花屋さんに寄る時間があれば、ラルに好きなものを選んでもらうつもりでいたのだけど。
ラルは眉を下げたまま、ふっと笑った。
「ありがとう。……気が回らなかったから、正直なところ助かる」
わたしは頷くと、お墓に一つずつ花冠を供えていった。冷たい風に花が揺れる。
ラルの隣でしゃがみこみ、両手を合わせる。ラルもまた、お墓に向き合い祈りを捧げ始めたようだ。
わたしは、ハルピュグルの里を知らない。
ここに眠る七人の事も知らない。
それでも、彼らの魂が安寧でありますようにと祈らずにはいられなかった。
ぽつりと頬に雨があたる。
その冷たさに肩が跳ねて目を開けると、ラルも空を見上げていた。
ぽつぽつと雨が世界を濡らしていく。わたし達も、伸びる影も、目の前にある物言わぬ石も。色が塗り替えられていく様は、何だか寂しい。
「……降ってきたねぇ。行こうか」
「うん」
差し出された手に、自分の手を重ねる。相変わらず冷たいけれど、わたしの手も冷たいから何も言う事なんて出来なかった。
雨宿りをしていけばいいと言ってくれる神父様に礼を言って、わたし達は教会を出た。収納に入れておいた傘が役に立っている。
旅荷物も全て収納に入れてあるから、身軽に動けるのは楽ちんでいいな。わたしは小さなバッグを肩に掛けているだけだ。
ひとつの傘にふたりで入る。
ラルが持ってくれているけれど、わたしの方に傾けるから、それではラルが濡れてしまう。真ん中で持つよう何度も繰り返し直していたら、ようやく諦めてくれたようだ。
「じゃあ帰ろうか、ペルレアルに」
人通りの少なくなった道を歩きながら、ラルが優しい声で言葉を紡ぐ。確かにまだお昼前で、今からラルに飛んで貰えば夜には帰れるだろう。
しかしわたしは首を横に振った。
「ううん。今日も泊まって、明日帰ろう」
わたしは片手を傘の外に出して雨を受けた。静かな雨は音を奪っていくようだ。
「来る時みたいに風魔法を使って貰えば濡れないよ?」
「わたしはね。でもラルが濡れちゃうでしょ」
「オレは平気だけど」
「わたしが嫌。急ぎの仕事もないし、ゆっくりして行こう? 最初の予定では、まだ移動中だもの」
確かに、とラルが笑う。
笑いながらさりげなく傘を傾けてくる。その持ち手を真っ直ぐにしながら、わたしも笑った。
「ラルはどこか見たいところはない?」
観光気分ではないだろうけど、敢えて明るく問い掛けた。
ただでさえ色々考え込むだろうに、この雨だ。気持ちが更に沈んでしまうかもしれない。
「といっても雨だしねぇ。とりあえずお昼ごはんを食べようか。アヤオは何が食べたい?」
「うぅん……お店を見ながら決める」
「いいね」
お互いが、空元気だと気付いている。
それでもそれに突っ込むような野暮はしない。傘の下で笑い合って、何でもない風を装って。
雨はやまない。
静かに、世界を満たしていく。
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