33.冷たい手、震える声
次の日の朝、宿を出て見上げた空は薄曇り。
陽射しがないだけなのに、寒さが厳しくてカーディガンの前をきゅっと合わせた。
王都はペルレアルの街よりも北西に位置している。やっぱり北に位置しているだけあって寒いのかもしれない。王都で暮らしていた時は気にならなかった寒さだけど、ペルレアルにすっかりと慣れて……いや、王都で暮らしていたのは夏だったから、寒さを知らなかっただけか。
一人納得してうんうん頷いていると、傍らを歩くラルに笑われてしまった。
「ころころ表情が変わって可愛いねぇ」
「子どもみたいって言ってる?」
「言葉通り受け取ってくれていいんだけどな」
肩を竦めるとまたラルが声を殺して笑った。
それ以上何を言ってもラルのペースに巻き込まれるだけだ。それを知っているわたしは意識して顔を引き締めて歩く事にした。
さすが王都というべきか、人が多い。
歩いているのは第四層だから余計に人が多く感じるのかもしれないけれど。市場では冒険者らしき人達が装備を整えているのも見える。
店先で子どもが遊んでいると、それを見守るようにストールを頭に被ったお婆ちゃんが日向ぼっこ。賑やかで可愛らしい風景が広がっていた。
ふと隣のラルを見上げる。
うなじから垂らす赤毛の三つ編みは今日もわたしがしたものだ。青藍の瞳はいつもと変わらず穏やかで……でも、何だか違和感があった。
「……はぐれたら困るね」
そう口にしたわたしは、それが言い訳めいた響きを持っている事に気づいていた。それがラルに対してのものなのか、自分に対してのものなのかは分からなかったけれど、気づかない振りでラルの手を握りしめた。
冷たい。
表面的なものじゃなくて、芯から冷えているような冷たさがあった。
「はぐれても絶対に見つけられる自信はあるけど、はぐれないに越した事はないもんねぇ」
指を絡めるようにしっかりと握り返してくれる。手の冷たさはラルも気づいているはずなのに、それに対しては触れてこない。だからわたしも何も言わなかった。わたしの熱が早く溶け込むようと、強く手を握り締めるだけで。
きっとラルは緊張しているのだろう。わたしだって緊張している。
目的地は――教会。そこに埋葬されているハルピュグルの話を聞く為に。
教会は第二から第四層まで複数存在しているが、わたし達が向かうのは第四層にある教会。レグルスさんが地図をくれているし、話も通してくれているらしい。
第四層でも市場や冒険者ギルドからは遠く離れた地区。住宅街や幼い子どもが通う学校がある区域にその教会はあった。
薄いピンクの壁に、テラコッタの煉瓦で出来た屋根。
扉上には国教である女神教のシンボルであるマークが飾られている。神殿では主に祭事を、教会では結婚や葬儀などの慶弔事が行われている……はず。アカデミーではもっと深く教えて貰ったはずなんだけれど、使わない知識はどんどん錆び付いていくようだ。
白く大きな両開きの扉は開け放たれていて、信者らしき人達が穏やかな様子で出入りをしている。
前庭では紺色の修道服を着たシスターや子ども達が、大きな箒で掃除をしていた。教会は孤児院を併設しているところも多いけれど、ここもそうなんだろう。
「おはようございます」
教会に近付くと、扉の側にいたシスターがにこやかに声を掛けてくれた。
「おはようございます。あの、ペルレアル管理院からの紹介で来たのですが……」
「まぁ随分と早いお着きでしたね。お話は伺っていましたが、もう数日掛かるかと思っていました。どうぞお入りになって下さい」
「ありがとうございます。あの……早かったのは大丈夫ですか? 日を改めた方がいいなら……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。お急ぎだったのでしょう。お疲れさまでした」
どうやら宿泊もせずに、急ぎで馬車を乗り継いできたと思っているみたいだ。それを正すつもりはないけれど。
早い到着になってしまったけれど、それを咎める様子も、迷惑に思う様子もなくて、わたしは内心でほっと息をついた。
「神父様を呼んで参りますね。少々お待ちになって下さいな」
「はい」
シスターが奥へと去っていく。その後ろ姿を見送ってから、隣のラルに視線を向ける。先程までよりも表情が強張っているように見えた。
「……大丈夫?」
「ん? ……ああ、ごめん。全部アヤオに任せちゃって」
「それはいんだけど。……ねぇ、この先はわたしも一緒に行っていいのかな?」
問い掛けると、驚いたように青藍の瞳が瞬きを繰り返す。
「ついていっても迷惑じゃない?」
「来てくれると勝手に思ってた」
ラルの手がわたしの頬に触れて、包み込む。先程まで手を繋いでいて暖まったと思ったのに、もう指先が冷たくなっている。
「一緒に来て。お願い」
「うん。ラルがいいなら、一緒に居させて」
これからラルが受けることになる悲しみを、分かち合う事が出来るとは思っていない。それでも、傍にいる事は出来るから。
そう願いを込めながら頷くと、安堵したようにラルが表情を和らげた。
戻ってきたシスターに教会の奥へ案内される。
建物自体は古いけれど、磨き上げられた木の廊下は美しく光っていた。壁に飾られた生花のスワッグからは爽やかな香りが広がっている。
案内された応接室。
そこにはすでに黒衣を纏う神父様が待っていた。白髪を後ろに撫で付けて、細められた目尻には柔和な皺が刻まれている。
「お待ちしていました。ラプス殿とユキシロ殿ですな。私はジェレノーと申します」
勧められるままに、ソファーにラルと腰を下ろす。神父様も向かいのソファーに座ると、シスターがテーブルにお茶をおいてくれた。ふわりとローズマリーの香りがする。
一礼したシスターは部屋を後にし、それを待って神父様が口を開いた。
「ラプス殿はハルピュグルだと伺っています。この教会の墓地に眠る、同胞について聞きたいと……」
「はい。こちらには詳細を書き留めた記録があると聞いてきました」
「その記録をお見せします。これで墓標に名前を刻む事が出来ましょう」
頷く神父様は、手にしていた二つ折りの革張りバインダーを開いた。中には数枚の紙が挟まれている。それを丁寧に取り出した神父様は、テーブルに並べていく――全部で七枚。
紙を目にして、ラルが震える息を漏らした。
「……間違いなく、ハルピュグルの里の者です」
紙には似顔絵が描かれている。髪の色や背丈など、個人を特定出来るような特徴も。
細い声は吐息に消えた。
膝の上で布地を掴むように握られた拳が、白くなっている。
ラルの悲しみに寄り添う事しか出来ないわたしは、その拳に自分の手を乗せた。それ以外に出来る事が分からなかったから。
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