彼と私の晩御飯

しらす

彼と私の晩御飯

 11月の太陽は沈むのが早く、仕事を終えて帰宅する頃にはすでに真っ暗だ。

 暗くなってからつく家路は、寒さも相まって何となく心細い。

 明るい駅の中ですら買い物をする気になれず、家へと向かう足は自然と早くなる。

 そのうえ今夜は同居人が夕食を作ってくれることになっていた。


 2メートルを超す長身に筋肉質な体という、

 圧倒的な質量をもつ肉体を維持するためか、

 単に20歳と年若いためか、彼はとにかくよく食べる。

 しかも肉が大好きで、3食のどこかで必ず肉をメインに食べるくらいだ。

 10年前なら私もそれくらい食べたかな、と思うけれど今は到底ついていけない。


 稀人(まれびと)と呼ばれるその彼、ザグルは人間ではなく、オークという種族の青年である。

 肌は赤黒く、口の端から牙がのぞき、獣のような大きな金の目は眼光鋭い。

 そんな鬼のようなご面相の割に、いざ一緒に生活してみれば彼は妙に家庭的だった。


 顔は年の割に厳ついけれど若い男の子だし、

 家事なんて丸投げかな、と思っていたら、

 家に上げた翌日の朝には「なんか用事はねぇか?」と言い出した。

 それで家事をやって見せながら教えると、あっという間に覚えて慣れてしまった。

 台所にも頻繁に手伝いに来るし、そもそも以前は自分で食事も作っていたらしい。


 そんなザグルに今日の朝「帰りが遅くなるよ」と告げると、

「なら晩飯用意してやっからゆっくり帰ってきな」と言われたのだ。

 コンビニで惣菜か弁当でも買って帰ろうか、と考えていたところにその提案で、

「じゃ、よろしくお願いね」とありがたく頼んできたのだ。


 彼がやって来てからかれこれ2週間、

 色々と面倒はあったものの生活に支障はなく、むしろ楽になった面も多かった。

 けれど油断するにはまだ早かった、と帰宅した私は再認識することになる。



 玄関からすでに漂ってきた肉の焼ける匂いに、

 居間を覗くと食卓代わりのコタツの上にはもう準備が整っていた。

「ほら、いっぱいあるぜ!冷めねぇうちに食おう」

 ザグルはそう言ってにこっと笑うと私を手招きした。

「う、うわぁ…何この山盛り」

「何って焼肉だろ。お前ぜんぜん肉食わねぇからそんなちっこいんだ、今日ぐらいしっかり食いな」


 説明されるまでもなく一目で分かる。

 コタツの上には牛カルビと思しき焼肉が山ほど乗ったお皿が二つ、

 それぞれ箸を添えて置かれている。

 その横に置かれた湯飲みは空だけれど、

 傍にポットと急須が準備されて湯を注がれるのを待っていた。


「いやあのね、気持ちはありがたいけど…そうじゃなくて、ご飯はどうしたの?」

 コタツの上にあるのは、焼肉、箸、湯飲み、ポットと急須。以上だ。

 きちんと拭かれて汚れもない天板の上には、本当にそれだけしかない。

 皿の上の焼肉も味付けは塩コショウのみで、

 野菜などは一切入っていない純度100%の焼肉だ。


「んん?ゴハンってメシの事だろ?これがメシだぞ」

「…うん、分かった。私がうっかりしてたわ、ごめん」

 全面的に私のミスだ。

 よく考えたら料理の手伝いはしていたけれど、ザグルが一人で食事を作るのはまだ見たことがない。

 それに彼が肉好きなのも、野菜を食べる習慣があまりなかったことも聞いていた。

 こうなることは予想できたはずなのだ。


 明らかに食べきれない量の肉にも、決して悪気はないのだろう。

 彼からすれば私の健康を気遣ってのものだ。

 ただ時々、私の手首を握って「肉が足りねぇ」と呟くことがあるので、

 いずれ取って食うために太らせる目的、という可能性も捨てきれない。


「そうか?よく分からんがまぁ気にすんな」

 すでに支度は整った、とばかりに座ったザグルは、

 行儀よく私が席に着くのを待っている。

 基本的に誰かいれば一緒に食事をするのが習慣だったらしく、

 よほどお腹が空いていないと先に食べ始めたりはしない。

「そうだね、とりあえず何とかするわ。じゃあザグ、キッチンに戻って」

「お、おう、まだ他にも食いてぇのか?」

 面食らったように目を見開いたものの、彼は素直に私の後についてきた。



 冷蔵庫の中を確認すると玉ねぎが1個残っていて、

 タッパーに小分けして冷蔵したご飯もまだあった。

 買い物をしてこなかったせいで野菜らしい野菜がないけれど、

 カットワカメともやしもある。

 ひとまずワカメを一つかみボウルに入れて水に浸し、

 玉ねぎを軽く洗って根本と先を落とすと、

「はい皮むいて、あと輪切りにして」とザグルに渡した。


 途端に彼は爆弾でも渡されたかのように頬を引きつらせた。

「これあれだろ、目が痛くなるやつだろ…?」

「そうだよ、でも炒めれば美味しいから。包丁ここに置くね、今日はザグが作ってくれるんでしょ?」

「う、わ、わかった」

 一瞬すがるような目をしたものの、自分の言ったことは守るたちなので否やとは言えないらしい。



 ちなみにザグルに初めて玉ねぎを切らせたときは、

 両目と鼻を押さえて大騒ぎしたのだ。

 痛い痛いと地団太を踏むようにジタバタし、キッチンから逃げ出し、床に座り込んでボロボロ泣き出す始末だった。

「ごめんね、この包丁ちょっと切れ味悪いから」

 謝りながら改めて刃を見てみると、あちこち刃こぼれしてしまっていた。

 玉ねぎで目が痛くなるのは、切る時に細胞が潰れて痛みのもとになる成分が出るためだという。

 だから包丁をきちんと手入れしていればそうそう痛くならない、と知っていたけれど、研ぎに出す余裕もなく放置していたのだ。


「なら砥石をかせ!研いでやっから!」とザグルは手を出したが、

 そもそも砥石が家にない。

 それを聞いた彼は、一瞬本当に鬼のような顔をしたあと、

「分かった」と溜息をついて翌日バイト先で砥石を買って来た。

 切れ味の悪い刃物は怪我の元だ、というのが彼の父親の教えだったそうで、

 そのあと丁寧に研いでくれた包丁は見違えるほど綺麗になっていた。



 恐る恐るといった様子でザグルが玉ねぎを切っている横に、

 醤油と酒とみりんのボトルを並べ、計量スプーンの大さじと片口を置いた。

「切り終わったらこの3つ、こっちのスプーンで2杯づつ入れてね」

「全部2杯だな、分かった」

 手を止めてこちらを見ると、ザグルは軽く頷いた。


 その間にもやしを耐熱ボウルに入れてレンジでチンし、水気を切って、

 戻したワカメの水を絞ってから加える。

 ストッカーを覗くとすりごまもあったので、それを少し振り入れてから、

 砂糖2杯と醤油1杯、酢4杯を大さじでザグルに入れてもらう。


「これはあと混ぜるだけだから私がやるね。次は玉ねぎ炒めて」

「どうするんだこれ?この汁で味付けるのか?」

「そういうこと。お肉も持ってくるね」

 言いながらコタツの上の山盛り焼肉を一皿取りに行くと、

 ザグルはフライパンを出して火にかけ、油を引いてさっさと玉ねぎを炒め始めた。

 適度に玉ねぎの白っぽさがなくなってきたら、

 片口に入れておいた調味料を回しかけて火を落とし、しばらく加熱してアルコールを飛ばす。


「冷蔵庫にご飯あるから、丼に好きなだけ入れてチンしておいて」

「おう、多めに盛ればいいのか?」

「うん、私はそこまでたくさんじゃなくていいよ、そっちの小さいタッパー1つ分かな」

 丼ものを作ったことはすでに何度かあるので、だいたいの量はザグルも把握していた。

 そもそも二人とも仕事でクタクタになった日は、ご飯に何かを乗せるだけの簡単な料理が多いのだ。

 お腹も満足するし洗い物も減るので助かるのである。


 牛肉はすでにしっかり焼いてあるので、フライパンを火からおろしてから、

 タレが絡むように箸で1枚ずつ入れて余熱で少し温める。

「これをご飯に乗せれば完成。先に玉ねぎを敷くようにして、それから牛肉乗せてね」

 レンジから出した丼を並べると、ザグルの喉が上下した。

 ここまで来れば味の想像もつくらしい。

「汁もかけていいか?」

「もちろん、全体に回るように上からかけたらいいよ」

 そう言ってスプーンを出すと、ザグルは嬉々として玉ねぎと牛肉を盛りつけ始めた。


 もやしとワカメの酢の物を小鉢に盛り、お茶を淹れてコタツに並べたところで、

 出来上がったカルビ丼をザグルが運んできた。

 皿一枚分でも多かった牛肉はご飯の上で小山になっていて、

 玉ねぎと醤油の香りが混ざって食欲をそそるいい匂いがする。


「いただきまーす!」

 揃ってぱちりと手を合わせると、さっそく丼に箸をつけた。箸の苦手なザグルはスプーンだ。

 甘じょっぱいタレが絡んだカルビはほどよく焼けて柔らかく、

 シャキシャキの食感が残る玉ねぎは甘くて、少しだけピリッと辛みが利いている。

 牛肉と玉ねぎのうま味が混ざった醤油ダレのしみたご飯も、これだけで食べられそうな美味しさだ。


「すげぇな、タマネギ入れただけでこんなにうめぇのか」

「でしょ?お肉だけだとちょっと味気ないけど、野菜入れると全然違うの。キャベツとかピーマンでもいいし」

「ゴハンもなんかいつもと違うな、油が合うのかこれ」

「そうそう、野菜とお肉を刻んでご飯と一緒に炒める料理もあるんだよ」

 そう言いながら、ザグルにまだ炒飯は食べさせたことがないな、と思い出した。

 牛肉もまだたくさん残っているし、次は刻んで炒飯に入れようと密かに決めた。


 口の中が脂っぽくなってきたら、もやしの酢の物を食べてリセットする。

 ほどよく口の中をすっきりさせてくれるので、

 再びカルビ丼に戻ると味が際立つような気がした。

 多すぎる気がした牛肉も、これなら余裕で食べられそうだ。


「けどよ、こんだけ追加したら肉が食い切れねぇだろ?」

「うん、そうなんだけどね」

 食べ終わってから話すつもりだったのに、

 ザグルは残ったもう一皿の焼肉をスプーンで指して首を傾げた。

 私はひとまず口の中のものを飲み込んでから、一旦箸を置いた。


「まずね、食事が肉だけってのは私が困るの」

「おう?そういやユキはいっつも色々作るよな」

「うん、肉だけだと必要な栄養が摂れなくてね。まずご飯かパン、肉とか野菜のおかず、汁物は今日はないけどもう一品何か、だいたいこの3つは用意してほしいの」

 指を一本ずつ立てながらそう言うと、ザグルの眉が寄った。

 露骨にめんどくさいという顔をしながら、私の目を覗き込んでくる。


「そんなに色々要るのか?それに肉がこんだけあんのに他のもんまで食う必要があるかよ?」

「確かにザグの歳ならお肉たくさん食べた方がいいけど、私はもう30歳よ。これ以上は大きくならないの」

「なにぃ!?ユキはもう一生ちっこいまんまだってのか!?」

 よほど驚いたのか、目を丸くして大声を出したザグルの口からご飯粒が飛んだ。

 それを指さすと彼は慌てて手で口を塞ぎ、落ちたご飯粒を拾ってしばしもぐもぐする。


「そういうものだよ。成長期ってのがあってね、それを過ぎたら体の大きさはほぼ変わらなくなるの」

「てぇことは、もう肉食っても栄養になんねぇのか?」

「ううん、お肉も大事な栄養だよ。でもどっちかって言うとご飯食べないと体も頭も動かないから」

「そうか…そういやおふくろも肉はあんま食わなかったな」

 ふと何かを思い出したような顔になって、ザグルは丼に視線を落とすとすっと目を細くした。


「お母さん?そういえばザグのお母さんの話って聞いたことないね、どんな人だったの?」

「どんな、つってもなぁ…普通のおふくろだぜ。ああけどな、おやじに言わせると

 かなりおっかねぇ女だったらしい。俺もガキのころは毎日ケツ叩かれたしな」

「どんだけ悪さしてたのよ…なんか想像つくけど」

 オークにとっても20歳は成人に当たるらしく、一応ザグルは大人なのだ。

 だからそれなりに落ち着きはあるとは言え、

 私にはヤンチャな子供の体だけ大きくしたように見えることがある。

 根が素直なのか、頭が柔らかいのか、ここでの生活に馴染むのも早かったけれど、

 無用に揉めて止めに入った回数もそれなりに多い。


「俺がいくつの時だったか、まだすげー小せぇ頃なんだけどよ、めちゃくちゃ寒い年があったんだ」

 不意に声を落としたザグルは、片肘をつくと目を伏せたまま静かに話し始めた。

「寒いって…ここみたいに?」

「いや、ここまで寒いってこたぁなかったけどな。けど俺らの暮らしてたとこじゃ、年中そんなに着込まなくても平気だったんだ」

「そういえばうちに来た時も、布一枚みたいな服だったもんね」

 ザグルが住んでいたのは湿暖な土地で、草木も虫も多く、それらを食べる動物も多かったという。

 雨も頻繁に降るし、防水できる服などないので、

 濡れても構わないような薄着でみんな生活していたらしい。


 それがある年、夏になっても肌寒いまま気温が上がらず、

 雨も減ってしまったのだという。

「さみぃから病人もかなり出たし、なにより食いもんが減っちまってな。俺くらいの子供はかなり死んだらしい」

「そんなに…大変だったんだ」

 今年は例年より暑い、寒いとニュースになることはあっても、

 それが原因で死人が出る、と言う話は私の実感からは遠かった。

 それがいきなり目の前に突きつけられたようで、咄嗟に何と言えばいいのか分からなくなる。

 思わず俯いていると、

「いやそれはいいんだよ」とザグルは私の頭をポンポン叩いた。


「覚えてんのはそん時のおふくろだ。普段ならまぁ、その辺にいくらでも食いもんあるから集めてくるだけだったんだ。けどその年の冬は棍棒持って出てってな」

 帰って来た時には返り血まみれだった、とザグルは当時の事を思い出したのか、軽く身震いした。

「食い詰めてんのは分かってたからな、こりゃ俺も食われるんだと思って観念したんだよ」

「え、逃げようって思わなかったの?」

「んな気力があったら自分で食いもん探しに行ってんだろ、それにすげー迫力だったんだぜ、あん時のおふくろは」


 疲れていたのかまるで無表情で、棍棒を提げて家の入口に立った母親は、

 しかし彼の顔を見たとたんにふっと笑ったという。

 野生動物もみな空腹で、集落近くまで巨竜が迷い出て来たため、

 大人が総出で仕留めたその帰りだったのだ。

「そん時おふくろが持って帰ったのが久しぶりの肉でな、あれは本気で美味かった」

 しみじみとそう言うと、彼は急に後ろ頭を掻き始めた。

「あんなになって獲って来た肉だってのに、おふくろは全然食わなくてよ。お前は大きくなるんだから全部食えって、そう言ったんだ」


 そういうことだったのか、とこれまでの事にいっぺんに納得がいった。

 たぶん山盛りの焼肉は、ザグルにとっては史上最高のご馳走だったのだろう。

 そして他の人間と比べても小柄すぎる私は、

 栄養不足で大きくなれないんだと考えて、

 子供のころの母親との思い出から、考えついたのが山盛りの焼肉だったのだ。

「立派なお母さんだね。ザグのこと、すごく大事にしてくれてたんだ」

「だな。ああくそ、余計な事思い出しちまった!」

 照れ臭いのか懐かしいのかさみしいのか、あるいはその全部なのか、彼は両手で頭を掻きむしりだした。


「ザグ、ありがとう。だいぶ違う料理になっちゃったけど、お肉美味しかったよ」

 私にはただの焼肉にしか見えなかったけれど、ザグルにとってはめいっぱいの愛情料理だったのだ。

 さすがに悪いことをしてしまった、と思っていると、

 彼は察したように両手を広げて振った。

「いや、分かってくれりゃいいんだ。俺もべつに悪気はなかったって話だからよ」

「うん、すごくよく分かった。残りのお肉も明日また食べよう。せっかくのご馳走なんだし、ちゃんと美味しくするから」

「頼むぜ、ユキの作る飯はやっぱりうめぇしな」

 そう言って屈託なくにこっと笑うザグルの顔に、これまでも何度も許されてきたのを思い出した。


 揉め事は確かによくあるけれど、私たちはお互いの事をまだまだ知らないのだ。

 それでもザグルは彼なりに私を気遣い、できることはしようとしてくれている。

 それをきちんと信用していれば、きっともっと歩み寄れるだろうと思った。

 再び食べ始めたカルビ丼は、さすがに冷めてしまっていたけれど、

 いつもの夕食よりもずっと美味しいような気がした。

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