1 境界
とある国家間の国境付近で、戦闘が勃発した。単発的な報復と応酬という小競り合いが長年続き、緊迫した情勢だった両国は、ついに大々的な戦闘のフェイズへと移行した。
折しも世界に機械人間が稼働し始めたときだった。
世界の主流である対地空制圧陸戦兵器及び自律型戦術兵器による戦闘行為。後方支援並びに制圧後の敵地統制となれば、それこそ人によるもの。
失われる命。
人に代わりしモノ。
模索されていた機械人間の戦地での用途。
だが、世界は新たに誕生したテクノロジーに対し、国際法を制定し、機械人間の軍事使用を禁止した。
当事国であるβ国とγ国は、国際平和機構によって、機械人間の軍事使用を監視され、戦争をしていた。
それだけだでは、両国の仲裁もしない国際平和機構が間抜けに見えるが、一応、両国間の問題を解決すべく協議を重ね、停戦するよう勧告していた。
それと同時に問題となったのがα国で、α国はβ国に武器・兵器を輸出していた。
戦闘地域である国境付近からβ国側に約百キロ地点、β国軍陸戦部隊の前線拠点となる地区に、β国軍仕様陸戦兵器や兵士、それと機械人間が作業をしていたのである。
それを見つけ声を荒らげたのは、国際平和機構から派遣された監察官だった。
偶然か必然か、監察官たちが前線拠点に展開していた部隊を視察していた際、一人の監察官が作業していた兵士とぶつかった。屈強な兵士は半歩足を進まされただけで終わったが、ぶつかった監察官の方が、その場で蹌踉け尻餅をついた。
国際平和機構が権威的に上であると思い込んでいた監察官は、自分からぶつかって転んでいたにもかかわらず、辱めを受けたとその兵士を睨め付け怒鳴ろうとした。
しかし相手は、これから前線に赴こうと準備をしていた兵士である。緊迫した状況、興奮しつつある状態。そんな状況下で、安全な場所から偉そうに物言うだけの人間に睨め付けられようが、周りを飛ぶ羽虫程度にしか感じていなかった。
まるで機械人間のような兵士……。
逆に睨まれた監察官はたじろいだ。
「大丈夫ですか?」
突然後ろから声をかけられ、そのまま身体を抱え立たされた監察官は、驚きと恥ずかしさが綯い交ぜになり、奥まった曖昧な謝辞を述べるだけ。おまけにスーツに付いた土埃を払い落として貰う。
子ども扱いされている気分になった監察官は、
「もういい、大丈夫だ」
と、後ろを振り返りながら無下に断った。
振り返った先にいたのは、迷彩服に身を包んだ華奢な身体、中性的な顔立ちの兵士。自分よりも小さな身体。それでいて自分の身体をいとも容易く抱え上げた。どこか不自然で、不気味さを感じる。
監察官は溜まっていた鬱憤を晴らすかのごとく声を荒らげた。
「何故ここに機械人間がいるのだ!」
怒鳴られた機械人間は、監察官の言う意味を解さず戸惑った。
優位に立った監察官は気が大きくなり、人の仕草を模倣した機械人間の表情に苛立つ。
「そんな貌マネはヤメロッ!」
人の皮を被った‥‥
その怒号は、近くにいた他の機械人間を呼び集め、監察官を囲んだ。
‥‥同じ顔が――。
「ヒッ」
監察官は恐怖で顔を引き攣らせていた。
前線拠点にいた機械人間は、α国軍救助・救護用試作機で、テストを兼ねてβ国軍に限定供給されていた。機械人間の任務は、戦地で負傷した兵士の救助と救護。救護ということは、負傷者に対し医療処置を施すこと。つまりは、機械人間に医療の知識と技術が伴っていなければならない。臨床実験は成功していたが、実践ではまだ行われてはいなかった。その実験の場として、β国とγ国の戦争に投入されたのであった。
ニュー・テクノロジー・マターである機械人間に、国際法として機械人間の軍事使用を禁止はしたが、どの国も法整備が追いついていない状態であった。『人間』と付きはするものの、形状を意味するだけで、人間が有する権利などなかった。また、機械人間が人間に対して医療行為を禁止する法もなく、機械人間に医療に携わる資格を付与する法などもないのが現状。つまりは、どちらにしても違法行為にはならないのだ。故にα国は法の不整備の隙を衝いたのであった。
そして、それらの行為に批判する賛否両論の声が、α国内外問わず上がった。
非難として真っ先に上がったのが、機械人間を軍事使用したことだった。国際平和機構加盟国であり、理事国でもあるα国が、自ら国際法を破っていたのだ。非難されて当然なのだが……。
α国政府の見解は、それを真っ向から否定するものだった。
「国際平和機構で定められた法規は、殊に戦闘を目的(人間の殺傷)とした機械人間の軍事使用であり、我が国が目的としたのは、平和的機械人間の軍事利用である」
確かにα国政府見解の通り、β国軍に限定供給された機械人間は、負傷した兵士の救助と救護のみであり、直接的に戦闘には参加していなかった。
だが他の国際平和機構加盟国は、それを準戦闘行為だという指摘をした。
「戦闘中の救助及び救護は、戦闘員でなければ為しえない。機械人間を非戦闘員とするならば、戦闘中の地域に存在していては可笑しい。機械人間に戦闘服を着せている時点で、仮にそれが機械人間であれ、兵士として看做すのが国際法である」と。
α国政府はそれにも反論した。
「機械人間は人間としての権利を有していないので、戦闘員の定義から除外される。故に非戦闘員の定義からも除外されるので、戦闘中の地域に機械人間がいたとしても、戦闘を目的した行為をしてはおらず、国際法として機械人間の軍事使用禁止の法規には抵触しない。戦闘服の件だが、機械人間が着用していたのは迷彩服であり、仮に戦闘服を着用していたとしても、機械人間に戦闘服の着用を禁止させる法は無い。その上で、負傷した兵士の救助及び救護に際し、目立った服装や素体のままでは、逆に狙われてしまう可能性もあり、限定的行動に二次被害を齎してしまい、助けられる兵士の命をも失わせてしまう。現に迷彩服よって、限定的行動を遂行させていた。そもそも、機械人間に戦闘服を着せることで、兵士として看做すのが国際法であるのなら、機械人間を兵士としての使用を認めていることになり、機械人間の軍事使用禁止法との矛盾が生じている。我が国は機械人間を殺傷目的として軍事使用を看過できない。異を唱える。我が国はあくまでも平和的機械人間の軍事利用を目的としている」
国際平和機構が機械人間の軍事使用を容認する発言をした、とα国政府はその発言に反駁し、機械人間の軍事使用禁止を遵守すると言ったのである。
立場が逆転してしまった形になる。
国際平和機構とて、一枚岩ではない。それぞれの国の思惑があって、妥協しあって、何とか形成させている。形勢もその時の趨勢によって流れてしまう。倫理上α国に異を唱えていた国もあるが、助けられる命を見す見す逃すことは倫理に反するのでは、という見解も浮上しつつあった。
それでもα国の反論は詭弁であると言う者もいた。
「戦闘服を着た機械人間を兵士として容認したわけではない。戦闘服を迷彩服であると言い逃れしたつもりであろうが、戦地にて敵から発見されにくくする迷彩服は、戦闘服と同義である。国際法に『機械人間に戦闘服の着用を禁止させる法は無い』と言うが、戦闘服を着用するのが兵士の義務であり、つまりは、兵士のみが戦闘服を着用するものである。機械人間の軍事使用禁止した法は、兵士として機械人間を使用してはならないのであり、機械人間に戦闘服を着用させることを禁止していると解釈できる。そのことからも判然としており、α国は国際法違反を犯していたのだ。平和と冠を付けることで聞こえはいいが、結局は軍事目的であり、『使用』と『利用』という言葉のレトリックで誤魔化しているに過ぎない」
α国は欺瞞を垂れ流しているだけだと言及した。
α国に異論を唱え続けた国は、γ国はもちろんだが、γ国の経済に頼り、思想に与し、α国を敵視する国々である。
一方は言い逃れをし、もう一方は言いがかりをつけているようにも見える。
法の不完全さが招いたことによるものだ。
しかし、技術革新によって生み出されたニュー・テクノロジー・マターは、人間が経験していない――ある程度予見できることはあるにしても、これから先どういう問題が生じるのか解らない部分が多々あり、その状況下で完全なる法を据えることは無理に等しい。問題が生じた段階で整備し直すしかないのだ。
α国とて引き下がるわけにはいかなかった。
「解釈次第で如何様にも法を変容できるのなら、我が国の解釈もまた然りであろう。法に遵守することは、須くどの国に於いても理である。なれば、国際法に条項としてその旨を付け足すほかない。しかし、それを行う前に、我が国は国際平和機構に見解を問う。一貫して我が国は、機械人間は人工知能を搭載した汎用型二足歩行機器としていた。国際平和機構の総意は、機械人間を人間であるかのように定義し論じている。機械人間は人間と同等の権利を有するのかを問う」
国際平和機構は、機械人間の戦闘服着用は兵士と看做すとしてきた。『兵器』ではなく『兵士』である。α国は兵器とは称してはおらず、機械人間に救助及び救護用として戦地での限定的行動をさせていた。兵器でもなければ兵士でもないとしていたのだ。
α国による国際平和機構への問いかけは、これまで世界が有耶無耶にしてきた問題を突きつけたのである。
「α国が言うような、機械人間を人間と定義してはいない」
そもそもその論議をしていないと言った後、国際平和機構は発言を控えた。言うなれば言及を避けたのだ。機械人間の開発が促進された今の時代に於いても、未だ賛否の意見が分かれている。否定すればα国の言い分を認めたことになるし、肯定すれば思想信条、経済などに打撃――否、逆に抗議されかねなかった。
そういう意味では、α国は機械人間の権利を否定したかのようだが、国際法で認めるのなら法に遵守すると言っていた。だからこそ国際平和機構に見解を求めたのである。国際平和機構が一線を画すことさえできないと解ってのことだった。
しかし、何故かどちらの国も、世界各国も、戦争自体への言及は為されなかった。
――β国内地。
戦況は国境付近で一進一退の攻防が繰り返されていた。γ国との国力差はあったが、よく耐えているというのが大方の見解だった。α国のある意味での助力がなかったら、長くは保ち堪えられなかったであろう。然りとてγ国も無尽蔵な軍力を持っているわけではなかった。消耗戦となりつつあった両国は、睨み合いとなり、互いに相手を警戒しながら自国の援軍を待つこととなった。
そんなβ国軍ベースに訪れた束の間の休息。
休息といえども、休日ではない。休める者や休まざるを得ない者が、一時の休息を得ていたに過ぎない。他の者たちは、武器・兵機器の修理・調整、補給された物資の分配、食事を摂れる者は摂っていたりしていた。中には死傷者を搬送する者たちの姿もあった。
そんな中、一台のヴィークルが煩雑としたベースの中へと進み、倉庫の前で止まった。倉庫前に立つ兵士がドアを開けるまでもなく、乗っていた者が自分でドアを開け出てきた。中から出てきたのは、顔や姿形を帽子とコートで覆い隠し、ベースにはおおよそ似つかわしくない恰好の者だった。
「博士、そんなに慌てなくても……」
反対側のドアから、α国軍の士官が慌てながら出てきた。
「慌ててなどおらん。お前が遅いだけだ」
博士と呼ばれた者は、何クダランことを、と不愉快そうな目で士官を見遣る。
「せっかく開けてくれようと待機していた彼が、所在ないじゃないですか」
「自分で開閉できるドアを、何故わざわざ開けて貰う必要があるのだ」
「それはそうですが‥‥礼式ですよ」
「なら、お前も自分でドアを開けたのだから、その『礼式』とやらを踏みにじったことになるな」
言い合いを続ける二人は、話題の中心にしておきながら、存在自体を忘れたのか、敬礼しているβ国の兵士の前を通り過ぎ、倉庫の中へと入っていった。
倉庫の中程にコンピュータ機器が置かれ、そこから伸びたコード類が透明な板で仕切られた無塵室の中へと伸び、床に立てられたオーバル状のカプセルへと繫がっていた。
静寂な空間に唯一、低音のノイズが聞こえている。
「アレか?」
博士は士官に訊ねる。
「そうです」
「仰々しいな」
「それは致し方ありませんよ。何せ開発費に結構な金額がかけられてますし、国の威信も懸かってますからね」
博士はそれを鼻で嗤い、士官の抵抗する戯言に耳を貸すことなく、無塵室へと向かった。
メイン・コンピュータの前に立ち、モニタを点ける。そこに映っていたのは、オーバル状のカプセルの中で、スリープ・モードでいる機械人間だった。
モニタ下にあるタッチ・パネルで操作し、診断ツールに分析させる。ボディが正常と診断される中、異常と判断されたのは機械人間の人工脳だった。直ぐさま頭部を拡大し解析をさせようとしたが、『管理者の権限が必要』とパスコード入力を求めてきた。
セキュリティ上、重要度によって与えられている権限が違い、その都度に上位の承認が必要とされていた。
博士は、横にいた士官を見遣り、「破っていいか?」と意地悪く訊く。
「だ、ダメです。言われた通り、全権限へのアクセスを許可して貰いましたから」
そう慌てながら、士官はメイン・コンピュータのコネクタに持っていた記録メディアを差し込み、タッチ・パネルで操作し始めた。
そこまで切羽詰まった状態であった。何処ぞの者とも知れぬ者に、国の威信を懸けた科学技術の軍事機密を、開示しようとしているのだ。
――α国と国際平和機構との論争が加熱し、β国とγ国の戦争も激化していた頃、士官は知り合いの機械人間工学博士から教えて貰った、とある屋敷を訪れていた。玄関前に立ち呼び鈴を鳴らす。しばらくしてドアが開くと、そこには博士が無表情で立っていた。自分より歳が少し上くらいであろうか。士官が自分の身分を告げるやいなや、ドアは閉められる。居留守を使われ、無視され、それでも執拗に訪問の意を告げ、やっと会うことが叶い、話を聞いて貰うことができた。
屋敷に通された士官が博士に話したのは、世間を騒がせている戦地の機械人間のことだった。
ある日の戦闘で、β国軍兵士の負傷者を機械人間が救助していた。その中の一体が、突如命令に従わず、稼働不全という問題が生じたのである。
国際平和機構の監査員による監視もあり、本国に戻すこともままならずにいた。
「戻すことで、機械人間の不具合を、お前らの国内で露見することを嫌ったのであろう」
「政府と軍は世間からのバッシングに弱いですからね、それはあると思います」
「ほぉお」
その国の、しかもその軍の所属であり、士官という立場であるにもかかわらず、それを否定するどころか肯定する彼に、博士は興味を持った。
「まぁ‥‥そんなわけで、何人もの機械人間工学博士を呼んで調べて貰ったのですが、どの博士もお手上げのようでして……」
人伝で機械人間に詳しい博士がいると聞き、ここへやってきたのだ、と。
「そいつの記憶を初期化させ、新たな記憶を保持させてやればいいだけであろうに」
「そうなんですけど、実際そう言われもしたんですけど、変じゃないですか‥‥戦地での救助や救護命令は拒否して、それ以外は従うっていうのも解りません。それに、簡単に記憶を消してしまうのも……」
士官は、博士に現地に来て貰い、その機械人間を診て欲しいのだと言う。
博士は条件を出した。全権限にアクセスできるようにすることを――
博士はタッチ・パネルを操作する士官を見ていた。
「それと、訊いておきましたよ。この機械人間が命令を拒否したときの状況」
士官はそう言いながら、コネクタから記録メディアを外した。
博士はモニタに向かいタッチ・パネルを操作した。
モニタに映し出される機械人間の頭部。金属を織り交ぜた炭素繊維製の頭蓋フレームと緩衝を伴う冷却用ゲルの中、人間の脳に似せた幾層もの基盤。そこから何十というケーブルが、直接、又はフレーム内を神経のように通されている一般的な人工脳。
人工脳の作り自体には問題はない。多少スペックが低いとは思うが。
ハードウェアに問題がないとなると、ソフトウェア自体か、ハードウェアとソフトウェアが整合しているかになる。人工脳に記憶させた先天的記憶――基本となる人工知能の思考・制御システムは、解析することができない。不具合があるとしたら、後天的記憶〝経験〟――専用・専門のシステム・ソフトウェア(この場合は、救助・救護システム)にエラーがあるか、エラーとなる要因があるとしか考えられなかった。が、仮にそうなら、命令を拒否しているのが一体だけというのも可笑しな話だった。
博士はポケットから携帯情報端末機を取り出し、ケーブルでメイン・コンピュータと繫げ、解析を行った。
「それで、状況は?」
「はい。機械人間が一人の負傷した兵士を救助し、安全な場所まで運び出した後、救護したようです。ですが、重傷だった兵士はその場で亡くなりました」
戦場ではよくある話。
「β軍の衛生兵も側におり、機械人間に手落ちはなかった、ということでした」
後天的記憶〝経験〟のシステム・ソフトウェア(救助・救護)との干渉も調べたが、不具合は発生していないという解析結果が、博士の端末機に情報が表示された。
「それで異常来したのはその後か?」
端末機を操作し、ソフトウェアとハードウェアの整合性を解析させた。本来なら解析するまでもない。ソフトウェアを作動するハードウェアの動作環境が低いはずもなく、ハードウェアの仕様はオーヴァースペックで作るのが当然である。が、一部の劣化したパーツ次第では、余剰どころか性能を発揮させることも儘ならない場合もある。だから調べるに越したことはないのだ。
「はい。そのβ軍の衛生兵の目の前でフリーズし、命令を拒否したようです」
ソフトウェアとハードウェアの整合性には異常なし。
おそらく調べに来た機械人間工学博士も、同じ手順のことはしたであろう。
メイン・コンピュータからケーブルを外す。
今度は士官がポケットから携帯情報端末機を出し、
「衛生兵のカメラで撮られたそのときの映像です」
と、映像を映した。
負傷した兵士を機械人間が抱え、衛生兵の側に来るとその場に寝かせた。処置を施そうと機械人間と衛生兵は、バッグから器具や薬剤を取り出す。負傷した兵士は片腕が無く、腹部も被弾していた。機械人間は兵士の朦朧としている意識を呼び覚ますよう大きな声を出す。すると兵士は残された腕を伸ばし、機械人間の頰に手を当て、微笑みながら何かを呟き絶命した。
死んだ兵士を悲しんでいては、その数十秒の間で救える命も救えなくなる。衛生兵は機械人間に前線へ赴くよう促す。
だが、機械人間はその場で固まったように動かず、過呼吸のようになりながら命令を拒否しだした。
怒鳴る衛生兵の声。
頭振る機械人間。
何度かその光景が繰り返され、映像は止まった。
映像を観終わった博士は、士官に訊ねた。
「これは初陣のときか?」
「いいえ、この機械人間は何度も出動しています。調べただけでも結構な数の活動をしていました。データ・ログで確認できます」
同じような状況を何度も経験していた。それなのに、何故このときに限ってそうなったのか分からない、と。
「ふむ」
博士は一瞬だけ何かを考え、メイン・コンピュータを操作し、オーバル状のカプセルを開けた。左右に開いた扉の中に、問題の機械人間がネイキッドの素体姿でケーブルに繫がれていた。目は閉じられていたが、スリープ状態である。更にタッチ・パネルで操作し、繫がれていたケーブルを外させる。
「聞こえているんだろう。そこから出てくるんだ」
その声に機械人間は目を開け、カプセルからゆっくりと出てきた。
カプセルは閉じられ、その前に立ち二人を見つめる機械人間。
中性的な顔立ち、男女差のない身体。
その姿形に、博士は舌打ちをする。
博士が舌打ちするのも無理もない、と士官は思う。政府や軍は世間からのバッシングを恐れ、男女の見分けがつかないような顔にさせた。身体も同じようにした結果、体つきが子どもなのだ。だが迷彩服を着せることで、体格は欺瞞できる。
「こちらに来るんだ」
ネイキッドの機械人間が無塵室から出てくると、博士の前に立ち、顔を見上げた。
博士は持っていた携帯情報端末機から伸びた先のコネクタを、機械人間の頸椎に差し込んだ。携帯情報端末機の画面にはパフォーマンス・グラフが表示されていた。
「今から命令を下す‥‥」
博士は機械人間を見据える。
「‥‥前線で兵士の救助活動をしろ」
携帯情報端末機の画面のパフォーマンス・グラフの一つが急激に上昇した。それは、人工脳が過度な処理速度を行ったことで、内部温度が上昇したのだ。冷却用ゲル内部に張り巡らされた冷却水の管がゲルを冷やすために、熱を帯びた冷却水を循環させ、外気を取り込み、熱気を機械人間の口から放熱させた。
「拒否します」
携帯情報端末機の画面のパフォーマンス・グラフのもう一つのグラフが、接続が切れたように停止し、システム・エラーとなった。
「どうですか?」
士官は恐る恐る訊いた。
「必要なかったようだ」
その言葉を聞き、士官は「やっぱり、ダメですか」と肩を落とす。
すると博士は、
「何を言っている? わざわざ工学博士を呼ぶ必要がなかった、と言っておるのだ」
呆れたような眼差しで士官を見た。
「へっ‥‥どういうことですか?」
「心理カウンセラーか、何ならお前でも十分だ」
と言われても……。
「お前が見せた映像に、原因がちゃんと映っていたであろうに」
士官は改めて携帯情報端末機の画面に映像を映す。
その音声は機械人間にも聞こえている。
同時に博士は自分の携帯情報端末機に映るパフォーマンス・グラフを観た。思った通り、ある一点に差しかかると、機械人間のパフォーマンス・グラフの一つが急激に上がり、過剰反応を見せていた。
博士は機械人間からケーブルを抜いた。
映像を観終わっても判然としない士官は、博士を見る。
もう少しヒントが欲しいのであろう。
だが、博士はそれすら面倒臭くなり、
「あの兵士はお前に何と言っていたのか答えろ」
と、機械人間に問い質した。
映像の中で、救助された兵士は、機械人間に何かを呟き絶命した。士官が映像を再確認していたときに、機械人間が過剰反応を見せた部分である。その言葉がトリガーとなり、救助・救護活動の命令を機械人間は拒否しだしたのだ。
「……あの方は‥‥」
機械人間は記憶を確かめるように、ゆっくりと話した。
「‥‥こう言いました。『助けてくれて、ありがとう』」
それが、そんな言葉が、命令を拒否するトリガーとなるのかと思う一方で、
「まさか、そんなことって‥‥あるんですか」
士官は気づいた。
「自分の行動によって助けられなかった兵士が、最後に残した言葉と矛盾を来した結果、ジレンマに陥り稼働不全となった」
一瞬の間。
「ああ」
博士は苦々しく答えた。
士官は驚かざるを得なかった。
「それじゃまるで――」
言い出しそうになる言葉を飲み込んだ。それを言ってしまうと、二律背反し、頭がカオス状態になってしまいそうだった。しかし、肯定しようが否定しようが、現状を打開することにはならない。
「どうすれば……」
士官の問いかけに無視した博士は、機械人間を見据えた。
「お前が救えなかった兵士は、お前によって、あの地獄から救われたのだ。お前が救ってやったのだ」
機械人間はその顔を博士に向けた。
「本当にそうなんでしょうか? あの方は亡くなられてしまいました」
「地獄の中で死に絶え、骨となっても救われぬより、お前に救われ、たとえ亡骸であろうが、親族の元に帰れるのなら、救われたのと同義になってしまう。しかしそれは、人間の傲慢と、悲しい詭弁でもある」
「……」
「だが、あの兵士がお前に言った言葉は、彼の心の言葉であるのは間違いない」
博士の言葉に、機械人間が瞼を開いて博士を見つめ、そこにたまたまライトが――否、機械人間の目が輝いていくように、士官には見えた気がした。
倉庫から二人が出てきた。
それをβ軍兵士が敬礼して見送る。
迎えのヴィークルも呼ばず、二人は歩いた。
「あれで良かったのでしょうか?」
最後に博士は、「後は自分で考えろ。それでも分からないなら、このクソ野郎にでも頼れ」、と機械人間に言い放った。投げ出したようにも聞こえるが、博士は機械人間に、自分で折り合いをつけろ、疑問があるなら『クソ野郎』である自分に頼るべきだと諭した、と士官は思った。
「知らん。自分たちでは解決できず、わたしに頼んだのが悪いのだ」
「それは否定しません」
「自分の立ち位置でしか見ていないからそうなる。機械人間を理解しようとしないクソのようなヤツが作るから、機械人間が困惑してしまう。理想を追い求めるのなら責任を持て」
「……」
博士を見つめる士官。
「! 何だ?」
「思ったんですが、α
「断る」
「そうですよね」
と、軍専属の博士に勧誘しようとしたが、素っ気なく断られた。が、断られたのにもかかわらず、士官は何故か嬉しそうである。
「気味が悪い奴め」
呆れたように見遣った。
それでも士官は話した。
「ところで一つ訊いてもいいですか?」
「クダランことは答えん」
そう言われようが、お構いなしに訊ねる。
「どうして、今回引き受けてくれたんですか?」
「……そうだな‥‥」
自分の家に来て話をした際、自分はワザと『記憶を初期化』と言ったのに対し、士官は『簡単に記憶を消してしまうのも……』と言った。その後にこう付け足した。『何故あの一体だけがそういう症状になったのか。それが分かれば、他の機械人間にも役立つと思うんです』と。
「‥‥気まぐれの興味本位だ」
博士はそう答えた。
博士を空港まで見送った士官は、ベースに戻ってきた。
誰も解決の糸口さえ見つけられなかったことに博士は気づき、解決への道筋を見つけてくれた。別れ際には、『お前が苦しめ』、とありがたいお言葉も頂戴した。少しの間だったが、博士の為人には――気難しさや多少面倒なところはあるが、信頼に値する人物だと感じた。
にしても、あの機械人間を気にならないわけにはいかなかった。何故なら、自分が開発の責任者で、博士によれば『クソのようなヤツ』なのだから。どうやら博士はそれを見抜いていたようだったが……。
一人、倉庫の前‥‥ではなく、警護に従事するβ軍の兵士の敬礼を受け、士官は倉庫の中へと入っていった。
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