日記

ギヨラリョーコ

9/16 虫と水

 風呂場で腕の毛を剃っていたら、壁を隔てたトイレから姉の悲鳴が聞こえた。私が昨日の深夜取り逃がしたごきぶりがまだいたのだろう。



 そのごきぶりは育ちきっていないようだった。体も小さく、茶色い背はまだ薄く柔らかいように見えた。

 壁にくっついていたそいつは、素早い動きで床に置いてあるストックのトイレットペーパーの陰へと逃げ込んだ。私は一応、「退治の努力はした」というポーズを後々家族に向かってするために、ごきぶりへとにじり寄っていった。

 トイレットペーパーを持ち上げた瞬間、まさに目にも止まらぬ速さでごきぶりはどこかへ駆け抜けていった。先ほど壁を走っていた時はちっとも本気じゃなかったのだな、と私は気づいた。そして私の視界からごきぶりがいなくなったので一応の義務は果たしたことにしてそのままトイレを出た。上手くすれば奴は生き延びるだろうし、そうでなければ祖母あたりが殺すだろうと思って。



 ごきぶり愛護の精神が特にあるわけではないが、小さな頃から虫が好きだった。小さいながらも庭のある家に育ち、祖母の育てる植物に紛れる虫に接して育ったからかもしれないが、それでは姉が虫嫌いな理由が説明できない。おそらく理屈ではないのだろう。名前がどう種類がどうというのにはあまり興味がなく、虫の形、虫の動いている姿を眺めるのが好きだった。今も好きだ。


 祖母が一度、ばったをくれたことがあった。祖母としては害虫駆除を兼ねていたのだと思うが、幼い私はプリンカップに葉っぱと一緒に入れてもらった数匹のばったを喜んで眺めていた覚えがある。

 ばったは母がすぐに処分したように思う。母は姉同様虫が嫌いだったし、私には前科があった。庭で拾っただんごむしを数匹、落ち葉と土と一緒に虫かごに入れて大量繁殖させた挙句に飽きてそれを全部庭に戻したのだ。だんごむしはそうそう悪さをしないだろうが、ばったでそれをやられては困ると思ったのだろう。それと多分、だんごむしは庭先で繁殖させていたのに、ばったのことはなぜか家の中に持ち込んだのもよくなかった。

 ばったの処分に対して一応文句は言ったはずだが、あまりよく覚えていないあたりさほど根に持っていないのだろう。虫が好きなわりに、虫の死に冷淡なのだ。


 そのせいか、もしくは単純に虫に触るのを嫌がらないからか、よく虫を始末する役目が回ってくる。ごきぶりもそうだし、よく家の中に入り込んできたかなぶんやなめくじを追い出したりもする。追い出すで済むならそれでいいけれど、それで済まないなら殺すしかない。

 一番記憶に残っているのは小学校5年生ぐらいの時のことだ。夜、塾から帰ってきた姉が、庭にイモムシが落ちていると騒ぐので見に行くと、庭の梅の木から落ちてきたのだろう十数匹の丸々太ったイモムシが、暗い庭石の上を這っていた。渋い顔をした母は私にビニール袋と割り箸を渡して、「全部井戸に流しちゃって」と言った。

 私は玄関の明かりを頼りに一匹ずつイモムシを割り箸でつまんでは袋に入れていった。私には虫が好きなのになぜ殺させるのだろう、という疑問と、私しかこれをしてやれないのだという優越感があった。姉と母は虫に触れないし、祖母と父は家を開けていた。

 庭には小さな手押しポンプ式の井戸があり、近所の友達が珍しがるのでちょっとした自慢だった。イモムシを詰まった袋を井戸の排水槽の上で逆さにすると、イモムシたちはぼとぼとと落ちていき、そのまま鈍臭くみじろぎするばかりだった。ポンプを押して水を流すと、イモムシたちは一匹も逃げられないまま流されていった。その時私は、イモムシは祟るだろうかと思ったが、今もってイモムシの祟りとわかる不幸は訪れていない。

 あのイモムシがどんなふうに育つのか調べてやろうと思っていたことを、今思い出した。しかしあの暗い庭を這っていたイモムシがどんな色をしていたのか、もうそれはさっぱり覚えていないのだ。

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