九人目 やかましい方のあかねちゃん

 初めに謝っておこう。いや、この初めに云々という前置きすら不要で無礼で非常識なことなのかもしれないし、こうしてそのことに関してぐだぐだ語っていることこそ浅慮なことなのかもしれないけれど、とにかくごめんなさい。別に時間がなかったわけではないんだ。そしてそれが事実だったとしても時間がなかったというのは言い訳に過ぎないし、たとえいいわけになったところでそんなのは意味がない。言い訳っていいわけ、なんてつまらない話をするつもりもないけれど、それにしたって、書くと言っておいて寝やがった僕の神経は些かひどいものだと思う。僕だってそう思うのだから、他の人から見ればよりひどいものだろう。もちろんこれは義務ではないし、なんなら趣味で娯楽なのだから、きっとあかねちゃんは怒ってなんていないだろうし――そもそも、僕がこれを書くという約束をしたということすら忘れているかもしれない。

 けれどまぁ、とにかくごめんね。というわけで長ったらしい謝罪を四百文字――原稿用紙で言うとまるっと一枚分連ねたところで、彼女の紹介へと移っていこうと思う。

 彼女に関しては最近それなりに絡みも増えてきたけれど、テリーさんと同じくあまり日数としては経っていない。要するに、付き合いが短いなりには仲良くしてもらっていると個人的には思っている。黎明と非常に仲が良いことで有名な彼女だが、黎明と仲が良いという事実それ自体になにかそこはかとないヤバさ(この表現は文章の中で使うのは好きではないのだけれど、こうとしか表現できない)を感じてしまう。底知れなさというか、得体の知れなさというか、そんな感じ。

 黎明について陳述するのは場違いな気もするが、彼は基本的にへんなことしか言わないし、過激だ。過激にならない範囲を上手く分かっていて、過激なことを言っている。だから誰も咎めないし、なんならそれに魅力を感じさえするだろう。

 ではあかねちゃんは。

 端的に言って、過激だ。やはり。というかぶっ飛んでいる。感情の振れ幅を数直線に例えよう。中心がゼロ。プラス方向マイナス方向にそれぞれ十ずつ目盛りが伸びているとしたとき、人間の感情の動きは大抵その範囲で定義される。そりゃあもちろん人によって九までしか目盛りがない人もいるだろうし、十一の目盛りを持っている人もいるだろうけど、大体平均してその辺だ。

 でもなんというか、彼女の感情の最大値ってどこにあるのか、分からなくなる。例えば新ヒーロー発表、推しの供給――まぁ要するに、彼女のとっても好きなものや興奮するような代物――なんかが突如降って湧いたとき、彼女の感情は両サイドに百くらいの目盛りをとる。暴走である。他の相互さんでいうならゆくちゃんも大体こんな感じなのだが、制御システムがぶっ壊れる。そういう子だ。

 とはいえここまでやべー奴扱いされてきた彼女だけれど、別の言い方――いや、『やべーやつ』という定義の方を別の言い方と呼ぶべきかもしれないが――をすると、何事にも感情をこれでもかと発露できる稀有な才能を持った子なのだと思う。いや、○○な子って呼ぶのもちょっとあれか、年上かもしれないし。いや、年下なのだろうけれど、意外にも彼女のことを僕は何も知らないことに今気が付いた。

 この世界には年下と思って話しかけた相手が社会人だったり、大学生だと思って話しかけた相手が中学生だったなんてよくある話だ。

 話がそれた。松陰寺太勇ではないが、時を戻そう。人生はいつ終わるかもわからない。もしかしたら近い将来その人生におけるゴール…とはまた違うか。言うなればそう、終着点である死が克服されて、その人生というのは無限になるかもしれないけれど、また同時にあと十秒後に死ぬかもしれないという可能性も孕んでいるわけだから、そうやって感情のままぶっ飛べるのは幸せなかもしれない。いや、言い切るべきだな。幸せなことだ。

 人生を使いつぶしながら僕たちは生きているわけだから、人の生き方としてある意味あかねちゃんの生き方はこの上なく正しいのかもしれない。

 周りに気は配り、それでいて遠慮することなく、自分をぶっ飛ばせるような彼女の在り方をこれからも続けていってほしいものである。

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相互を語りたくなったかもしれない いある @iaku0000

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